第105話 人工知能、悲劇を[N/A] ~承~
生命活動バックアップ、
本来、クオリアの心臓が停止した場合にのみに発生する自動機構だ。
誰かの致命傷を修復するための、都合の良いアイテムでは決してない。
それでもクオリアは、思考回路がショートしようとも、演算を繰り返す。
目前で体温を失い始めた少女の“美味しい”を、もう一度見たいから。
アイナの命を夢ごと喰らう、悪夢を終わらせたくて。
「アイナ、アイナ、アイナ」
エスが必死にアイナを揺する。いつもの薄い表情に、動揺が宿っていた。
一方でクオリアは、その動揺を隠し最適解算出を始める。
「状況、分析」
左胸の刺傷から、まだ弱弱しく血が滲み出る。
これが致命傷なのは言うまでもない。
肺を引き千切り、背中まで貫通している。
これを修復しない限り、アイナは笑顔にならない。
だから、クオリアはアイナの左胸、風穴に指を添える。
その時、クオリアは見た。
アイナの胸で、一緒に紅へ沈んでいく花束を。
「それは、誤っている……!」
クオリアは、思わずその花を跳ね除けた。
同時、5Dプリントの細光が、アイナの中で反射する。
「……スキャンの結果、左肺部分の中心部に損壊ならびに内出血による肺機能の停止を確認。血液の34%の消失を確認。また、血中酸素濃度が著しく低下している事も確認。これらのエラーが生命活動を停止させていると判断。最適解を、[N/A]、最適解を」
スキャンを繰り返す。
彼女の中に入った5Dプリントに瞬きから反射される情報を頼りに、蘇生が不可になる時間切れを超えないようにスキャンを重ねる。
彼女の左胸を象る細胞構成。染色体の形。血液の成り立ち。
アイナの命の仕組み。それらを全てをラーニングする。
「ラーニング完了……最適解、算出……完了……最適解、算出完了……[N/A]」
シャットダウンの時代よりも、回路に負荷をかけた最適解だ。
クオリアの感覚内に、金属疲労と同じ反動があったくらいだ。
「アイナ……理解を要請する。これ[N/A]あなたは、修復される」
自分に言い聞かせたかのような言葉を発した。
アイナの埋まる十字架が
そのイメージを、バグとして
アイナの埋まる十字架が
そのイメージを、バグとして
アイナの埋まる十字架が
そのイメージを、何億回でもバグとして
アイナの“美味しい”だけを見据えて、クオリアが大きく目を見開く。
アイナのいない明日に恐れる“心”を、演算の繰り返しで抑えた。
「“だから、死なない、で”」
クオリアの演算結果が、右手からの5Dプリントの道筋を導き出す。
クオリアの心が、アイナを助けようと覚悟を決める。
「……蝶々開き《インフィニティリカバリ》、実行」
冷汗が滴るクオリアの右手から、遂に物質生成の光が侵入していく。
アイナの千切れた肉組織の中で、彼女に最も近い細胞を天文学的な数で創り上げる。肺の中に溜まった血を取り除きつつ、潰れ欠損した肺の細胞へとなり替わる。柔らかいアイナの胸も、ほっそりとした背中も徐々に風穴が埋まっていく。
同時、酸素を乗せた新しい血液も注入される。
その他数百の課題に対して5Dプリントは最適解をなぞる。
直後、アイナの心臓にショックを与える。
5Dプリントで生成し、埋められたペースメーカーが、膜としてアイナの心臓に貼り付いていたのだ。
「修復、完了……」
震える声でクオリアは、完了の記録を吐く。
衣服は血に染まったままでも、アイナの左胸は確かに綺麗な状態に戻った。
筈なのに――。
「クオリア、アイナの心肺、停止したままです」
クオリアの中に、絶望の暗雲が立ち込める。
「……アイナの
「クオリア、アイナの心肺、停止したままです、クオリア、クオリア」
再びクオリアがペースメーカーを遠隔起動させる。
しかしエスの言う通り、バウンドしたアイナが戻ってこない。
空を見上げたまま半開きになった眼球に意志が宿らない。
吹いた血で口紅の如く彩られた、妖艶さえ思わせる唇から空気の循環を検知できない。
心臓が、動かない。
「状況理解不能……修復に問題はない……何故、何故」
自分の心臓が抉られたような感触を覚えつつ何度ペースメーカーを遠隔起動しても、アイナは息を吹き返すことは無かった。
ペースメーカーの設計に誤りがあったのか。
彼女の心臓付近のスキャンに誤りがあったのか。
ラーニング出来る事は、このペースメーカーによる心臓の再起動は不可能という事だった。
「……[N/A]」
人工知能を破壊する“シャットダウン”として相棒としてきた5Dプリントは、人間の再生に使われる想定ではない。あらゆる人工知能、惑星レベルの兵器を破壊するための武器を与える殺戮の道具だ。
もしくは、自身の個体の修復にしか使ってこなかった。
だからクオリアの心臓が止まっても
だが、他の肉体であるアイナに
つまり、人工知能は失敗した。
「最適解……算出不可……[N/A]、[N/A]」
つまり、人間の命を再起動させるオーバーテクノロジーは、シャットダウンの中に存在しなかった。
「アイナ」
人工知能は、敗北した。
「[N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A]」
幾百もの惑星を破壊してきた。
幾億もの惑星レベルの巨大兵器を破壊してきた。
幾京もの人工知能を破壊してきた。
なのに、たった一人の命を救う事は、とうとうできなかった。
「[N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/A][N/――」
しかし彼の個体名は、もうシャットダウンではない。
「……“いや、だ”」
人型自律戦闘用アンドロイドではなく、人間だ。
「……
その少年は、“クオリア”。
「……あなたの“美味しい”を、“もう一度、見たい”」
少年が望むのは、最愛のメイドの笑顔。
ペースメーカーが頼りにならないなら、心臓を外からの圧力で動かせばいい。
外から空気を送り込んで呼吸させればいい。
無我夢中で、気づけばアイナの細い腰の上に馬乗りになった。
柔らかな左胸を、何度も両掌で上下させる。
例えそれが女性への禁忌に抵触するとしても、中の胸骨が折れたとしても、クオリアはただ“
「クオリア……?」
エスも時間が止まったように見守る中で、今度はアイナの唇に自分の唇を重ねる。
そのまま、息を吹き込む。息が漏れないように鼻を塞ぎ、スキャンした設計図通りに軌道を確保しながら。
「応答を要請する」
アイナの唇に付着していた血が、クオリアの唇にも着く。
構わず、左胸を押す。そしてアイナの唇から空気を送り込む。
「応答を要請する」
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
それは決して、最適解ではなかった。
少年の、願いだった。
「応答を要請する……」
もう何回目か分からなくなった時、クオリアの顔から水が零れた。
汗なら何回もアイナの上に零れている。
しかしアイナの頬を拭う様に落ちたその水滴は、汗ではない。
「……応答を要請する……」
クオリアの顔に、涙の川が出来ていた。
それを自覚しないまま、未だ心臓が鼓動しないアイナの胸に顔を鎮めた。
いつか
「どうか、応答を、要請する」
不意にアイナの右手に、自分の左手を絡めた。
――小指に、微小な反応があった。
「……!?」
それを自覚した、次の瞬間だった。
胸に埋めていた頬に、“
「あっ、かっ、あぅ、ぅ、ぅ」
空気と共に吐き出されたアイナの声。
それを聞いてクオリアからもエスからも、力が消えていく。
喘ぎ声でも、もう聞けないと思っていた。
「アイナの心肺機能回復を……確認しました」
ただし、まだアイナの意識は戻っていない。
まだ、乗り越えないといけない生へのハードルが一つだけ存在する。
しかし、苦しそうに顔を歪めるアイナの顔から一つの言葉を承っていた。
心に響いて、震わす。
確かにクオリアには聞こえた。
生きたい、という声なき声を。
「理解を要請する。あなたの生命活動は、維持される。
極限の死からの蘇生。
局面は、後半戦に移る。
まだ、死んでいない。
まだ、終わらない。
だからこそ、クオリアがまだ諦めるわけにはいかない。
『第零師団集合』
悲劇も終わっていなくとも。
『斬るか』
『斬ろう』
『今、クオリアは動けない』
『背中から一思いにやろう』
『魔術人形がいる』
『クオリアよりも、下手すれば魔術人形の方が厄介だ』
『関係ない。暗殺される事にはど素人だ。ならば魔石を壊せ』
『やるなら今だ』
『いこう』
『すべてをゼロに。第零師団の時間だ』
『楽しい、バットエンドの時間だ』
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