第26話 人工知能、しかし傷つけない

「……剣を振るいなさい。この立ち合いは、あなたの勝ちよ」


 観念した声が、密着したスピリトから聞こえる。

 当然剣を振るえば、刃引きされていてもスピリトは傷つく。

 だが彼女の眼は、狼狽えながらも覚悟していた。

 

「否決する。その選択は誤っている」


 動かない、喉に当てられた刃。

 それを見下ろすスピリトの眼が、血走る。

 

「舐めないでよ……傷つけられる覚悟なんて朝飯前に終わってるわよ!」

「あなたに損傷を与える事は、有益ではない」


 剣士の意地や、人間としての“けじめ”の学習は不足している。

 だがそれでも、クオリアにとって一番の最適解を選択し続ける。

 スピリトに反撃を一回もしないのは、その選択ゆえだ。


自分クオリアの目的は、あなたに『参った』を承認させる事。あなたを無力化する事は、目的でも、取るべき手段でもない」


 噛み締めるスピリトの唇から、血が滴る。

 汗に混じって、涙が小川のように頬を伝う。

 

「……正直、私じゃあなたには勝てない……それだけは、認めるしかない……でも、それだけは言う訳にはいかない……」


 強く瞑る瞼が、獅子身中の虫たる姉への心配を示していた。

 爪が喰い込む拳が、負けを認めない自分への不甲斐なさと失望を表していた。


「それを言ってしまったら……お姉ちゃんは……」

「回答を要請する。まだ段階は、『参った』には至っていないか」

「……」


 苦々しい顔で、沈黙で返すスピリト。

 

「ならば明日、再度模擬戦闘の実施を要請する」


 あっさりと、スピリトの喉元から模造剣を離してしまった。

 自ら武器を降ろしたクオリアの淡々とした物言いに、スピリトが息が詰まったような表情で見上げる。

 

「文句はないの……?」

「エラー。“文句”は登録されていない」

「君だって分かってんでしょ!? 君の成長は、私を飛び越した! 信じられない事だけど……私が生涯かけて取得したたった一つの剣術すら、もう君には届かない! 君の方が強いのは分かってるのに、私が『参った』を言わない事に不服は無いのかって事よ!」

「あなたは誤っている。自分クオリアよりもあなたの方が強い」

「だったら……………………へっ?」


 不意にスピリトから声が漏れ、苦笑いの笑窪が顔に刻まれる。

 

「いや、いやいや……だって私の界十乱魔、通じなくなって……」

「馬力、移動速度、稼働速度の面で、あなたのスペックは自分クオリアを上回っている。自分クオリアは、あなたを無力化できる最適解を算出出来るようになったが、その前提に変更はない」

「だけど……」

「この状態において、あなたが承認しない事に、矛盾エラーは存在しない」


 それでもクオリアは、スピリトが承認しない事も計算内だった。


 直近のタスクとしてスピリトから承認を貰う事を目的としてはいる。

 今の状況を望ましいと考えていない。


 しかし、その先の目的も見据えている。

 人々の笑顔を、美味しい顔を創るという目的を見据えている。


 だから愚直にクオリアはラーニングを続ける。勝利は目的ではない。

 強いて言うならば、どんな笑顔も守れる“最強”を通過点としているが、生憎とクオリアの脳内メモリにその言葉は登録されていない。


「あなたは自分クオリアよりも非常に戦闘能力が高く、またこの世界の知識データも十分格納されていると分析する。あなたは自分クオリア師匠モデルとして相応しい。あなたの承認評価は、一つの基準として相応しい」


 その為にクオリアはスピリトとの戦闘データが必要であり、また実力が上と判断するスピリトからの承認も欲しいのだ。

 

「従って、自分クオリアはラーニングを繰り返し、あなたが承認できる戦闘品質を実現する」

「……君、本当におかしな人ね……私は師匠弟子の関係を利用して、あなたを追い出そうと傷つけたっていうのに」 

「ハローワールドを創立させない行動は誤っている。しかしあなたのロベリアのハローワールド設立に反対する理由は、信頼度が高い。自分クオリアの今後の活動に、フィードバックするべき情報と判断する」


 唖然とするスピリトに、続けてクオリアは告げる。

 

「“美味しい”を奪う脅威を除く。それがハローワールドの一員であるクオリアの役割と認識している。だから自分クオリアは、ロベリアへの脅威、あなたへの脅威へ対抗する最適解を算出する」


 だからこそロベリアの笑顔も、スピリトの笑顔も、クオリアにとっては同じく守る対象である。


「……」


 しかし決めかねると言わんばかりに苦悶するスピリトの顔が変わらない。

 『参った』と言うべきなのは、スピリトも分かっている様子だ。

 しかしそれが言えない。どうしても言えない。


 だから、“美味しい”が検出できない。


「しかし、本日はこれ以上戦闘行為を続ける事は、推奨しない」

「……お見通しね」


 スピリトはその場で膝をついた。


「状況分析。あなたの体に、大きな負担を検知した。界十乱魔を二回使用した反動により、戦闘続行不可能の損傷が点在している」

「……私の体の事くらい、私が一番よく分かってるわよ」


 力なくスピリトが笑った時だった。


 クオリアの言葉と動きが、一瞬だけ停止する。

 

 聴覚と触覚から、その情報を取得していた。

 ほんのわずかの、しかし歪な大気の変化。

 空気との摩擦音。

 矢羽が僅かに擦れる音。





 掲げた左手を、突如握りしめる。

 同時、飛来した矢を掴んでいた。

 

「えっ!?」


 驚愕するスピリトの声。

 そのまま突き進めばクオリアの脳天を貫いていた軌道。

 その軌道を辿ると、武装した騎士達が並んでいた。

 

「人間認識。100体を検出」


 騎士達の先頭に立ったのは、貴族風の緑髪の青年だった。

 クオリアはその青年にアロウズやワナクライを類推した。人から“美味しい”を奪うパターンだ。

 

「俺は守衛騎士団“トロイ”第五師団団長のエドウィン=オルトグライ子爵! そこのお前! 我がトロイ第五師団に楯突き、その顔に泥を塗った罪で貴様を拘束する!」

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