第83話 人工知能、怨念と対峙する①

 世界中の影を寄せ集めたような陽炎の如き輪郭。

 目前で漂う存在が、異形であることはアイナもスピリトも理解していた。 

 だがアイナはそう分かっていても、思考を停止せざるを得なかった。

 ずっと昔に首を刎ねられた筈の兄であるリーベが、そこにいるのだから。


「アイ、ナ?」

「お兄ちゃん……お兄ちゃんが、どうして?」

「……ああ、ああ……見つけた、見つけたぞ」


 何かに飢えた顔が、どんどん近づく。

 リーベの眼には、アイナしか映っていない。


「こんな所に閉じ込められて……遅くなってごめんな……助ける、俺が、今から」

「……嘘、だって、お兄ちゃんは……私の前で首を刎ねられて……」


 覚束ない足取りで迫ってくる。

 どんどん大きくなる影を見ながら、アイナはその場で硬直していた。

 目前で壮絶な死を遂げた兄の出現で、脳内が攪拌されている。

 最愛の兄へ向けられた本能が、駆けろと囁いている。

 死人の兄へ向けられた理性が、止まれと抑えてくる。


「落ち着いて! あんな出現の仕方をしておいて、普通なわけがない!」


 アイナを一喝すると、彼女の前に陣取るスピリト。

 ゴーストについて知らなくとも、突如現れた暗黒物質から構成された存在など普通ではない。ましてや死人の姿を象っている辺り、怪しさが上限を振り切っている。

 しかしリーベは、スピリトへ向けた表情を絶対零度まで引き下げていく。


「……お前がこの檻の門番か」

「は?」

「待ってろアイナ、そいつ今から殺すから……」

「……狂人ね。姉にも、メイドにも近づけさせるわけにはいかないわ」


 アイナの絶望した表情を置き去りにして、リーベが暴走の突進を始める。

 一方スピリトの背中から長剣が引き抜かれる。クオリアとの模擬戦に使われた刃引きの剣オモチャではない。無銘ながら数多の魔物を錆にしてきた歴戦の刃。


 彼女は“聖剣聖”スピリト。

 刃の扱いにおいては王国随一を誇る。


 抜剣と同時、スピリトの短背矮躯が音速の彼方に消えた。

 “縮地”。

 その神速から繰り出される、スピリトのみに許された戦装束の乱舞。


「乱魔、


 長剣が七本。

 つまり、スピリトも七人。

 一人一人が、一刀両断の剣閃を解き放つ。

 全ての刃の向こう側に、リーベの凶相が映し出されていた。


真赤な嘘ステルス


 スピリトの視線の先から、剣閃の向こう側からリーベが消失した。


「消え……縮地!? いや違う……」


 速さではない。縮地使いのスピリトなら音速に達そうとも、目で追える。

 だが空間移動を実現する程の魔術があったとも思えない。

 一切の遮蔽物が無いにも関わらず、自分の眼がリーベを見失っている。


 と、一瞬立ち止まってしまったのが仇になった。


「……っ!?」


 勘付いて回避行動に移ったときには、もう手遅れ。

 爪跡が、スピリトの左太ももに深く刻まれていた。


「しまっ……」

「アイナが受けた傷だ。いやもっと!」

「がふ」


 怯んだスピリトの腹を、強烈な蹴りが穿つ。

 衝撃がスピリトの全身に伝播する。小柄な体が一瞬くの字に折れ曲がって、そして十数メートルの距離を弾き飛ばされる。


「スピリト様……」

「あ、ぐぐ……」


 長剣を杖に立ち上がろうとするが、それが精一杯だ。スピリトでなければ死んでいてもおかしくない一撃だった。

 だがリーベは、スピリトが完全に死ぬまで理不尽な暴力を繰り広げる気だった。

 幼い外見は、リーベを止める理由にならない。


「もっと、もっと……アイナの苦しみを味わえ」

「私はそんな傷受けてない!」


 血走るほど開いたリーベの眼も、苦しそうに開くスピリトの眼も猫耳の少女に向く。

 怒りと悲しみを同時に宿した、泣き顔のアイナが続けて叫ぶ。


「お兄ちゃんの顔を借りて……勝手な事言わないで! スピリト様を傷つけないで!」

「あ、アイナ……どうしてそんな事を言うんだ! お兄ちゃんが分からないのか!?」


 迷子のようなリーベの顔。

 それを睨みつけながら、アイナがスピリトの前に立つ。

 そして庇うように両手を広げて、肺の空気を全て吐き出して言葉をぶつける。


「あなたは誰……! どうして死んだはずのお兄ちゃんを騙ってるの……!! お兄ちゃんはもっと優しかった! こんな事をする人じゃなかった! 私の中のお兄ちゃんを穢さないで!!」

「……アイナ、アイナ……どうして、どうして」


 拒絶の言葉で貫かれたリーベの顔が、崩れていく。

 アイナと同じく涙腺を作り、やがて子供の様に泣き叫ぶ。


「あああああああああああ、あああああああああああ」


 顔を手で覆い隠し、みっともなく肩を震わしながら一通り泣きじゃくる

 そして、開いた両手の中から、殺意の塊である眼球が見えた。

 アイナの背に、冷たいものが走った。


「違う。お前は、違う」

「え……?」

「アイナはまだ12歳だ……お前、アイナに似てるだけ、誰だ、誰だ、いや誰でもいい」


 さっきまでスピリトに向けていた殺意を、今度はアイナに向け始めた。

 ずっと求めていた妹を、殺そうとしていた。


「誰でもいいんだ。もう。だって。死んでいる。アイナはいない。もういない。ごめんアイナ、俺騙されるところだった。馬鹿だから」

「……お兄ちゃん」

「だから今、アイナを騙っている悪い奴の顔、俺が皮膚を引っぺがす」


 真赤な嘘ステルスが発動し、リーベの体が見えなくなった。

 だが間違いなくそこにいる。そう確信した二人は、迫りくる殺戮者の影を仮想する事しか出来なかった。



『ガイア』

魔石回帰リバース



 アイナとスピリトを、隆起した地面が覆う。


「……いない」


 リーベが思わず立ち止まり、壁の向こうへ消えたアイナとスピリトを探していた。



『Type GUN』

「排除する」



 一条の荷電粒子ビームに、その頭蓋を貫かれるまで。


  

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