第106話 人工知能、悲劇を[N/A] ~転~


 という病気がある。

 一言で纏めるならば、異物に対する免疫の暴走だ。

 皮肉にも“生きる”為の機能のせいで、自らの命を滅ぼしてしまうのだ。

 人間の命は、こんな非合理の集合体で出来ている。


 今、アイナの意識を蝕んでいるのも、アナフィラキシーショックだ。

 5Dプリントで作った細胞、内臓のパーツ、埋め合わせの肉組織、そして全身に循環し始めた血液。全てに対して免疫が過剰反応してしまっている。


 勿論、他者に蝶々開きインフィニティリカバリを実行し、5Dプリントで生成した細胞を当て嵌めればそのような事になるのは分かっていた。

 だからこそ、念入りにアイナの体についてラーニングした筈だった。


「状況分析……免疫異常の割合、予測を大幅に超過」


 それでも、シャットダウンにとっては人間の体とは未知の内容を示す。

 たかだか一回ラーニングした程度で、例えば遺伝子情報を丸裸に出来るわけではなかった。




「ぅ……ぁ……」

「アイナ、アイナ。応答してください。アイナ」

「……ぁ……ぁ」


 エスの呼びかけに、明らかに答えている様子はない。半開きになった眼には、生気が完全に戻っていない。焦点の合わぬ視線が、虚無を見つめるだけ。

 蒼ざめた顔や唇。復活した呼吸もどこか異音が混ざっていて、満足な空気の循環が出来ていない。

 時折見える痙攣。全身を濡らす嫌な汗。

 これだけの出来事が起きていても、アイナの意識は完全に戻らない。意識障害が発生している。


 そして左胸を中心にピンク色に変色した肌が垣間見える。

 まるでアイナの生命を餌にしているかのように、徐々に全身へと延びていく。


 5D使


「状況分析。フィードバック完了。5Dプリントによる左胸部組織の再構成を実施する」


 5Dプリントの光が次々とアイナの患部目掛けて照射されていく。

 時には全身をなぞる様にして光を宛がい、細胞を書き換える。

 アイナにとって異常の無い細胞へと。アイナの遺伝子に極限に近づけた細胞へと。


 ひたすらバイオテクノロジーを駆使して、アイナが永遠の向こう側に行ってしまわないように必死に押しとどめる。


「クオリア、アイナはいつになったら回復するのですか」

「状況分析……エラー。あなたの言う値は、返答されない」 


 一体いつになったらアナフィラキシーショックは終わるのか。

 一体いつになったらこの“いたちごっこ”は終わるのか。

 一体いつになったら、アイナの生命は安全圏内に向かうのか。


 体を蝕む反動に対して、いつアイナの体力が打ち勝つのか、あるいは尽きるのかが分からない。命は数値化できない。

 だからこそクオリアに出来るのは、アイナが目覚めるその時までバイオテクノロジーをふんだんに活用する事。


「ぁ、ぁ、ぁ……」


 思わずアイナの弱弱しい顔を見てしまう。何度も見てしまう。

 次に見た時、また呼吸が止まっている様な気がして、怖い。

 だがそうして立ち止まっている間に、アイナの華奢な体はどんどん蝕まれていく。

 アイナの心臓は、どんどん止まっていく。


 それでも、アイナの生きたいという鼓動は受け取っている。

 だからこそ、ここでアイナが死ぬのだけは誤っている。


「あなたの顔には、“美味しい”が相応しい」


 だからクオリアは、その恐怖ノイズに打ち勝ちながら、アイナが完全に息を吹き返すまで繰り返すしかない。

 それが無限に等しい時間でも。

 最適解の算出と、アイナの治療を。


「状況分析。フィードバック完了。5Dプリントによる血液の再構成を――」

  

 気づいたのは、クオリアとエス両方だった。

 空気の流れの違和感。迸る魔力の残響。

 


『ガイア』


 胸の魔石を輝かせながら、エスが立ち上がる。


魔石回帰リバース


 緑の光の拡散と同時に、三人を大地のアーチが包み込んだ。

 クオリアがアイナを庇う様に覆いかぶさり、エスは破壊されたアーチを更にガイアのスキルで防ぐ。


「三時の方向と四時の方向、九時の方向と十一時の方向に不自然な人間を認識しました」

「あなたは誤っている。空気の循環や魔力の気配から、あと五人いると推測される」


 まずはエスが口にした方向を見れば、黒いコートに黒いハットを身に着けた男達が佇んでいた。うち一人の獲物である剣に風属性の魔力が宿っている。今の巨大な鎌鼬は彼の仕業だろう。

 そのうちの一人が、頬を吊り上げながら口にする。


「これが魔術人形か。面白い」

「脅威と認識」


 クオリアは没交渉で彼らを脅威と判定した。

 いつもよりも判定が早すぎるのは、今クオリアが庇おうとしているアイナが今わの際に追いやられている為だ。


 しかし、その判定は正しい。

 何故なら彼らはトロイが誇る“暗殺専門集団”第零師団。

 人として最も警戒すべき人殺し集団だ。


「ガイアのスキル……魔術人形の中でもひときわ傑作と聞いている」

「しかし、何かを守りながらの戦闘は、まだまだ甘い」


 エスは第零師団を睨みながら、当然の疑問を口にする。


「お前達は誰ですか。何故私達に危害を加えるのですか」

「名乗る程の者でもないし、お手間を取らせる程のものでもない。先程の獣人と違い、俺達は結果を重視するもんで。お命、頂戴しますぜ」

「君達に生きていられると、我々には不都合なもので」


 細い刃を煌めかせながら、第零師団の男は不敵な目線を向ける。


「死は分かりやすい。内臓に刃を指すか、あるいは首を断つか……その獣人の娘は前者でしょう。内臓、それも肺をやられた。それで生き返るのは不条理というもの。自然の摂理に抗う気か」


 アイナの生きたいを侮辱された。そう感じたクオリアが思わず反論する。


「あなた達は誤っている。アイナには生命活動を維持する権利がある。あなた達にそれを否定する事は――」


 怒りで鈍っていた演算によって、最適解が算出された。

 


「脅威を認識」

『Type SWORD』


 間合いにまで、踏み込まれていた。

 不意打ちを先読み出来る筈のクオリアとしては、初の経験だった。

 その男はクオリアが気づいた時には鋭利な刃を振るっていた瞬間だった。


 それでも、予測を完了させたクオリアは回避と同時、右手にフォトンウェポンを出現させる。

 後は一文字を左から右へ描く。

 男は胸から上がずれ、血飛沫を上げながらその場に沈み込んだ。


 事切れたその男も、第零師団と同じ服装、武器を所持していた。


「流石は第五師団を一人で全滅させた男。動揺していてもいきなりチェックメイトとはいかんか」

「しかしいいのかな? こちらばかり気にしていて。今クオリア君が抱きしめているそれは、段々死にかけているようだが」


 言われなくとも、アイナの病状が悪化しているのはラーニング出来てしまった。

 クオリアに引き寄せられた、アイナの華奢な体。

 それがぐったりとのけぞり、がくがくと痙攣が再開した。


 アナフィラキシーショックに、脳が侵されつつある。

 意識の覚醒度も低い。このままではまた心臓が止まる。

 クオリアは、治療に専念しなければいけない。


 だが、そうしたらクオリアは第零師団からされるがままに殺される。

 フォトンウェポンを片手に、戦闘行為をしなければならない。


 アイナの体を修復しながら、第零師団と戦う。

 例え第零師団の挙動をラーニング出来たところで、とその最適解は達成できない。


 そんなクオリアの心情と、生死の境をさまようアイナを見たエスが――二人の前に小さな体で躍り出る。


「クオリア。要請します。お前はアイナと共に避難し、引き続きアイナの修復を行ってください」

「エス。その場合、あなたが生命活動停止のリスクが高い」


 いくらエスでも、先程のような“気付かずに忍び込むことに特化した暗殺者”に迫られたら分が悪い。エスはクオリアと違い魔力の微妙な流れによって隠れている敵を発見することは出来ないし、何より近距離戦が得意ではない。

 この場で一人殿になるには、あまりにも危険すぎる賭けだった。


「私は、私の生命活動維持を念頭に置いています」


 しかし、エスはその指摘を跳ね返す。


「それはアイナと昨日、“風呂”の中で約束された事です。しかし同じように私は、アイナにも生命活動を維持してほしいと、非常に強く考えています」


 にじり寄ってくる第零師団に対し、エスは恐怖心を抱かない。

 ただアイナが死ぬことを憂いている。

 クオリアと同じく、エスもその未来だけは回避したくて仕方なかった。

 だからずっと、物言わぬアイナの体にずっと寄り添っていたのだ。


「だからこれが、今の私が行うべき、“ハローワールド”に当たる守衛騎士の役割です」


 その背中を見ながらも、クオリアは演算していた。

 アイナを助けながら、エスも助ける。

 そんな最適解を、探し回っていた。


 とくん、と自分の心臓が鳴る。

 クオリアは思い出す。


 この心臓の近くに、シャットダウンへ戻る兵器回帰リターン機構がある。

 これを押せば、どちらも救える。

 そう思い、手を自分の心臓に伸ばした――。



 衝撃が空間に走った。

 クオリアのすぐ近く。まるで上空十万メートルから何かが降ってきたような衝撃だった。


 砂煙が立ち込めるその方向を見ると、こんな晴天には似つかわしくない藍色の雨合羽が見えた。最も、着地と同時に頭蓋を踏み潰した第零師団メンバーの返り血を、見事に防いでいる訳だが。

 そして顔を隠す狐面が、第零師団へ向く。


「何者だ」


 流石に狼狽える第零師団の一方で、エスが淡々と過去の記憶から照らし合わせる。


「認識しました。雨男アノニマスです」

『ドラゴン』


 祈り開いた両手の隙間から、透き通った翼竜。

 その翼竜に背中から抱かれながら、雨男アノニマスは静かにスキル発動の準備を整えた。


魔石回帰リバース

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