第96話 悲劇12時間前:妹想いの兄たる亡霊 vs 雨男

 リーベが再び現世目を覚ました時、既に囲まれていた。

 具現化の際、暗黒物質の集約があった。

 未知の現象だけに、人目も集約してしまった。


 だがここは明らかに王都の郊外。

 しかも雨が丁度しとしと降り始めた深夜。

 人が集まるにはあまりにも薄暗い。


 集まっていたのは、12~14歳の少年少女。

 胸の魔石が時々点滅し、夜闇を灯している。


「お前ら……魔術人形か?」


 恨んではいないが、忘れる筈もない。

 蒼天党の進撃を一番止めたのは、この魔術人形だったからだ。

 

「蒼天党のリーダー、リーベを発見しました」

「……俺を殺すか? もう死んでるみたいだがな」

「それは元主人の指令です。その指令は、無力化されています」

「そうかい……俺も戦う理由はないな」


 リーベが滅ぼしたいのは人間だ。魔術人形は人間側に着くなら容赦しないが、魔術人形単体を敵にするつもりはない。

 だが魔術人形の一人が、リーベを睨む。


「ここからの退去を要請します。ここは我々“雨天決行レギオン”の領域です」

「……雨天決行レギオンだと? そんな集団、聞いた事が無いな」

「退去しない場合は、攻撃行為へと遷移します」


 リーベが警戒を強め、ゴーストの根源たる暗黒物質をはためかせていると、雨天決行レギオンを名乗る魔術人形の背後から足音が聞こえた。

 現れたのは、人間だった。


「お前は」

「……雨男アノニマス。あんたはリーベだな」


 雨男アノニマスと名乗った影は、自然と魔術人形の前に出る。

 魔術人形の一人が懸念をその背中へ伝える。

 

雨男アノニマス。この男は蒼天党を率いていた脅威です」

「下がってろ。こいつを敵とは見なすつもりはねえ」

「しかし、危険です」

「信じろ」


 雨男アノニマスが言い捨てると、ようやく魔術人形も諦めたのか、渋々といった様子で奥へと消えていく。


「……ん?」


 遠雷が走る。

 不気味に瞬く空間の中、雨男アノニマスの容貌がリーベの眼に映った。

 雨合羽を頭から被っているものの、狐面は着けていない素の表情。


『クワイエット』


 

 姿


 理由は簡単だ。

 目前の雨男アノニマスは、リーベにとっては人間の中でも極悪の部類に入るからだ。


『お前……お前ェェ……!! ……!』

「……流石に顔は割れてるか。当然だな」


 リーベは雨男アノニマスの正体を知っていた。

 雨男アノニマスは、晴天教会に属するとある人物だった。

 それを指摘された雨男アノニマスは自嘲して肩を竦める。

 

『晴天教会だケは……許せナイ……神の御許とやラに、送ってヤル』

「それは無理な相談だぜ」


 忿怒の念を声に込めながら、真赤な噓ステルスを発動する。

 クワイエットゴーストが、即ち巨大な頭部が接近しているにも関わらず、雨男アノニマスは気付けない。断頭の刃が首元に添えられても、雨男アノニマスは認識できない。


 クワイエットゴーストのギロチンが振り下ろされる。

 雨男アノニマスの頭を落とさんと、一抹の恨みを込めて容赦なく――


「――

『ドラゴン』


 一方、両手を合掌して開いた、雨男アノニマスの全身。

 その背後から煌めく翼竜が抱きしめたのは、断頭の直前だった。


魔石回帰リバース


 直後、双方の体が弾かれる。


 リーベは獣人に戻された上で地面を転がり、雨男アノニマスも衝突の衝撃で後方に引きずられていた。


 すぐさまリーベは異変に気付く。

 自分の体が魔物から獣人の姿に戻っている事に。


「体が……元に戻っているだと」

「ゴーストの構造が魔石と似ているなら、干渉は可能だ」

「クオリアと似たような事を」

「干渉自体は、魔力の構造を知っていれば誰にもできる。俺は無理やり停止させるか、あるいは魔術人形の指示を取っ払う事しか出来ねえがな」


 接触の瞬間、雨男アノニマスに心の中に侵入されたような気配があった。結果、クワイエットゴーストへの変身を強制解除されたようだ。


 だがクオリアの知恵の輪を解くようなスマートなやり方とは違う。

 この雨男アノニマスの場合、知恵の輪を破壊するような感触だった。クワイエットゴーストとしての力を、無理やり深淵に押し戻された。


 そしてギロチンが直撃したにも関わらず、雨男アノニマスの首がつながっている事にも違和感を感じる。

 確かにギロチンは雨男アノニマスの喉を捉えた筈だ。

 


 に一瞬唖然としながらも、すぐに歯軋りして雨男アノニマスへ問いを投げる。


「……どういう事だ。神の不在宣言は、教義に反するんじゃないのか」

「無えものは無え。神は死んだと言い換えてもいい」

「じゃあ何故晴天教会の信者やってる。晴天教会に居れば何でも出来るからか!? どこかの枢機卿の様に、拷問しても罪に問われないもんな!」

「……滅ぼすためだ」


 一瞬、リーベの猫耳にその声は届かなかった。

 それを察し、雨男アノニマスは敢えてもう一度言う。



。あの集団は、楽園には不要だ」



 眉を顰めたリーベに、雨男アノニマスは問い返す。


「一つ聞かせろ。残りの古代魔石“ブラックホール”はどこだ」

「そんなのを知ってどうする気だ」

「蒼天党は、ただ王都を滅ぼす用途しか知らねえようだな」


 他にどんな用途があるんだ、とリーベが一瞬眉を顰める。

 だがすぐにそんな問答は無意味だと、鼻で笑う。


「無駄だ。守衛騎士団に押収されたと聞いた」

「……成程。バックドアに騙されているようだな」

「何?」

「薄々勘づいているんじゃねえのか? バックドアにいいように踊らされている事に。そもそも守衛騎士団は古代魔石“ブラックホール”を未だ発見出来てねえ」

「……」


 リーベからは返答は無かった。

 疑問が生まれた。そして図星を突かれた。


「暴力は、いつも悲劇を生み落とす」


 そんなリーベを背中からちょんと押すように、雨男アノニマスは続ける。


「あんただって本当は気付いている筈だ。これ以上特攻した所で、何も得るものはねえ。妹には一つも利がねえって事を」

「……何が言いたい」

「あんたは人間を敵にしている。だがあんたの妹を殺すのは、何も人間に限らない。それはもしかしたら獣人かもしれねえ……獣人同士なら大丈夫だとか言うなよ? それなら人間同士の戦争だって起きることは無かったはずだ」

「……晴天教会の人間が……何をまたのらりくらりと騙そうとしている!」


 リーベが強靭な爪を曝け出し、雨男アノニマスに突進する。

 だが間合いに入る直前、雨男アノニマスは空へと羽ばたく。上昇速度が異常で、リーベも目で追えない。

 困惑するリーベに、雨男アノニマスは空から声を放つ。


『“ブラックホール”は俺と雨天決行レギオンで探す。これから創る楽園に、あれはどうしても必要でな』

「楽園、楽園って……何だ? 死んだ神でも蘇らせる気か?」

『神も、晴天教会もこの世界には必要ない。ただ“誰も死なない優しい世界”があればいい。それが俺と雨天決行レギオンが目指す楽園だ。それは、あんたにとっても楽園である筈だ』

「“誰も死なない優しい世界”? 世迷言を……」


 空を見上げても、夜闇に紛れた雨雲しか見つからない。

 だが雨と一緒に振ってきた雨男アノニマスの最後の言葉は、どの雨よりも強くリーベに打ち付けるのだった。

 

『今のあんたのやり方では、また新しい暴力を生むだけだ。それはいつか、無関係の兄妹も、そしてあんたの妹も殺す。


 雨の中に一人、亡霊は取り残された。

 その場に膝を付く。思考が、行ったり来たりを繰り返す。


「ぐ、う……」


 苦しい。

 雨男アノニマスの言葉の一つ一つが、リーベの暗黒物質に刺さって取れない。


『だがあんたの妹を殺すのは、何も人間に限らない。それはもしかしたら獣人かもしれねえ』


 特にこの言葉が頭に絡みついて離れない。

 仮に人間を滅ぼしたとしても、獣人がアイナに牙を向かないとは限らない。

 人間を滅ぼした程度で、世界は性善説にならない。


 分かっていた。

 それでも、リーベが見てきた人間が残酷過ぎた。

 だから、そんな世界にアイナを置いておくのが怖かった。


『あなたが、そのような行動を取る必要はない』


 クオリアの言葉が、ふと脳裏を掠める。

 確かに、獣人がアイナの敵に回るかもしれない。

 アイナを守るのは、人間かもしれないし、魔術人形なのかもしれない。

 アイナを守るのは、クオリアという少年騎士なのかもしれない。


『……生きていくのは、こんなにも痛いけど……でも、私はこの人達の中で、生きてみたい』


 アイナの願いが、ふと脳裏を過ぎる。

 それがアイナには分かっていたからこそ、人間達の中心でそんな願いを口にした――。


「俺は……」


 再び存在に限界が生じ、消え行く中で僅かにリーベは笑った。



 この後、リーベが出現するのは12時間後――明日の日中となる。

 それは、


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