第23話 人工知能、剣聖の覚悟を聞く

 ハローワールドへの入隊の取り消し。

 湯船の中、タオル一枚になってまでスピリトの話したい事とは、それだった。


「……勿論ただで放りだすつもりはないわ。お望みなら、伝手のある騎士団への入隊を斡旋する。落としどころの妥協点としては悪くない筈よ」

「否決する」

「ハローワールドじゃなければ駄目な理由って何?」

「ロベリアとはハローワールドについて“よろし、くお願、いします”をして、握手をしている。この取り決めを破棄する事は、ロベリアの“美味しい顔笑顔”を阻害する事になる」

「君の言葉は分かりづらいけど、お姉ちゃんの為にも譲れない。それは分かったわ」


 スピリトの体が、湯船の中で僅かに揺蕩い始めた。


「……でもね。お姉ちゃんの為って言うなら、猶更お姉ちゃんにハローワールドなんて設立させるべきじゃない」

「理由の説明を要請する」

「政治競争に巻き込まれて、お姉ちゃんが殺されるから」


 湯船の水面が音を立てて揺れる。

 スピリトがタオル一枚の短背矮躯で乗り出した為だ。

 

「君も知っている事かもしれないけれど、お姉ちゃんはハローワールドの設立を通して騎士団をあるべき姿に戻そうとしている」

「肯定。ロベリアは現騎士団の在り方に課題を多く挙げている」

「腐敗した騎士団に見て見ぬふりされた人達を助ける。騎士団の襟を正す……聞こえはいいわ。でもそれは、ロベリアお姉ちゃんがやってはいけない事よ」


 しかし太腿まで浸かる湯舟に佇むスピリトは、右手を強く拳にする。

 

「……国王と、第一王女は知ってる?」

「それは、“ヴィルジン”国王と“ルート”第一王女と認識している。ヴィルジンはあなたとロベリアの父親。ルートはあなたとロベリアの姉と認識している」


 スピリトの首肯。認識は正しい。

 アカシア王国を先導する存在は二つある。


 まず、ロベリアとスピリトの父にして現国王であるヴィルジン=アカシア。

 多くの騎士団から支持を受け、王国を最強の国家に仕上げんとしている。


 もう一人はヴィルジンの長女で、ロベリアとスピリトの姉、ルート=アカシア。

 世界最大の宗教勢力“げに素晴らしき晴天教会”を後ろ盾に、国王である父から支配権を奪おうとしている。

 

「……今、そのヴィルジン派とルート派で、血を見る勢力争いが起きてる。貴族も、政治家も騎士達も巻き込んでね。名のある人間が、次々に死んでいく。今この王国は、そんな地獄になってるの」

「それが、あなたがハローワールドの設立に反対する理由か」

「そうよ! お姉ちゃんは、勢力争いで腐敗してしまったアカシア王国を清浄化しようとしてる。ハローワールドはその先駆け……けど、騎士団の主導権を握るヴィルジン派の怒りを買うに決まってる……娘だろうと殺される」


 浴場では、二人の体から落ち続ける水滴のメロディ以外は酷く静かだった。

 だから、よく聞こえる。スピリトの“美味しくない”声がよく聞こえる。


「説明を要請する。あなたもロベリアも“王女”という権限を持っている。何故ルートのように、戦力リソースを持つ事が出来ないのか」

「私もお姉ちゃんも、母はヴィルジンが戦場で作った愛人の子だからよ。正妻の子であるルートと違って、王女なんて称号、周りからすれば有名無実に過ぎない……私達二人は、政略結婚の駒でしかないの」


 それが、第一王女であるルートと、第二王女第三王女であるロベリア、スピリトとの違い。

 庶民の愛人から生まれたロベリアとスピリトは、王家の血を継ぐ存在ではあっても、政略結婚くらいにしか使い道は無い。

 

「だけど……決められた相手に体を捧げる。そんな人生を送るのは嫌だった。お姉ちゃんにも送ってほしくなかった。私達の人生は私達で決めたい!」

 

 タオルが巻かれた平坦な胸に、スピリトが強く手をやる。

 0と1では測れないエネルギーを、強張った顔つきから感じ取れた。

 

「剣の実力を極めれば、私には別の価値が生まれる。それを交渉材料に、お姉ちゃんの自由を担保してもらえるかもしれない。だから2年前に知り合った師匠と山籠もりして剣の道を極めたわ」


 結果、“聖剣聖”と呼ばれる程に彼女は強くなった。

 しかしスピリトはそれを誇らない。求めていたものと違うから。


「……だけど、お姉ちゃんもこの2年間で変わってしまった。確かに2年前は、政略争いをするくらいなら、諦めてどことも知らぬ貴族の伴侶になるって言ってたのに。私はそれが嫌で、この2年間で剣術を極めたのに……っ!」

「説明を要請する。その2年間で何があったのか」

「お姉ちゃんも詳しくは語らない――ただ他に変わっていたのは、裏庭にロベリアお姉ちゃんが親しかった存在の墓が立っていた事だけ」


 クオリアは思い出す。

 ロベリアが家族と呼んでいた存在の墓を。

 その十字架を見下ろす、ロベリアの寂しげな横顔を。

 

「……結局君は、さっきから目を開けないのね」

「ここで瞼を開ける事は、禁則事項に触れる事になる」

「君は変だけど、真面目なのは分かった」


 一瞬だけ躊躇った後で、真っすぐな眼光をクオリアにぶつけてくる。


「でもね。私はお姉ちゃんの勇み足を止める為なら、君を傷つける事を厭わない。強情を張るなら、明日君は傷だらけになる……その前に去りなさい」

「否決する」


 ここまでの話を聞いても、クオリアの中で考えは揺らがない。

 迷いのなさが、即答っぷりに表れていた。

 スピリトも、目を瞑る。観念したかのように。


「……分かった」


 下腹部が見えないようにタオルを押さえながら、湯から上がる。

 クオリアの横を擦れ違う際に、意志を乗せた低い声で伝えるのだった。

 

「師匠として、私は君から逃げない。ついてこれるもんなら、ついてきなさい」

「受諾する」

「けれど、私はあなたを全力疾走で置いていく。そしてお姉ちゃんを馬鹿な考えから連れ戻す。“聖剣聖”の暴力を限界超えて振るってでも」


 その後、クオリアの部屋に時間と場所のみが記載された紙が置かれていた。

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