第30話 人工知能、王女の戦う理由を知る

 歩いて数秒で、クオリアの体がよろめいた。

 察知したスピリトが先回りして、クオリアの肩を押し返す。

 

「エラー。強力な重力場を検出。肉体ハードウェアの可動に制限が発生」

「……君、私に偉そうに言っておいて、自分の疲労の事考えてなかったでしょ」

「認識。これが“疲労”か。5Dプリントによる緊急メンテナンス作動……エラー、“疲労”の解消、不可」

「どうやら君の回復魔術、疲労には通用しないみたいね……」


 人間の疲労は、金属の疲労とは毛色が違うらしい。傷を癒すのと同じやり方では、5Dプリントを使ったメンテナンスは不可能だという事が分かった。

 察しながら肩を貸すスピリトに、クオリアは適切な言葉を探す。

 感謝の言葉を探す。

 

「“ありが、とう”」

「どういたしまして」


 そんな二人を見て、模擬戦の結末がどうなったのか察したロベリアの笑窪に、安心の二文字が刻まれた。

 

「クオリア君、勝てたみたいね」

「……」


 居たたまれないと言わんばかりに逸らしたスピリトの顔。

 返事をしたのは、クオリアだった。

 

「状況説明。本日時点ではスピリトに『参った』を承認されていない」

「それならもう心配ないわよ。ね、スピリト」


 スピリトは顔を明後日に逸らして、話題を切り替えるのだった。

 

「……どうやってカーネル公爵に取り入ったの? 確かに、ある意味では公正かもしれないけどさ、私からすれば十分に危険人物だよ。とてもただでお姉ちゃんに味方してくれるなんて思えない」

「勿論語るも涙聞くも涙の紆余曲折があったよ。今も面倒な課題は山積してるしね。ほら、ヴィルジン派のカーネル公爵もそうだけど、ルート派の方々も虎視眈々とやりたいようにやる曲者揃いだし」

「……ルート派にも、通じてるのね」

「……私は王女としての血も権力も十分じゃないなら、こうやって獅子身中の虫になるしかないって事。これが今の私の戦い方」


 ロベリアの笑顔に、屈託は一切存在しなかった。

 純真無垢が眩かったかのように、スピリトが伏し目がちになる。


「心配なのよ……怖いの。お姉ちゃんのただいまが無い日が」


 スピリトの小さな吐露が、帰り道に小さく染み渡る。

 

「どうしてこの国を変えようとしてるの。なんでそんな正義の味方みたいになっちゃったの」

「多分スピリトと同じ理由だよ」

「私と同じ理由……?」

「今、アカシア王国は……いや世界は、最悪だと思う」

 

 茜色になり始めていた空を、ロベリアは見上げる。

 同時に、ロベリアの屋敷に三人は辿り着いていた。すぐに邸内には向かわず、裏庭に向かう。


 裏庭の、墓。

 斜陽で伸びた十字架の影を、物寂しそうにロベリアが見つめる。

 

「だって……ただ路上歩いてるだけで、殺されたんだよ。あの子」

「認識。ロベリアの“家族”」

「“ラヴ”。それがあの子の名前だった」


 十字架の下に刻まれていた“R.I.P LOVE”を、クオリアは見つける。

 愛という心を連想させる名前だった。


「あの子ね、ここのメイドだった。でも王女なんて有名無実の名目しか持たない私よりも、この世界の事について、よく考えてた――人間でも、獣人でもないのに」


 最後の言葉にクオリアが引っかかる前に、ロベリアが続ける。

 

「良く言ってたのよ。人も獣人も、そしてラヴ達も心から笑える世界になればいいなって。そんな世界だったら、外交の駒いいなずけとして動かされるだけの人生にはならないって。あはは」


 理想とも、ユートピアとも揶揄できそうな願いだった。

 ロベリアはそんな世界像を語って、乾いた笑いを一通り放つ。


「……そんな世界だったら、ラヴは死ぬことは無かった」

「……」

「……スピリトもいつか流れ弾に当たって死ぬかもしれない。いくら“聖剣聖”でも、真正面から圧倒できても、狡猾さや物量で上回る奴らはわんさかいる。そんな世界……放っておけると思う?」

「……」

「私に残された、たった一人のスピリトが死ぬ世界を、私は放ってはおけない」


 夕陽を背に、ロベリアは頼りなく笑って見せた。

 

「でも、私も死なないよ。ちゃんとスピリトの所に元気な姿で帰ってくる。ちょっとずつ、ラヴが間に合わなかった夢を実現させながら」


 きっと晴れだろうと、雨だろうと、朝だろうと昼だろうと夜だろうとロベリアは笑っているのだろう。

 スピリト以上の覚悟を背負って、誰かを失う恐怖と戦いながら。


「ほら、家族失うの、辛いじゃん?」


 ロベリアはそう言って「さーご飯ご飯!」と背伸びしながら屋敷へ帰っていく。

 その背中を見て、スピリトは観念したように深呼吸をする。

 

「クオリア、後で風呂に来て。話があるわ」

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