第102話 悲劇3時間前:半年前にもそれは起きていた

 アイナも供える花を選定し終え、後は女店主に花束を拵えてもらうだけになった。

 空いた時間で、気晴らしにあたりの花を見ていた。この時入口まで戻れば、丁度クオリアとエスが晴天教会の司祭を打ちのめしている場面に遭遇したのだが、思わず足を止めた理由があった。

 ある花畑が、アイナの眼に止まったからだ。


(それにしても、ここヒマワリが多い……珍しいような)


 珍しい花に数えられるにも関わらず、太陽の様に開いたヒマワリが咲き並んでいる。陽だまりの中で、心地よさそうに日光を浴びていた。

 

(そういえばロベリア様の御親友であるラヴさんが眠っている十字架、あの雨男アノニマスという人がヒマワリを添えているんでしたっけ……)


 と、そこでアイナは気付く。

 もう一人、ヒマワリを見上げている人物の存在に。


「わっ」


 と声を上げるのも無理はない。全身は厚いコートに覆われ、口元の部分はマスクで遮られている。露出している筈の眼元も、深く被ったフードで陰になって見えない。


 しかし恐れるべき不審者とは思えない理由があった。

 彼はまるで愛しい女性の手を握るように、ヒマワリの大きな葉を掴んでいた。



 

 雨男アノニマス



「ああ。アンタは今日も来たのかい」


 奥で花束をまとめる女店主も、雨男アノニマスの来店に気付く。元々知り合いであるかのような口調だった。

 雨男アノニマスは特に振り向くことも無く、ヒマワリを見つめながら返す。


「店が潰れたと聞いてな。だが思ったより息災で何よりだ。このヒマワリ達も……」

「潰れたのは建物だけさね。ああ、ごめんねアイナちゃん。その人、常連さんでね。変な恰好しているが悪い奴じゃあない。気にしないでくれ」


 アイナがペコリと女店主に頭を下げる。

 ヒマワリを見つめる雨男アノニマスに、思わずアイナは訊いてしまう。


「ヒマワリ……お好きなんですか?」

「正直、そこまで好きじゃない。花とか植物は好きじゃない」

「は、はぁ……」

「……ただ、知り合いが好きだった。口うるさく俺に良さを説いてくるくらいには、好きだった」


  唖然とするアイナだったが、ようやく花束が完成した声があった。

 それらを受け取ると、雨男アノニマスにも一礼しながら庭の入口まで駆けて行った。



「……アンタ。だいぶ意味深な事を言うねえ」

 

 女店主が入口まで駆けていくアイナの後姿を見ながら、女店主が呆れた息を吐きながら雨男アノニマスへ話しかける。


「頼むから謎なのは雨男アノニマスって二つ名だけにしてくれ。私としちゃ、アンタはで呼びたいんだよ」

「そのを名乗っていた小物の馬鹿は死んだ。半年前にな……あんたには何度も言ってんだろ」

「また意味深な事を」


 アイナがクオリアと合流した。アイナは渋っていたが、持ちきれない程の花束のいくつかをクオリアが受け取った。エスも何個か手伝うのだった。

 何だか平和を象徴するような陽だまりの世界を見て、また女店主が溜息を吐く。今度は懐古のものだった。


「そうかい。あの事件からもう半年かい――鹿

「……」

「確かにそっくりだよ。クオリアとアイナちゃん。雨男アンタとラヴちゃんに……だからかねぇ。肩入れしちゃうのは」

雨男

「アイナちゃんが死んだ時……って、アンタ、何を知ってんだい? アイナちゃんに何が起こるんだい?」

「そこまでは分からねえ。ただ俺の勘は悪い方向に当たる。見ての通り、雨男でな」

「不穏なことを言うんじゃないよ。まったく……」


 客として雨男アノニマスが硬貨を女店主に渡す。

 一輪のヒマワリを片手に、雨男アノニマスは踵を返した。


「無駄だとは思ってるけど、敢えて言うよ。アンタ、馬鹿な事は止めな。アンタが願っている楽園は、きっと夢でしかない」


 そう言った女店主も、今まさにとしている雨男アノニマスも、クオリアとアイナの光景に同じイメージを重ねていた。



 ヒマワリが大好きな魔術人形の天真爛漫なラヴという少女と。

 ただの少年の、もう届かない背中に。



 ……その悲劇第一発見者は、女店主だった。

 、土砂降りだった。


 泣き叫ぶ声があった。

 土砂降りに負けないくらいの、天を衝く絶叫だった。

 

 動かなくなった少女の魔術人形、それを抱きしめる一人の少年がいた。

 豪雨でずぶ濡れになる事も構わず、自分も死にそうなくらいに血を吐く事も構わず、ただただ少女の死に悲鳴を上げていた。


 女店主は見た。

 一人の魔術人形たる少女が、、魔術人形として完全に機能を停止した瞬間を。

 一人の人間たる少年が、《《新しい心臓の様に魔石を埋め込まれ》、新しい何かとして再起動してしまった瞬間を。


 ――人間として死に、雨男アノニマスたる別次元の存在に成り果てた瞬間を。


 雨はまだ、降り続けている。

 何も流すことなく、青空を隠し続ける。


 

 雨男アノニマスの眼には、消えゆくクオリアとアイナの後姿が映っていた。


「……また来る。店は畳むなよ」


 雨男アノニマスは空に射出され、沈黙する女店主の前から消え去った。

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