第84話 人工知能、怨念と対峙する②

「アイナ、スピリト、応答を要請する!」

「クオリア様……!」


 クオリアが消失するリーベを横切って、隆起した地面を乗り越える。

 壁の向こうでは、血塗れの足とダメージを受けた腹部を抑えて座り込むスピリトと、それに寄り添うアイナが見上げていた。


「スピリトの中度の損傷を認識」

「……大丈夫、傷は浅い。暫く縮地は無理だろうけど」


 アイナが渡した布で脚を止血すると、スピリトが隆起した天然の城壁を見る。


「これクオリアじゃない、よね。魔術こんなに使えないよね」

「これは、私のスキルによって形成されました」

「うおあっ!?」


 音もなく隣に立っていたエスに、スピリトが思わず飛び退く。


「ま、魔術人形!? 昨日の!?」

「説明する。エスはハローワールドの一員になった」

「待て待て待って! 一時間前に出て行ってから何があった!? ディードスの商談を止めようと飛び出して、なんで魔術人形がハローワールドの一員に!?」


 慌てふためくスピリトが放つ当然のコメントに返答しようとした時だった。

 ふら、とアイナが防御壁から顔を出そうとしていた。

 行ってはいけない領域に、このままでは足を踏み入れそうな気がした。だからクオリアは動いた。


「あなたの動きの規則性に、微細ながら乱れが生じている」


 アイナの手を握り、行かないように繋ぎ止める。

 怒り。悲しみ。そう定義される感情が閾値を振り切った顔だった。


「……クオリア様、知っているなら教えてください……兄に化けたあれは、なんですか」


 安全を確認した上で、アイナと何もない庭を見渡す。

 リーベがいた場所には跡形もなく庭土しかなく、その周りを漆黒の騎士とカーネルが警戒して佇む。

 もう、何もない。


「あれは、あなたの兄に定義されるリーベだ」

「……え?」

「正確な定義としては、リーベのゴーストだ」

「ゴー……スト?」


 そしてクオリアは、アイナに説明した。

 ゴーストとは人が遺した感情が、波の様な魔力へと変化したものだと。

 いわば、怨念が歪んだ魔力として具現化したものだと。

 つまり、リーベの心そのものであると。


 ゴーストの存在が都市伝説並みの眉唾ものだとしても、アイナは半信半疑でもそのオカルトを納得し始める。

 しかしそれに比例して、先程の自分がリーベのゴーストに浴びせた罵声を思い返していく。


「……私、それ知らずに」


 何も知らずに、リーベを偽物扱いした。

 スピリトを殺そうとした張本人とはいえ、だからといって自身の失言を悔やまずにはいられない。

 だがクオリアはその様子をインプットしていない。故に、アイナが“美味しくない”表情をしている理由を読み込めなかった。


「うおっ!?」


 騎士からどよめきの声が上がった。


「異常を認識」


 視線の先で、漆黒の波が揺れていた。

 暗黒物質。リーベという幽霊の根源たる、怨念が魔力化した存在。

 そして、蘇った。


「この……ぐあっ」


 近くの騎士が一閃をお見舞いするが、直後に強烈な爪閃を返される。

 ぽた、ぽたと爪から赤黒い液体を垂らすゴーストに、クリアランス達も一旦距離を取った。カーネルも覚悟を決めた表情で、アイナを一瞥しながら最悪の事態というものを予感し始める。


「妹ちゃんと感動の再会したから成仏って訳でもなさそうね……けど、またここに再生するなんて随分と執着しているじゃない。しかも相当再生速度が上がってない? アナタ」

「……ああ、ああ、アアア、助けなきゃ」


 正気なんて最初から失っている表情で、乾いた眼差しを向ける。

 騎士。カーネル。エス。スピリト。

 クオリア。

 そして、アイナへ。


「嫌だアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 迷子の幼子の如く、みっともなく泣き叫ぶ。

 その嘆きは、庭中どころか上層の街中に共振していた。


「アアアアア、アアアアア、アイナがいない、もういない、死んじまった、畜生、どうしてだ……! 俺達はただ、大人になって、花を眺めて、鳥を追って、風を感じて、月を見上げて、ただそれだけで、よかった」


 大粒の涙を流し、絶望をただ吐露する。


「……世界から美しさが消えた。俺にはもういない。残念だなぁ、残念だなぁ。俺が、たった一人の家族さえ、守れなかったから……」

「守れたよ……?」


 輪郭が黒くゆらめき始めたリーベに、アイナは声をかけた。

 感動の再会を、今更でも始めようとしたアイナの眼にも、同じ大粒の涙があった。


「ごめんね……お兄ちゃん……私、お兄ちゃんに酷いことを言っちゃった……」

「……アイナ?」


 一瞬だけ逸れた母親を見つけたような光ある顔で、アイナを見ていた。

 アイナも一歩ずつ、リーベに近づこうとする。

 しかし四歩歩いたところで、クオリアがその手を掴んでいた。



 アイナがもう一度リーベを見ると、親の仇でも見たかのような醜悪な表情があった。


「お兄、ちゃん……」

「お前は誰だ……! 何故死んだはずのアイナを騙ってる……!! アイナは優しかった! お前みたいな顔をしていない! 俺の中の、アイナを穢すな!!」


 最早、前が見えているのかさえ不明瞭だった。

 しかし、クオリアには分かる事が一つだけある。

 今のリーベに接触させたら、間違いなくアイナは殺される。

 そうならないように、アイナの前を塞ぐ。


「お前達みたいな……残酷な奴らがいるから、俺達獣人は、いつだって、泥を啜り、屍を食べ、そのまま惨めに死んでいく。蒼天を見上げる事すら、満足に出来やしない。この世界は、間違っている」


 導火線を引き抜くように、力任せに服の中から取り出した。

 世界の光が届かない黒き石。古代魔石"ブラックホール”だった。

 全員、息をする事さえ忘れた。


 作動すれば、全てが圧縮される。


「だからこのブラックホールで俺はァァァ!」

『Type SWORD』


 その右手首を、荷電粒子ビームの剣閃が切断した。

 

「予測修正、無し」


 そんな予測外れてほしかった。

 その本音を自覚することなく、ただ最適解通りに古代魔石"ブラックホール”をリーベから文字通り切り離すのだった。


 だが、リーベの執念も凄まじい。

 右手に握られたまま落ちていく古代魔石を、左手で一心不乱に追う。

 クオリアはそれを見て、何もしなかった。


 クオリアは何もしない。

 それが最適解だから。

 後ろでエスの魔石が、緑に輝いているから。


『ガイア』

魔石回帰リバース――魔石“ガイア”によるスキル深層出力、大地讃頌ドメインツリーを発動します」


 古代魔石を握りしめたのは、高速で駆ける枝だった。

 絡めとるや否や戻った大地讃頌ドメインツリーは、最終的にエスへ古代魔石"ブラックホール”を渡すのだった。


「古代魔石"ブラックホール”を回収しました」

「よくやったわ。一番厄介な事態は避けれたわね」


 カーネルの厳しい表情にも、若干の余裕が戻ってくる。

 だがそのなけなしの余裕が、一気に凍り付くのだった。周りの騎士も唖然とその光景に目を奪われる。

 スピリトも冷汗を流すしかなく、アイナは兄の変化に言葉を失っていた。


「おにい、ちゃん……?」


 それは、クオリアもまだラーニングしていない、リーベという怨念の変身だった。

 ブラックホールを失い、右手を失い、全てを失ったリーベがケラケラとむなしく笑っていた。


「また、何もさせてもらえない……たった一つの、冴えた、復讐さえ」





 まるで、魔石が放つスキルの如く、しかし壊れた音声が背後の暗黒物質から溢れ出した。

 漆黒の濁流を全身に受け、リーベの体が獣人の輪郭を忘れていく。


 "クワイエット”。

 それがリーベという魔力の塊、即ちゴースト版の名前スキルであった。


 しかしそこから生まれるのは、決して美しい魔術などではない。

 見るもの全てを嗚咽させる、醜き魔物であった。

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