第62話 人工知能、魔術人形とよく似ている。だからこそ①
魔術人形は外見では基本的に見分けがつかない。
戦闘時ならば点灯する胸の魔石で判別は出来るが、ただ道端を歩いている分には擦れ違っても気づくことは無い。今のエスの様に雑踏を堂々と横断しているのがいい例だ。首元までしか伸びていない短い黒髪。その前髪の下、整いながらもあどけなさが拮抗する顔。まだ成長し切っていない体格や背丈。12、3歳程度の人間の少女にしか、周りには見えないのだ。
クオリアのような、肌で魔力を感じる事を意識できるイレギュラーでもない限りは。
「……」
エスは立ち止まって、何かを聴き取っていた。
役割を果たすための情報を、インプットする為に。
「エス。説明を要請する」
「はい」
クオリアが声をかけたのは、その時だった。
注意を走らせながら、見知らぬ筈のクオリアと難なく会話を続ける。
「あなたはディードスから獣人の生命活動を停止させる指示を受けているか」
「はい。私は
嘘をついていないか確認するまでもない。
変化のない表情から、純粋無垢な値しか読み取れない。
「その指示は誤っている。あなたは獣人の殺害をしてはいけない」
「獣人の殺害を止めるには、
『ガイア』
しかし直後、エスの体が不気味な程に警戒の体勢を取る。
胸の上部から緑色の光を迸らせ、伸ばした右手に光を集約させる。
“スキル”発動の言霊も忘れない。
「
だがエスは攻撃を中止した。
視線の先には獣人も魔物も存在しない。
ただ奇異な物を見るような目線をした、屋台の店主がこちらを見ているだけだった。
エスは、その店主が鉄板の上で焼いていたものを見つめる。
串に貫かれた四角い肉が数個、鉄板に肉汁を滴らせて蒸発音を迸らせている。
「あの音が、魔物の啜る声と類似していました」
「あなたは誤っている。あれはサイコロステーキと推察される」
「サイコロステーキとは何ですか」
「肉料理の一つに登録されている。説明を要請する。あなたは食べた事がないのか」
「いいえ。私は食べた事がありません」
食べた事がない。それを聞いてクオリアは一つの懸念を示した。
魔術人形は、“美味しい”を感じたことがない可能性がある。
「説明を要請する。魔術人形は食事が出来るのか」
「魔術人形に食事は必要ありません。魔石より疑似肉体の維持に必要な成分は供給されます」
「説明の要請を変更する。魔術人形は食事に関連する機能を持っているか」
「はい。魔術人形の肉体は、全ての構造が人間と同じです。私の場合は、女性と同じ構造をしています。食事に必要な機能も有しています」
「ならばあなたは、一度食事をするべきだ」
「それは、何故ですか」
「あなたは“美味しい”を認識する必要がある」
「“美味しい”とは何ですか」
それを聞くと、クオリアは屋台で一串のサイコロステーキを買う。
自分で食べることはせず、串をエスの口元にもっていくのだった。
しかしエスの唇は開かない。ぷにぷに、と桜色の唇に肉汁が着く。ようやくエスの口が開き、そこに一口サイズのステーキが突っ込まれた。
「口の中に、言語化不可能の感覚が広がります」
「それが“美味しい”だ。あなたは“美味しい”を理解した」
「何故お前は私に“美味しい”を教えたのですか?」
不器用に咀嚼しつつ、食事中の口内を隠すこともせずエスが質問した。
まだそれがマナー違反である事をラーニングしていないクオリアは、指摘することなく返答する。
「あなた達が道具ではなく、生命活動を内包する肉体だからだ。その場合、“美味しい”を知らない事は重大な生命活動における障害となる」
「私たちは道具です」
「魔術人形は人間や獣人と同じ、生命活動の定義が当てはまる」
「私たちは道具です。魔石にその情報が記載されています」
「情報は、ラーニングによって変更される。その情報は、あなた達魔術人形が何者か決定づけるものではない。あなた達が何者か、決定権を持つのはあなた達だ」
クオリアも、エスと似た棒読みで言葉を吐き出していた。
だがもしここに誰かがいれば、理解したことだろう。クオリアとエスの棒読みには、決定的な違いがある。
「“美味しい”は自分の役割を決定するうえで、非常に重要な情報を持っている。故に、
「お前は誰ですか」
「本個体は守衛騎士団“ハローワールド”の一員、クオリア。ただしその前は、人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”として活動した」
「人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”とは何ですか」
「地球という異世界で、魔術人形の役割を担ったハードウェアだ。だが人間に転生し、アイナに“美味しい”を教えてもらった為、自身の役割に気付くことが出来た」
機械の個体から、人間の肉体から転生してクオリアは自我に目覚めたわけではない。“美味しい”という0と1でも表せない概念を知ったのが、そもそもの始まりだった。
だからこそ、同じやり方が魔術人形にも通じると踏んでいた。だがこの時ばかりは、クオリアの最適解も見込みが甘かった。
エスのあどけない表情に変化は見られなかった。
「“美味しい”を感じる事よりも、主人からの命令を果たす方が優先されます」
エスからの希望ない返事に、クオリアは魔石へのハッキングを決断する。
足枷になっているディードスからの指令を魔石から取り除く。先にすべきことはそっちだったとフィードバックしながら、エスの胸に手を伸ばす。
だが直前、エスは口にした。
じっと、クオリアの左に握られている串差しのサイコロステーキを見ながら。
「残りのサイコロステーキは、私に食事させないのですか」
ぴく、とクオリアの手が止まる。
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