第35話 人工知能、デートする
翌朝、クオリアは同行するアイナの買い物ルートに沿って王都を歩いていた。
「説明を要請する。あなたは何故、帽子を被っているのか」
「猫耳を隠す為です」
白いハットの帽子を下へ引っ張る。
帽子から伸びた亜麻色の髪が、少しだけ沈む。
「上手い獣人ですと、変身の魔術を使って耳を消したり出来るんですけどね……」
何故アイナが猫耳を隠さないといけないか、その理由をクオリアは認識している。
獣人故に、周りの人間が差別行動を起こすからだ。
ただし、ならば何故“差別”があるのかは、いくら演算しても解は出ない。
「……帽子、良かったりしますか?」
照れくさそうに、帽子を押さえながらアイナが聞く。
しかしクオリアは、乙女心に無頓着な機械的返答をしてしまった。
「
「……えっと、そういう事じゃなくて……もう、クオリア様は真面目ですね……悪い方にも」
「あなたから“美味しい”が検出できない」
「もう知りません……」
アイナが口をへの字にして、笑顔を薄めてしまった理由も解は出ない。
それでも、クオリアにとっては美味しい顔を創る事が至上の命題であり、その演算にタイムアウトは存在しない。
「状況分析。
「く、クオリア様……」
白髪の影のせいではなく、心なしかクオリアの顔が暗くなっていた。
「状況分析。処置として、あなたへの謝罪の言葉を発声する」
「えっ、えっと……」
「“ごめ、んなさ、い”」
人間の文化をラーニングし続けているが、戦闘以外で人間の“美味しい”を創る最適解が中々完成しない。
もっと、人間としての経験をラーニングしなければならない。
笑顔を創る方程式、即ち心の最適解を自動算出するために。
そんなクオリアの表情の機微をつぶさに読み取ったアイナは、呼応するかのように申し訳なさげな表情になっていた。
「……私の方こそ、ごめんなさい……」
「エラー。あなたは誤っていない」
「いえ……ロベリア様からもお召し物お借りして、こんなお洒落して外に出るのも初めてだったので……私が勝手に浮かれてしまったのです」
アイナはぐっ、と拳を握りしめて自ら鼓舞するように続けた。
「今日はクオリア様の大好きなカレーにしますからね! それで美味しいって言っていただければ、満足ですっ」
「肯定。カレーは美味しい」
その後、丁度カレーやらその後の献立の食材を市場で買い、同時にクオリアは王都の地形を認識し、学習していた。
アイナがある小さな店で野菜を手に取っていた時だった。
「あんた、獣人かい?」
その店主である女性からの声に、アイナの顔が凍り付く。
クオリアも警戒すべき事態と判断し、最適解を算出し始める。
二人の様子に少し驚いたのか、おいおいと声を漏らしながら店主の女性が続けた。
「目くじら立てるこたぁないだろう。獣人だなんだ、一々客を差別するなんて馬鹿馬鹿しくてやってらんないよ」
「……」
アロウズやトロイ第五師団のような、獣人を見下すパターンではなかった。
アイナは思わず肩の力を抜き、クオリアも最適解の演算をストップする。
「でもそうやって強張るって事は、今まで相当酷い目にあってきたんだねぇ。こいつは興味本位で聞いて悪かった」
「いえ……」
「その詫びといってはなんだけどね、髪の結び方教えてあげるよ」
意外な提案に、アイナが眼を見開く。
「帽子なんて被ってたら、折角のいい髪も、べっぴんさんも宝の持ち腐れだ。これでも嫁入り前は名の知れた美容師やっててさ。
「え、あの……」
「こっちおいで!」
半ば強引に、アイナが店の奥へ引っ張られる。
いつものクオリアならば“脅威”として、女性店主に攻撃を行っていた筈だ。
だが今のクオリアの最適解に、その選択は無かった。
「状況分析」
知らぬ間にアップデートされていた価値観へ思いを巡らせながら、直立不動で店内に佇んでいると、奥からアイナが戻ってきた。
「人間認識。アイ……」
口から零れた記録がピタリと止まる。
確かに、緊張しながら奥から出てきたのはアイナだ。しかし微かながら雰囲気が違う。
亜麻色の髪に、まとまりが無くなっていた。
しかし主張の強い無数の線が、髪型全体を押し上げていた。
ふわふわ。ゆるゆる。
猫耳も隠すその髪型からは、そんな印象を醸し出していた。
上目遣いに、震える瞳がこちらを向く。
「えっと……どう、ですか」
「美味しい! 好き!」
「……!?」
反射的に口から感想が漏れていた。
桜のように頬を染めた少女の前で、自分のエラーに気付く。
「状況分析……
「何よその感想! そういう時はね、可愛いねって言ってやるんだよ、ボウヤ」
「可愛い……“可愛い”を認識した……。本事象は障害ではなく、“可愛い”……」
「うれ、嬉しいです……ありがとう、ございます……」
女性店主の笑い声の中、一つの“美味しい”笑みと、一つのラーニングがあった。
昨日風呂でロベリアとスピリトの裸を見た時のそれとは違う“ドキドキ”が、そこにはあった。
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