第104話 人工知能、悲劇を[N/A] ~起~

 綿菓子のある屋台に向かう途上。

 前を歩くアイナとエスの会話は、平和を象徴するかのようだった。


「エスさん、今日どんな料理がいいですか?」

「クオリアが、アイナの作るパンが一番美味しいと言っていました。その為パンを要求します」


 提案をしたエスの後ろからクオリアが割って入る。


「エス、あなたは誤っている。アイナは消耗している。あなたが要求しているタスクは、許容量を超えている」

「その場合私も手伝います。お前も手伝う事を要求します。お前の料理も美味しいです」

「要求を受託する。あなたも“料理”の技術を取得する事を推奨する」

「要求は受託されました」

「クオリア様、大丈夫です。今日は絶対にやらせてください……いっぱい昨日から皆さんにはお世話になりました。そのお礼もしたいのです」


 アイナは本気だった。

 クオリアはラーニング済みだ。この目をしているアイナは強い。クオリアの兵器回帰を阻止した程だ。

 しかし、クオリアは心配だった。今のアイナをなるべく近くでラーニングしたかった。


「要求を受託する。しかし、あなたの補助の実施を要請する」

「私も同じく要請します」

「……分かりました。みんなで作る方が楽しいですからね」


 アイナも嬉しそうに納得し、また三人は歩きだす。


「アイナ、説明をお願いします。パンを料理する為の食材は何でしょうか」

「そうですね、強力粉とかが少なかったかな……あっ」


 三人の足が止まった。

 人通りの少ない筈の通りなのに、止まらざるを得なかった。

 複数の獣人に進路を阻まれ、人を殺せるだけの武器を突きつけられては止むを得ない。


 クオリアは前に出て、状況のラーニングを始めた。


「説明を要請する。あなた達は何故武器に分類される道具を持ちながら、自分クオリア達の前にいるのか」

「お前達が金を持ってそうだからだよ……」


 同じ獣人のアイナがいるにも関わらず、構わず突き付けるナイフを強調する。


「蒼天党が馬鹿騒ぎしたせいで、俺達は働く場所を追い出された。真面目に働いていたのによお」

「悪いが金を出しな……そうすりゃ危害は加えねえ」


 アイナは一人、苦虫を嚙み潰したような表情になっていた。

 彼らもまた、兄であるリーベの被害者だ。リーベが蒼天党を率いて蜂起しなければこんな事にはならなかった。


 罪悪感を感じながら、アイナが遂に口を開く。


「あの――」


 この時、アイナはこんな事を口にしていた。

 あなた達も、この後一緒にパンを食べないか、と。


 だが、性善説は否定された。


「脅威を認識」


 直前、声を遥かに凌駕する爆音が世界を包んだ。

 その方向を向くと、夜闇のような黒煙が雪崩の様に襲い掛かってくる。

 全員、その黒煙に飲み込まれる。


「最適解修正。煙の量が想定を著しく上回っている」

「深く隠されていたと推定します。しかし爆発による衝撃、火炎は殆ど無いです。私達に損傷を与えるものではありません」


 ただし、繰り返される崩落音もあって、視界と聴覚をかき消されていた。

 殆ど見えない。よく聞こえない。

 まるでクオリアのラーニングを一時的に潰すのが目的のノイズのような――。


「畜生、こんなのに含まれてねえぞ!」

「どうなってやがんだ……!」


 獣人の様子も変だ。明らかに彼らが意図した事ではない。

 クオリアの最適解が変わりつつあった一方で、最初に気付いたのはエスだった。


「状況分析……!?」


 その瞬間、深紅のノイズが全感覚を包んだ。

 導き出した解が、クオリアという人格アーキテクトを全て滅ぼすような、そんな衝撃だった。


 クオリアが

 最悪の、最適解を。

 悲劇を。


「[N/A]」


 エラーコードNot Any

 思わず口から洩れたそれは、シャットダウン時代にも放ったことのない、エラーログだ。

 

「……クオリア?」


 クオリアは見えない筈の黒煙を突っ切る。

 それは、このまま憂うべき未来に、暗黒へ澱んでいてほしくて。

 人工知能としての予測が、残酷な未来を容赦なく照らしきる前に。


「“お願、い”」


 ただ、走り抜ける。


「アイナ、あなたの“花を、添えさせ、ないで”」


        ■      ■


 アイナは手を引かれるがままに、煙の迷路を駆けていた。


「アイナ。説明を要請する。損傷はないか」


 その声はクオリアのものだ。

 確かに自分の掌を包んでいるのは、クオリアの手だ。

 漸く晴れた視界に移った存在も、見慣れた儚げな少年の顔だ。

 アイナはクオリアと、狭い路地で二人きりだった。


「クオリア様……?」

「ここで待機する事を要請する。これよりエスの救出を実行する」


 アイナは覗き込んでいた。

 立ち込める黒煙の中へ、とことん人間味に欠ける無表情で向かおうとするクオリアを。


「違う」


 しかし、アイナは不意に言葉を発した。 



 最後まで言葉を発することは出来なかった。

 左胸から背中まで、灼熱に燻されたような感覚を覚えた。

 それなりに膨らんだ左胸を入口に、背中という出口に向かって取り返しのつかない程に刃物が深々と突き刺さっていた。


「あっちゃー……どうしてバレたかな。完璧だったでしょ、俺の物真似」


 柄を握る手が、獣人のものに変わった。

 歪に歪んだクオリアの顔も、サングラスを掛けた獣人のものに戻った。


「どうも。俺バックドア。君のお兄ちゃんには、ちゃんといい意味でお世話になったよ」

「ごぽっ」


 何も声が出せない。

 肺がやられて声が出ない。呼吸も出来ない。

 声の代わりに、息の代わりに、血が噴き出るだけ。

 勿論立っている事などできず、左胸から柄を生やしたまま仰向けに倒れこんでしまった。


「別にその御礼じゃないんだけどさ。可愛いから愛でたいんだけどさ。でも君のお兄ちゃんに、もっとちゃんと蒼天党のリーダーしてもらうには、君に死んでもらう必要があってね」

「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ」

「あー……心臓じゃなくて肺イったか。心臓だったら直ぐに逝ってたのにねー。まあいいや。


 まるで皮肉たっぷりの手向けの様に、アイナが持っていた花束をその上に投げつけるバックドア。

 

「見ててやるよ、ちゃんと君が死ぬまで、その苦しそうな顔――チッ、あの二人、もう来たのかよ。俺の楽しみの邪魔をするなんて」


 面白くないと舌打ちをして、更に“擬餌鉤人フィッシングルアー”で別人になりすましながら奥の方へ消えていくバックドアを、目で追う余裕も無かった。


 びくん、びくんと痙攣が始まる。

 どくん、どくんと心臓が鎮まっていく。

 血を失い過ぎた。胸からも、口からも命と一緒に流れていく。

 呼吸が出来ず、酸素も失い過ぎた。痛みより苦しい。


(あ……そういえば、マーガリンも尽きてたんだった。ジャムだけで、足りるかな……)


 明滅し、ぼんやりし始めた意識の中で、アイナは夢を見た。

 カウンターの向こうで、楽しそうに自分の料理を食べながら会話を繰り広げる皆が広がっていた。

 その中心で、屈託のない笑顔を遂に取り戻した、クオリアという少年を見た。


「状況分[N/A]」


 不意に、クオリアの顔が入れ替わる。

 エスと一緒に、こちらを見下ろしていた。

 世界の終わりをラーニングしてしまったような、凍り付いた顔で。


(……そんな顔を……しないで……また“美味しい”って言った時の顔を……してください……私、いっぱい、あなたに……)

「クオリア……アイナの心肺、停止して、います……アイナ、アイナ、応答を要請し、アイナ」

「依然として損傷の[N/A]は可能……不要な発言の停止[N/A]要請す[N/A]……最適[N/A]を算出する……最適解を、あなたが、あなたを、あなたに、エラー、[N/A]!」


 遂に暗黒へと落ちたアイナは、意識の最後に感じた。

 力を失った手をクオリアが掴んだ事と、やっと訴えかけるように口にした人間らしい言葉を。


 


「5Dプリント……による生命活動バックアップ蝶々開きインフィニティリカバリを……強制手動実行する!」

 



 悲劇は起きた。

 しかし、まだエンドロールは迎えていない。

 その悲劇も、その命も、その夢も。

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