第94話 猫になれた、君の腕の中。寂しい夜はもう終わった②
次にアイナが朝日で目を覚ました時、廃屋にて布団の中に横たわっていた。
丁度、クオリアと名乗った少年が入ってきた時だった。
『ごめんね。僕の家で寝かせてあげれば良かったんだけど……父上やアロウズ兄上に見つかったら酷いことになりそうだから……』
『……』
なんて反応すればいいのか、アイナには分からなかった。暴力と敵意しか向けてこない、見飽きた人間であれば何も迷うことは無かった。
だがこのクオリアという少年は違う。違い過ぎる。
今まで向けられたことのない暖かさを自然に差し出してきていたのだ。
だから逆に困惑していた。
こんな兄のような優しさを見せる人間にどうすればいいか、これまでアイナは経験したことが無いからだ。
『……えっと、君、名前は?』
『……アイナ』
『アイナはどうしてそんな傷塗れだったの? 熱だって出してたし、下手すれば死ぬ所だったよ』
『……あれ』
アイナが自分の体を見下ろすと、傷ついた全身に包帯が巻かれていた。しかも全身を一度拭ったようで、全身に纏わりついていた血と泥が綺麗さっぱり無くなっている。
アイナが包帯塗れの自身を見つめていると、クオリアが何故か慌てふためいていた。かなり赤くなっている。
『ご、ごめん、本当にごめん、でも全身汗と血と砂で塗れてて、このままじゃ治る傷も治らないと思ったから……やましい事は何もしてないから……』
『……ど、どういう事……あっ』
自分の服が洗われ、干されているのを見た。
そしてアイナの体は、包帯こそ器用に隙間無く包まれていたものの、それ以外は一糸纏わぬ生まれたままの姿だった。
つまり、このクオリアという少年に全身余す所なく丸裸を見られたのだ。
その一瞬だけ、人間らしい恥じらいの感情を取り戻せた気がした。
『どうして、そこまでして私を助けたの……? あなたは人間、私は獣人、それなら私を放っておくのが普通……』
『いや、だってそりゃ、死なれたら普通に後味悪いでしょ。僕、絶対後悔する』
その感覚がいかに世界からズレているか、クオリアは知らない様子だった。
『変わった人』
思わず、アイナはそう言った。
するとクオリアは困ったような顔で頬を掻く。
『うん。よく言われる。でももっと酷いことに、落ちこぼれとかめっちゃ言われる』
そんな事言われ慣れっこのように、寂しく乾いた笑顔がクオリアに貼り付いていた。
『家はどこ? 何とか、送ってあげる事くらいなら出来るけど』
『家なんて……無い』
『家族は?』
『……お兄ちゃん……がいた。私にはもう……誰もいない……あなた達人間が、全部奪った……!』
『……そう、だったんだ……』
布団を強くつかみ、唇を噛んで血を流し、怨嗟を吐き出す。
息を切らして暫く目を伏せて、そしてアイナはようやく気付いた。
まるで兄の様に、自分に親身に痛みを共感しているクオリアの儚き顔に。
その後、クオリアは一度廃屋を出てアイナはまた一人になった。
慣れない一人ぼっちの恐怖と戦って、兄のいない現実を整理して、段々と落ち着きつつあった。
やがて、アイナは全身を丁寧に包む包帯に目を向けた。
全部の傷へ、きちんと手当が施されている。体中くまなく綺麗な水で拭かれている。とても貴族の仕事とは思えなかった。
しかしおかげで、体の調子はいい。包帯が暖かい。布団も暖かい。
(どうして、クオリアさんは、ここまでしたんだろう……)
もしかしたら理由なんてないのかもしれない。
そういう人間もいるのかもしれない。
クオリアの純真無垢な笑顔や、アイナの裸を見た事に気付かれた時の慌てふためく少年の顔から、そんな気がした。
やがてアイナの中に、徐々に罪悪感が芽生え始めていた。
これだけの看病の感謝も言わないまま、罵声を突きつけてしまったからだ。
確かに、憎むべき人間だ。だけどムズムズする。
人間からこれだけの手当てを受けた事が無くて、困惑し始めた。
『……アイナ、起きてる?』
『あっ』
身構える事さえ忘れていた。まるで家族の様に、クオリアが自然に隣に戻って来ていた。
嫌悪感を感じない。
それどころか、何故か安心感さえ感じている。
しかもいい匂いがした。
クオリアの隣に、湯気を立たせるビーフシチューがあったからだ。
『お腹空いてるかなと思って。僕料理したことなくて、慣れないけど、作ってみたんだ……良かったら……食べ……』
景色が曖昧になる。追想が終わり始める。
「待って……クオリア様」
思わず呟くが夢の終焉は止まらない。まだ12歳のクオリアはだんだん薄くなって消えていく。
手を伸ばしても、もう届かない。
「私まだ、クオリア様に……ありがとうって……」
「理解を要請する。アイナ。
その手を、クオリアは掴んでいた。
「クオリア、様……失礼いたしました、私……夢にうなされていたみたいで……」
「説明を要請する。あなたの
「ハード……はい。体調は、大丈夫です……」
その時、懐かしい匂いがアイナの鼻腔を掠めていた。
12歳のクオリアが持ってきたものと同じ、ビーフシチューだった。
「食事を要請する。あなたは今、"空腹”と呼ばれる状態にあると推測される。その為、あなたの心と肉体の修復の補助とするため、食事する事を要請する。ただし、"美味しい”状態から一部逸脱している可能性がある。"美味しい”の値が感じられない場合は、食事しない事を推奨する」
いつもは機械的なクオリアの口調に、若干の迷いがあった。しかしそれは、アイナの口に合わなかったらどうしようという、人間らしい迷いだった。
即ち夢の続きを、アイナは見ていた。
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