第33話 人工知能、「好き」について考察する

 クオリアはアイナの部屋を訪れていた。

 入室する前に、ノックをする常識は身につけた。

 

「クオリア様、どうなさいました?」


 アイナはまた丁度書いていた“日誌”を隠すと、思い出したようにクオリアに逆に尋ねる。

 

「あっ、スピリト様からハローワールドの事、承認は貰えましたか?」

「肯定」


 アイナの耳がぴこん、と垂直になる。


「……やった。夢にまた、近づいたじゃないですか!」


 自分事のようなアイナの喜びようの一方で、クオリアは無表情のまま、しかしどこか変だった。

 表情も声も、抑揚に乏しいのはいつもの事だ。

 しかし歓喜から冷静に移るアイナは、クオリアの若干の誤差も見逃さなかった。

 

「どこか、具合悪いですか?」

「肯定。あなたの言う通り、先程から自分クオリアの演算機能に不具合が生じている。先程ロベリア、スピリトと浴場で会話した際に、発生したと推測される」

「よ、浴室………あっ……」


 察してしまった。そう言わんばかりに、再びアイナの耳が立ち始めた。

 顔も赤らめている。

 “イケナイ”を察知した、真面目な少女の反応である。

 

「ロベリア様……そういうところはちゃんと配慮するって言ってたのに……もしかして、それですごくエッチな事考えるようになってしまったんですね」

「不明確。しかし演算にノイズが発生している。ロベリアとスピリトの裸を想起するようになった」

「……女の子はそういうのを聞くと、嫌いになってしまうんですからね」


 アイナが美味しくない顔をしていたのを見て、クオリアの中で改善に対する優先度は強くなった。

 しかし少し諦めたような顔になったアイナの指が、クオリアの頬に優しく触れる。

 

「でも、だからって自分が落ちこぼれだとか、結論を付ける必要は無いですよ。逆に健全とも言えます。その気持ちは、いつかクオリア様が好きになった人を愛するために使うんですから」


 少しクオリアが遠くなったようなアイナの顔も、クオリアにとっては“美味しくなかった”。

 

「エラー。“好き”という単語は登録されていない」

「好きというのは、その人と一生一緒に、人生を歩んでいきたいっていう気持ちの事です」

「“好き”を認識した」


 クオリアは何かを思いついたかのように、眼を大きく見開く。

 じっと見つめられて赤くなったアイナを、穴が開く程に見つめる。

 

「そうであれば、自分クオリアは、あなたを“好き”と認識する」

「……! ちょ、ちょ、ちょちょ……!」


 不意を打たれてアイナがよろけると、一瞬クオリアから距離を取る。

 その純粋な“好き”は、心臓が鷲掴みにされた反応をさせた。

 

「むむ……く、クオリア様はまだ記憶が混乱していると思います……“好き”って事は、もう少し考えてから決めるべきだと、思います」

「状況理解」

「……この前は家族みたいって言うし……最近のクオリア様は……ちょっとストレート、すぎます……嬉しいです、けど」


 最後の言葉だけは、かなり小さく発したためにクオリアも聞き取れなかった。


 暫くして、眼を細めて顔を逸らすアイナの顔から赤みが消えるのを待って、クオリアが“好き”を学習するためにアイナに質問する。


「説明を要請する。ロベリアとスピリトも、“好き”の関係か」

「あの二人は、家族として互いを大事にされているのかと思います。さっき私が言った“好き”とはちょっとだけ違いますね」


 あまりうまく言えないんですけど、とアイナが付け加える。

 しかし、好きと家族がイコールではない事はクオリアも理解していた。サンドボックス家の例がある。


「説明を要請する。アイナにも、ロベリアとスピリトのような関係の家族はいるのか」


 一瞬、アイナの言葉が詰まった。


「……いました」


 アイナは窓の外を見つめながら、寂しそうに続ける。

 

「物心つく前に、両親は人間に殺されました。そして兄と私は“”という、小さな獣人のコミュニティに入り……、あの頃は、兄だけが私の頼りでした」

「説明を要請する。あなたの兄は」

「……3年前、人間に殺されました」


 クオリアの言葉に先回りして、アイナがどこか寂しい笑顔で答える。

 

「だから今は、クオリア様だけです。私に家族と言ってくださるのは」



 その蒼天党が今、王都郊外で集会を行っている事を、この二人は知る由もない。

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