第92話 人工知能、料理する
その夜、クオリアは台所にいた。
クオリアを最初に見つけたのはエスだった。
「クオリア。お前は何故台所にいるのでしょうか」
「
棚、冷蔵室にある食材を全てインプットし終え、作る料理の
「お前はどうして夕食を構築するのでしょうか」
「“美味しい”には人の心を修復する力があると推測する。今、アイナは心が消耗している。その為、アイナに夕食を提供する」
「私も早急に"美味しい”を感じたいです」
「あなたや、ロベリア、スピリトの分も考慮している。完成までの待機を要請する」
「要請は受託されました」
リーベとの一件から、アイナは
何かしたい。そんな感情に突き動かされた結果、最適解かどうか分からない料理を実施する決断を下していた。
「最適解算出。これより
「“ボア肉とじゃがいもとにんじんと玉ねぎの、赤ワインとバターとウスターソースとケチャップのスープによる煮込をメインとした料理”はどうやって作るのですか」
「“ボア肉とじゃがいもとにんじんと玉ねぎの、赤ワインとバターとウスターソースとケチャップのスープによる煮込をメインとした料理”はまずボア肉1000gを計量する」
「……世界はそれをビーフシチューと呼ぶの」
ロベリアが台所に訪れていた。
常識からかけ離れた料理名に口出しせずにはいられなかった。
「いいねぇ。料理できる男子得点高いよ。お姉さんも一緒にクッキングしよか?」
「協調を要請する」
「その前に……やりたい事は見つかりそう? ハローワールドの新入りさん」
ハローワールドの創立者として、当然エスの存在に触れないという事はない。寧ろかつて魔術人形であるラヴが親友だった経緯もある。ロベリアがエスを見る目は、クオリアやアイナに向ける目と何一つ変わらなかった。
「まだ見つかりません。これからハローワールドの役割を実行する中で、自分の要求を定義していきます」
「……自分のやりたい事って、案外見つかりにくいからね。思いがけない所に落ちていたりするし」
「お前はどうやって自分のやりたい事を見つけたのですか」
「親友に気付かされたって言い方が正しいかな……ラヴっていう、あなたと同じ魔術人形に」
「ラヴという個体については登録があります」
「……まあ、正確に言えば私の場合は“自分がやりたい”というよりは、“世界をこうしたい”って気持ちが強いんだけどね」
ラヴが望んだ世界を、クオリアは追想する。
"人も獣人も、そしてラヴ達魔術人形も心から笑える世界になればいい”。
クオリアとよく似た世界を願った、少女の魔術人形だ。
何の因果か、ロベリアの前にはまた魔術人形が出現していた。
「……ディードスは自分の利益しか考えていなかった。奴は獣人を金の為に殺し、人を金の為に危険に晒し、君達魔術人形から自由を奪っていた。だから奴は自分が投資した化物に喰われる末路を辿ったって訳」
ディードスは誤っている人間の典型例である。エスへ語るロベリアの言葉で、それを再確認するクオリアだった。
「だから考えてみよっか。エスは世界をどうしたい?」
「……世界へ要求する事は、私の中では定義されていません」
と言いながらも、何か言いたいことがあるかのようなエスの様子だった。完全に定義されていない訳ではない。ただ、言葉に起こせるほどに育っていない。
「ま、守衛騎士団“ハローワールド”でまずは世界にこんにちわする所からですな。まずは笑顔、創ってみなよ」
「はい。それが、今の私の役割です。だから私はクオリアと共にビーフシチューを作ります」
「あなたは誤っている。
「へー、もう出来たのね……ってマジで!? いつ料理してたの!?」
ロベリアが思わず大声を上げると、火が猛っている釜の中で茶色のシチューがグツグツ沸騰していた。エスとロベリアが話している間に、最適解通りに料理を済ませてしまっていたのだ。
シチューの香りも申し分ない。ミリ単位の誤差もなくで均等に切られた具材も綺麗な形をしている。
一切の無駄なく、一切のズレなく、頭に描いた
「いやぁ、ここまで料理出来る男子がいたとは……正直、キュンとするわ。うん、いい匂い」
「……おー」
ビーフシチューをロベリアが惚れ惚れと覗き込む。エスも見下ろした時の無表情から、僅かに恍惚を帯びていく。しかし
「状況分析。これは“美味しい”ではない」
「ほえ? そう? んー? いや普通に旨いじゃん」
続いてロベリアが口にしても、特に不味い所は感じられない。寧ろ上等に出来上がった方だと思う。一応ロベリアも若干“物足りなさ”を感じていたが、気に留める程ではなかった。
しかしクオリアはその“物足りなさ”の課題を捨てきれなかった。プログラムにねじ込まれた小さくとも致命的なバグとして認識し、深く再演算する。
「フィードバックする。ビーフシチューの
「待った待った! 食べ物を粗末にするのはお姉さん好きくないぞ!」
「もし捨てるのであれば、私に提供を要求します!」
明らかにビーフシチューを食べる以外の何かに使おうとしていたので、ロベリアとエスが抱き着いて止めた。
完璧な最適解だった筈なのに、出力されたビーフシチューは何か“美味しい”が欠けていた。
上手い料理と、旨い料理の違い。上手い料理と、美味しい料理の違い。
それを理解しないまま、アイナに渡しても心を回復させる事に繋がらないと推測した。納得しないクオリアをロベリアも察したか、今度は後ろから両肩を押すように掴むのだった。
「ま、いいから。アイナちゃんの所まで持っていってみな」
「それは誤っている。“美味しい”食事でなければ、回復効果は薄いと判断する」
「少なくとも君より2年人間やってんだから。お姉さんを信じなって完璧主義さん」
小さいロベリアの両手に押され、ビーフシチューの容器を持ったままクオリアは厨房を追い出された。その両手の導くまま、アイナが眠っている部屋まで向かうのだった。
一方その頃アイナは――魘されていた。
過去になった筈の兄の出現で、三年前からの軌跡が悪夢として蘇る。
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