第87話 人工知能、哀しき獣人の過去へアクセスする

 予測通り、ゴーストにクオリアはハッキングが出来た。

 ただし魔石と違い、魔力の情報が羅列されているだけではない。

 獣人リーベの記憶と感情が、その魔力に根本から滲んでいる。


「これよりリーベと記憶と感情のラーニングを開始する」


 憤怒と絶望と哀情に彩られた、紅の一生へクオリアはアクセスした。

 この先に、解くべきリーベの怨念がある。



『お兄ちゃん……』

『アイナ! 後ろに隠れてろ!』


 最初にクオリアが読み取ったのは、スラム街の一幕だった。

 まだ幼いアイナを庇い、棒を構えるリーベが見えた。

 目に隈もない、真赤な嘘ステルスも知らない真っすぐな妹想いの兄がそこにいた。


 迫る敵達から二人を助ける事は、記憶の外に存在するクオリアには出来ない。

 そもそもリーベが敵達を一網打尽にした事で、その必要も無くなる。


 その後、酷く心配した様子でアイナの両肩を掴むリーベが見えた。


『アイナ……、晴天教会の敷地には近づくなと言っただろう。あいつらに見つかったら、命が無くなるどころじゃ済まないんだぞ?』

『ご、ごめんなさい……でも、蒼天党のみんなも頑張ってるから……私も、ちゃんと役に立ちたくて……』


 アイナの右手には、"げに素晴らしき晴天教会”から盗ってきた食物が大量にあった。残飯もあったが、二人にとっては間違いなく御馳走に違いなかった。


『それに、お兄ちゃん今日誕生日だったから、せめて美味しいもの食べてほしくて……』

『アイナ……』


 確かに明日の食べ物さえ満足ではない程、二人は貧していた。

 しかしそれでも、二人の間に"美味しい”をクオリアは検知した。


 少しだけ心が温かくなっていたクオリアの横を、リーベとアイナは過ぎていく。二人からはクオリアが見えない。リーベがいつも見ていた景色しか見えない。

 夕焼けが、手をつないで歩く小さな二つの影を優しく包んでいた。

 幼き少女と、親代わりの少年の何気ない会話。それが暗黒物質の隙間を縫って、読み取れた。


『お兄ちゃん、私ね、夢があるの』

『へえ、どんな夢だ?』

『食べ物がいっぱいの、お店を開くの』

『お店かぁ。アイナは料理がうまいから、きっと繁盛するだろうな』

『えへへ、ありがとう』

『だけど人間達に邪魔されないか?』

『それは……頑張る』

『……でも、どうしてそんな夢を抱いたんだ?』

『そうしたら、私達みたいにお腹空いてる子でも、沢山美味しいもの食べれるから。いっぱい、美味しいって言ってくれるから』

『成程。アイナは優しいな』

『お兄ちゃんは、どんな夢があるの?』

『俺には、夢はないなぁ』

『本当? ないの?』

『ただアイナが生きていてくれれば、それでいいな。俺はそれ以外にもう、何も望まないよ』


 直後、世界は反転する。


 遠ざかる二人を包む夕焼け空が、薄暗い檻へと置換されていく。

 自由に笑い合っていた二人が、何人もの男に束縛されて互いの名を叫び合う。


『アイナ!』

『お兄ちゃん!』


 互いに手を伸ばすも、届かない。青い修道服を纏った男達の暴行で痣だらけにになり、手を伸ばす事さえ出来なくなっていく。

 介入できない悲劇の記憶を、クオリアは見ている事しか出来ない。

 そんなクオリアの体を、一つの巨体が擦り抜けていく。


、遂に捕らえました』


 と呼ばれた存在は、一切の抵抗が出来ないリーベとアイナを見下ろして無感情な言葉を浴びせる。


『貴様らか。最近この辺りをチョロチョロと鬱陶しくしている子猫達は』

『……今まで盗った物なら、俺が責任もって返す……妹は関係ない!』


 リーベが必死の声を振り絞った。だがそれを聞いて、枢機卿はようやく頬を吊り上げた。

 神の意志とは関係ない、自分の愉悦が優先された顔である。


『現人神ユビキタス様は盗人を許さない……


 枢機卿が言い放った禊が即ち拷問だと知ったのは、それから間もなくのことだった。

 何日も、何週間も、何ヶ月もかけて拷問が繰り返された。

 幾重にもクオリアの頭に、痛みというノイズが走ってくる。自分がやられている訳でもないのに、生かさず殺さずの拷問をラーニングしているだけで、演算に僅かながらバグが侵入してきた。


 そして、リーベの前には断頭台が敷かれていた。

 ギロチンの向こう側に、同じく拷問を受けて見るも無残に傷つけられたアイナが見えた。


『アイナ……!』

『おに、い、ちゃん……』


 助けに行こうにも、縛られて手も足も出せない。

 そのアイナの猫耳を掴みながら、枢機卿が興奮していた。


『この娘の罪を洗うには、兄の死による涙を流してもらわねばならぬ……』


 その為の断頭台。この枢機卿という人間が、"げに素晴らしき晴天教会”の重鎮であるが故に神を利用し、幼子の心を折ることで興奮を覚える為の凶器であることは間違いなかった。


『やめろ、俺は死んでもいい……! もうこれ以上アイナを傷つけないでくれ……』

『安心なさい。君が旅立った後、ちゃんと浄化したこの娘も神の御許へ責任をもって送ろう』


 そしてギロチンの刃が落ちた。

 頭だけになったリーベの眼には、世界の一切を否定されたアイナの絶望が映っていた。



 ぶつんと、一回ここで世界は途切れる。


「リーベの生命活動停止を確認。ここから肉体ハードウェアがゴーストになったものと思われる」

『アイナを……助けなければ……』


 徐々に暗くなった世界が鮮明になってきたときには、全ては終わっていた。

 先程まで枢機卿と言われた人間も、その部下達も、皆一様に引き裂かれて事切れていた。

 真赤な嘘ステルスのせいで、自分が死んだ事すらも認識していない様だった。

 

 彷徨いの果て、アイナが閉じ込められていた檻にリーベは辿り着く。

 そして見てしまった。

 沢山の拷問器具を。

 拷問器具で乾燥していた赤黒い血を。

 それ以外、檻には何もなかった。

 優しき猫耳の妹は、もうどこにもいなかった。


『あ』


 リーベは慟哭した。

 一人ぼっちになってしまったリーベの視界が、血色に染まり始めた。


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 暗黒物質が溢れ始め、ゴーストとしてのスキルも発動され、"クワイエットゴースト”へと変貌し始めた。


『どうして、どうして……どうしてたった一人の俺の家族さえ、どうして!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』


 "ただアイナが生きていてくれれば、それでいい”。

 たった一つの願いが否定されてしまった事への絶望。

 それが彼の心を、取り返しのつかない程に引き裂いた。




 そのリーベに、後ろから触れた存在があった。

 クオリアだった。


「あなたは、誤っている。アイナは死んでなどいない」


 "対話ハッキング”を、そのリーベの心へ実行する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る