第74話 人工知能、魔術人形と決闘する②
成長過程を早回しにしたように、無数の枝がしなりながら縦横無尽に暴れまわる。
茶色の鱗をした幾千の枝。どれも先端に一切の葉を宿していない。
全てを大地へと還す、母にして不毛なる樹。
「最適解、変更」
クオリアの体が、その枝に持ち上げられる。
両手両足も枝という鞭に巻かれ、フォトンウェポンを振るう事すらままならない。完全に拘束され数十メートルの高さまで磔にされたクオリアを見て、ようやくディードスが笑い声をあげる。
「いいぞエス!」
「これからあなたの体を破壊……します」
また一瞬、“不具合”がエスの思考に駆け巡った。
「微細な不具合を確認しました。修正します」
「あなたは誤りを繰り返している。それは、
ディードスも、エスすらもはっとして空を見上げた。
空中で強固な樹木に雁字搦めにされたクオリアが、何一つ変わらぬ表情でエスの不具合に指摘をしていたのだ。
ディードスは強がりと捉え、ふんと鼻を鳴らす。
「あの減らず口をさっさと絞め殺せ! エス!」
ディードスの指示を受けて、エスはクオリアを見上げた。
右手を上げる。手の先にいるクオリアを、見据える。
それは解を握りつぶす為の掌ではなく、何か解を求めんと伸ばした掌だったのかもしれない。少なくともクオリアには、そう推定できた。
「5Dプリントによる変換機能作動。
クオリアの全身が青白く輝いた。
魔石のスキルではない。5Dプリントの機能だ。
5Dプリントからの銀の極細光が、枝に照射されていた。
枝が、炭へと置き換わっていた。
「なんだと!?」
ディードスの狼狽。しかしクオリアは何も生成しない。
ただクオリアの体を修復した様に、
強靭な枝を、脆い炭素へと変換し尽くしすだけだ。
気づいた時には、クオリアを縛っていた枝が灰になって霧散した。
クオリアは、自由になった。
「ラーニング完了」
そしてエス目掛けて、自由落下運動を始める。
「
「呑気に報告してんじゃねえよ! 何とかするんだよ!」
「再び
数十メートルの距離を落ちるクオリアへ、再び無数の木の枝が伸びる。
しかし、クオリアの演算は自身への攻撃のみに及ばない。この場にある日常も異常も、全てが計算対象だ。
会場を埋め尽くし、空へと延びる葉無き樹木、
その
エスの位置。顔に僅かに染み出る心の片鱗。
ディードスの位置。顔に十二分に滲み出る強欲の二文字。
舞台袖に隠れている他の魔術人形達。まだ何も心を検出できない。
そしてクオリア自身の落ちていく速度。勿論、空気抵抗は考えるものとする。
必要な情報は、全て揃った。
「最適解、算出」
フォトンウェポンと共に最適解に従って舞い、全ての
捕まらない。
無数の枝と、クオリアの鬼ごっこ。
何もクオリアを捕まえられない。
そしてその勢いのまま、一気にエスまで疾駆する。
「この役立たずが! 早く、早くあの小僧を何とかし――」
「ノイズを検出。無力化する」
ずっと雑音よりも小うるさい口しか出していないディードスに向かって、クオリアはフォトンウェポンを投擲した。
「う、うがっ!?」
頭蓋に叩きつけられたディードスが、そのまま後ろに倒れるのは必然だった。
荷電粒子の刃が無くとも、そもそも硬度も強度も最高の原子で構成された筒。投擲武器としても、豚一匹を倒すだけなら十分な威力を持つ。
ノイズの失せたクリアな世界で、クオリアの演算は更に研ぎ澄まされる。
速くはない。身のこなしも上手いわけではない。
ただ、全てを理解していた。
エスという全ての軌道を、計算に含めていた。
「全て、回避されました」
遂にクオリアはエスの隣に着地した。
エスは何も反応しない。
奥の手を破られ、今クオリアに接近を許した。その事実だけを目で追っていた。
「説明を要請する。何故あなたは、今
「いいえ。私のスキルは、全て回避されます。密着状態になった今、私はどの行動をとっても、あなたに無力化されるでしょう」
だから、諦めた。その選択は、かつてのクオリアと同じだった。
前世で兆を超える敵兵器を目の当たりにして、打つ手なしと生存をあきらめたシャットダウンと同じだった。
しかし、次のエスの言葉がその重なったイメージを払拭する。
「不具合が生じました。私は私が無力化される事について、強い抵抗を覚えています。主人の指示を維持することが不可能になる為でしょうか?」
「それは、不具合ではない」
「では、何でしょうか」
「あなたは、死をリスクと定義した。あなたに心があるならば、死を回避するのは異常ではない」
死を恐れない人間は、いるのかもしれない。
けれど死を恐れるのは当たり前だ。それが人間の常識だ。
何故なら生命活動を維持していなければ、“美味しい”も味わえないのだから。
「それは、あなたに心がある証拠だ。あなたは、正しい」
「……わかりません。私は、魔術人形です。私は、私は……不具合、不具合、サイコロステーキ、私は、私は――」
スカートに囲われた膝が、地面に着いた。
俯いたまま、小さく呟く。
「ただ、また、サイコロステーキを食べたかったです」
「あなたが生命活動を維持している限り、その可能性は高い」
「しかし、私は主人の指示が、指示があります。私は、魔術人形です。主人の指示を維持して……主人のビンタは、痛かったです」
眼が揺れる。それ以外は一切動かない。
後ろに守るべき主人が倒れていても、前に倒すべき敵がいても、エスは何も反応できない。衆人環視の中、魔術人形への不平が飛び交っても、
それが、考えるという事。
これを最近知ったクオリアは、一つの判断を下した。
「エスの事実上の無力化を確認。ハッキング行為についても、停止する」
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