第31話 人工知能、男の子だった①

 また浴場に呼び出された。

 相変わらず服を着たまま、揺れる温水の前に佇んでいた。

 眼も瞑って少女の裸体を見ないように、配慮リスク回避も怠らない。

 

「本当に服着たままお風呂に来てるー……! しかし目瞑ってる紳士っぷり……! 何このイレギュラー極まりない光景……! 突っ込みどころしかない……!」


 スピリトだけでなく、抱腹絶倒の一歩手前で必死に踏み止まるロベリアも湯に浸かっていた。

 擦れる音の具合や水面の音から状況判別するに、彼女もタオル一枚しか巻いていない。


「説明を要請する。ロベリアも何故ここにいるのか」

「んー? ここ私の家だし。入浴時間くらい私の好きにさせて。私のことはお気になさらずー」

「……久々に見たけど、まだ成長期なの?」


 湯船に浮かぶ姉の遠慮ない膨らみを憎らしく睨みつつ、自分の無念な胸を隠すタオルが取れないか心配するスピリトとは違い、異性がいるにもかかわらず伸び伸びとロベリアは湯を満喫していた。


「それにしてもアイナちゃん誘ったんだけどさー。少女三人の水浴びでクオリア君の鉄仮面剥ぎ取りたかったんだけどねぇ。そんなに尻尾を見せるの嫌だったかな?」

「いや、あの子はお姉ちゃんと違って絶対恥ずかしいだけでしょ」

「むー。アイナちゃん、元の家サンドボックスではクオリア君に付きっ切りだったんでしょ? あんな美少女といつも一緒じゃ、そういう間違いだって起きててもおかしくない思ったんだけどね」


 興味深そうにクオリアを見上げながらも、閑話休題と言わんばかりにロベリアが本題に移す。


「それで? スピリトはどうしてクオリア君を少女の聖域に呼んだのかなー?」


 昨日に続き、スピリトがクオリアを胸襟開いて話す“大事な事”。

 スピリトは、一度深呼吸をして、眼は瞑れど耳は塞がぬクオリアに伝える。

 

 

「クオリア。参ったわ」

 

 

 それは、クオリアがハローワールドとしての活動を許可された瞬間だった。

 しかし一喜一憂を知らないクオリアは、その『参った』の真意を淡々と探る。

 

「エラー。先程の模擬戦闘にて、あなたが『参った』を発言しなかった事実と矛盾する」

「トロイ第五師団との戦闘を見て、君を認めた。それでどう?」


 理由は、どうでもよかった。

 スピリトは、クオリアを認めた。それだけの事だ。


「了解した。『参った』を承認した」

「けど、私は師匠であなたは私の弟子。それは変わらないんだから」


 40度の水面の中で腕組をしながら、せめてものプライドを示すスピリト。

 しかし上下関係という概念も無く、合理性を重視するクオリアに断る理由はない。スピリトの戦闘データが必要なのは、『参った』を受けた後でも変わらない。


「肯定。明日の模擬戦闘を要請する」

「見てなさいよ。明日は君に参ったを言わせてやるんだから」

「しかし、時間の指定がある。明日は午前、アイナと共に王都の地形データを学習する。よって、模擬戦の時間は午後を指定する」


 小さく笑うロベリアが事情を解説した。

 

「アイナちゃんの買い物の付き添いでしょ。いわばでしょ」

「エラー。“Date”は日付を意味する単語として登録されている」

「違う、そうじゃない」


 えぇ……という声がスピリトから聞こえた。クオリアには見えないが、かなり引きつっている。

 ロベリアも苦笑いしながら、人間の先輩としてフォローするのだった。


「要するにちゃんと男の子として、アイナちゃんが“美味しい顔”になるよう気を付けなねって事。女を置いてきぼりにする男、お姉さん好きくないぞ」

自分クオリアの役割は“美味しい顔”を創る事。いかなる時も、それを最大の目的として判断する」

「本当に分かってるかなー、女の子は理屈じゃないぞ」


 ロベリアは湯の縁に腕枕をしながら呟く。

 面白がってはいるものの、若干の疑念を抱いたジト目がクオリアの塞がった瞼を見る。

 

 クオリアはそれよりも、ハローワールドとしての活動が解禁された事をトリガーとして、スピリトへの提案を優先した。


「提言する。スピリト、あなたにハローワールドとしての役割を担う事を推奨する。あなたの戦闘力や信頼度は、ハローワールドとしての活動結果を最大限に高める」

「それは断っておくわ。私もやりたい事が改めて出来たから」


 スピリトは迷いなく断るも、少し希望を含んだ笑顔で続ける。

 

「ハローワールドの創立を切っかけに、お姉ちゃんは更に獅子身中の虫の範囲を広げると思う。だから私はお姉ちゃんの護衛として傍にいる事にしたわ。刺客から守ったり、やりすぎないように見張ったりもする」


 スピリトは湯船から上がり、クオリアの真正面に立つ。

 身長差にして30cm。クオリアはゼロの視界で、石鹸の匂いが胸元にある事を感知する。

 しかし水滴塗れのスピリトが、タオル一枚の危険な格好を自覚し紅潮している事は感知していない。


「き、君もロベリアお姉ちゃんの指揮下にある以上、お姉ちゃんを気にしながら戦わないといけない事が多いと思う。でもその役目は私が専門でやるわ。だから君はハローワールドに100%集中しなさい……師匠として、半端は許さないんだから」

「了解した。“あ、りがとう”」


 暗中模索で探り当てた、人としての言葉。人工知能は中々慣れない。

 ロベリアもひとまず落ち着いたと言わんばかりに、リラックスする。


 ここからは、湯船が癒やす脱力タイムだ。


「にしても、本当に目開けないねぇ。一応言っとくけど、今君の前に湯浴みしている美少女が二人いるんだよ? タオルで隠してるとはいえ、こんなチャンス無いよ? 本当に目開けても誰も責めないよ?」

「そりゃ……目、開けてほしくないけど……」


 タオルを必死に庇うスピリトを見る事無く、真一文字の瞼のままクオリアが返す。

 昨日スピリトに言った内容と、一言一句同じだ。


「否決する。瞼を開けると、裸のあなた達が見えてしまう。それは女性であるあなた達への不利益な行為となる」

「……本当に女子おなごの裸に興味示してませんな。結構中性的な顔しているけど、実はクオリア君、女の子説ある?」

「エラー。自分クオリアは男に分類される」


 サンドボックス家で読んだ魔術書で、女性の体の造りについてもラーニング済みだ。しかし、色欲の機能は呼び起こされなかった。

 人工知能時代、機械仕掛けの世界において、演算や判断を惑わす様な色香を持った存在はいなかった。そもそも、人工知能には男女という性別も無ければ、子を残すという本能も存在しない。


 だから、デートという概念も分からない。


「お姉ちゃん、これ以上は強制する事でもないって。大体私は色仕掛けなんてつまんない事のために一緒に風呂に入ってんじゃなくて、ちゃんとした礼儀として裸の語り合いをしたいから――あっ」

 

 そこから先は、クオリアの最適解にも、含まれていない事項だった。

 界十乱魔による肉体疲労が、スピリトの膝から力を僅かに奪っていた。


「わっ、やばっ」


 結果、滑って身長140センチにも満たない小さく細く儚い少女が一瞬宙を舞う。


「最適解変更」

 

 スピリトの異常を感じ取ったクオリアが行動を始める。

 それまでの最適解を捨てて眼を開かないといけない。

 つまり、自分の両手に肩甲骨と尻部分を掴まれたスピリトの前面を、クオリアは遂に視界に捉えた。

 タオル一枚でギリギリ守られた未知の世界が、クオリアの視界と触覚に広がっていた。


「エラー……エラー……エラー」


 

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