第66話 人工知能、命のバックアップを作動する①
ただ、
「……俺の動きを、あと2回で見切るだと」
「肯定」
「クオリア、説明してください。お前からはリーベの動きは目視出来ません。しかし、何故リーベの動きを分析できたのでしょうか」
当然のエスの疑問だった。見えなければ情報は入ってこない。
分析どころの話ではないし、学習するための材料もない。
だがクオリアは全身を示しながら、質問に回答する。夥しい爪による裂傷、蹴りや殴打による青痣。全て致命傷を辛うじて避けてきたというだけで、これまでの戦闘が全て不利だったという証に過ぎないものだ。
「
「……損傷……傷……?」
クオリアがこれまでラーニングの情報として検知していたのは、自身の傷だった。
「自身の損傷から、あなたの接近までの軌跡、接近時の体勢、攻撃時の挙動、攻撃後の受け身を予測分析した」
予測の損傷個所。予測の損傷深度。予測の損傷角度。予測の損傷模様。
それらと実際の損傷、更に探知機からのリーベの位置情報、荒れ果てた地形を全て統合的に計算し、リーベの動きをシミュレーションしてはフィードバックして実際のものに近づけていったのだ。
「わざと、俺の攻撃を受けてたってのか」
「否定。あなたの攻撃は認識不可の為、エスに損傷を与えない条件での完全な回避は困難だ。その為
傷を帯び続けた結果が、“見えない筈なのにリーベに攻撃が当たる”という状況。
シミュレーションの仮想と、
真赤な噓は、とうの昔にラーニングされつつあった。
「……信じられるか」
リーベの姿がまた認識出来なくなった。
「アイナが生きているなんて酷すぎる嘘を言ってしまえる、ひどい奴の言う事なんて」
「アイナは生きている。あなたは誤っている」
「いなかった。アイナは、あの檻に。奴らは俺の次、俺の首を落としたら、殺すと言ってた、狂信者、いっぱい血が、いっぱい、アイナの匂いが、あの檻に、あの子がまだあの檻に」
次の瞬間にはリーベが再び転がっていた。
足を焼き裂かれている。
「予測との誤差2%。次回の防御にフィードバックする。あと1回の、あなたの攻撃をインプットに最適解の算出を予定する」
淡々とラーニング結果を示し続けるクオリアに対し、明らかに深手の左足を無視してリーベが歩き始める。
「ああ、助けなきゃ。アイナが、あの檻、泣き声が響く。でも、もう、あの檻から鳴き声は聞こえなくなった。土の、ジメジメした、血塗れの、拷問を受けた跡しか。待ってろ、大丈夫、みんな、俺が、殺して」
「アイナは檻にはいない。拷問を受けていない。あなたは意味不明の言葉を反復している」
ブツブツと呟く言葉に、一貫性は無かった。
眼の下の隈が、一層深く刻まれつつあった。焦点が定まっていない。
その瞳は、エスへと向けられる。
「お前、アイナじゃない。紛らわしい」
リーベが
その軌道はあまりに支離滅裂で、しかし研磨された速度で縦横無尽に飛び回る。
だが、探知機による補足結果は、確実にエスへ近づいていることを示していた。エスは接近するリーベに気付くことが出来ない。このままだと、エスがリーベの爪の餌食だ。
「状況分析。左足の損傷具合と矛盾した速度を実現している。しかし健全状態と仮定した、エスへの攻撃挙動予測に変更はない」
それも予測に含めていたからこそ、クオリアは動く。
眼を見開いたまま、瞬きも出来なくなっていたエスへ駆ける。
リーベが持つ古代魔石との位置情報と、交差する。
「もう、みんな死ね」
「予測修正なし」
交点で、血飛沫が舞う。
大量の鮮血だった。致死量の血液だった。
だがエスに傷は無い。リーベの爪が貫いたのは、エスの華奢な矮躯ではない。
クオリアの心臓だった。
「クオリア、私は理解が出来ません。何故あなたは私の代わりに、致命傷を受けたのでしょうか」
飛び散った血が、エスの頬にかかる。
エスが見上げた先、深々と左胸を爪に抉り貫かれていたクオリアは、血を吐きながらその問いに答えた。
「『あなた達が自分の最適解を得るまで、あなた達の生命活動は
胸の部分が煮えたぎるように熱い。
視界が急に揺らめいていく。演算するための脳にエネルギーが回らない。
しかし、やはりクオリアにとっては痛いと喘ぐには足らない。
アイナがアロウズに足蹴にされたあの時に比べれば。
マインドの首が落とされたあの時に比べれば。
自分の肉体を改造しようとした際に見せた、アイナの泣き顔と比べれば。
そして、目前ですっかり“死んでしまった”リーベと比べれば、この程度の致命傷は大したことなかった。
「嘘つきを仕留めた……もうこれで何も出来なくなった」
勝ち誇った顔をするリーベに、クオリアは一言だけ告げた。
「誤差0%。
そして、クオリアは仰向けに倒れた。
糸の切れた人形の様に、スクラップにされた兵器の様に、何より生命活動を停止した人間の様に――最後に今にも泣きだしそうな曇り空を視界にとらえて、瞼を閉じた。
呼吸停止。心臓破壊。
狂人の領域に入りつつあったリーベも、十分に確信できることだった。
すっかり表情が固まったエスも、十全に下せる判定だった。
守衛騎士団“ハローワールド”クオリアは、今度こそ完全なる死を迎えた。
「クオリア、クオリア、目を開けてください」
にも拘わらず、エスは自分でも理解不能な行動を繰り返した。
もう蘇生の見込みのないクオリアの体を揺する。
魔術人形の思考回路に、僅かながらバグが生じていた。
「お前も殺してやるよ……アイナがどれだけ苦しんだか教えてやるよ……一人でも多く、人間とその味方共を道連れに……!」
その背後から、リーベが突こうとした時だった。
『
それはクオリアがあらかじめ仕込んでいた、不死身の仕様を告げるアラートだった。
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