第4話 人工知能、人間の肉体で戦闘する
サンドボックス邸の裏側にある林は、復帰明けのクオリアにも優しい勾配である。
その散策途中、魔物が現れた訳でもないのに突如クオリアが腰に携えた剣を抜く。
「きゅ、急にどうなされたのですか!?」
「材質分析」
センサー付きカメラも無く、触覚センサー付きのアームも無い。
故に数値情報がクオリアの脳裏を掠める事も無い。
しかし眼球と指先から得られる抽象的な情報のみで、推論は十分成り立つ。
「炭素成分を微量確認。鋼に分類されるものと考えられる。形状、材質、改善余地あり」
「……そ、そうなんですか? 剣については私もよく分かってなくて」
「“5Dプリント”機能が停止している為、独力での改善は困難」
「5Dプリント……?」
5Dプリント機能を使えば、この剣を最高品質へと改善できる。そればかりか空気中の物質を原子レベルで組み換え、別の剣を生成する事が出来る。
しかし人間というハードウェアに、その機能を出力する能力は無い。
肉体改造の必要性。
クオリアの脳内に、一つのタスクが生まれる。
「むむ……? 何の足音でしょう」
アイナの猫耳がぴくぴく、と震えた。
遅れてクオリアも不自然な轟音を感知した。人間の体重では出せない振動だった。
「音源特定。7時の方向。距離130m」
「わわっ! わわっ! ビックボア! 魔物です! なんでこんな所に!?」
クオリアを一回り上回る巨大な猪が迫っていた。
槍の如き二本の牙を翳しながら突進してくる。
「そんな……奥深くにまで進んだ訳じゃないのに、どうして……!」
慌てふためくアイナとは対照的に、猪の猛進を冷静に観察する。
ビックボアの鼻が目前に迫ったところで、クオリアが遂に答えを出す。
0と1が、世界を解き明かす。
未来を、予測する。
「軌道計算完了」
「わっ!」
直前でアイナを抱きかかえ、横に転がり込む。
結果、小回りの利かないボアはそのまま通過する形となるも――凄まじい空気の余波が二人に吹き付ける。
直撃したら大怪我どころではない。
貫かれて踏みつぶされて吹き飛ばされて、即死だってありうる。
今の一撃で恐怖が沁み込んだのか、立ち上がるアイナの足元がぎこちない。
それでも泣きじゃくりながら、腰に携えた剣を抜いてビックボアに向ける。
「こ、ここ、ここは私が……クオリア様はお逃げください……」
従者としての命を全うしようと、震える肩。
だが、クオリアはその忠言に耳を貸さず、彼女の前に立つのだった。
一切の迷いも恐怖も無く、クオリアは突きの構えを見せながら。
「――状況理解。魔物“ビックボア”。脅威として分類。これより排除行動に移る」
「だ、駄目ですよ! あれはボアの中でも凶暴なビックボア! 手練れの騎士でなければ歯が立たない、凶悪な魔物です!」
「ラーニングは既に完了した」
「ら、ラーニング……?」
人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”としての基本機能一つだった。
クオリアの脳内で1兆通りもの予想パターンを演算する。その中から最適解の行動を選択する。
勿論人間の脳では、人型自律戦闘用アンドロイドの演算機能には到底及ばない。
予想パターンの桁数からして酷く落ち込んでいる。
それでもビックボアを倒す程度であれば十分すぎる程の
あらゆるビックボアの行動パターン。
地形。木々の位置。空気の挙動。
アイナの位置。自分の位置。
余す所なく、クオリアの脳内で一つの未来が確定した。
「
ビックボアが方向を180度転換する。
鈍重な咆哮を上げて、地響きと共に再突進を始める。
「脅威の排除を開始する」
同時、クオリアも淡々と疾駆を始めた。
ビックボアと比べれば迫力も速度もない。このまま正面衝突をすれば死ぬのはクオリアの方だ。
しかし、ビックボアの体が大きくなろうともクオリアは速度を緩めない。
1体と1頭の距離が、1mを切る。
そこで突如、クオリアは一歩だけ右に逸れた。
「!?」
ビックボアがつられてクオリアを目で追い――そして一瞬だけ見失った。
右へのステップは、フェイク。
左側へ移動したクオリアは、剣を全身で支えながら、ビックボアの右目を目標に跳躍する。
「ぶぉ!」
ビックボアが名槍の如き牙を振るう。
クオリアの視界外からの横薙ぎ。受ければ吹き飛ぶのは明白。
だが、クオリアは避ける事も、受ける事もしない。
最高の助走を得たクオリアの刃。
クオリアの全体重によって押し込まれ、ビックボアの左目に柄まで突き刺さる。
「1.3cm、予定刺突箇所よりも座標がずれている。後の活動にフィードバックする」
と転がり込みながら評するクオリアだったが、ビックボアの脳に貫通した結果に変わりはない。
生命活動を停止したビックボアは慣性に従って土の上を滑っていく。
「エネミーダウン。
「す、すごいです……クオリア様。この山で一番恐れられてきたビックボアを、こんなあっさりと……」
駆け寄ったアイナも、すっかり驚愕しきった顔になっていた。
だが起き上がるクオリアの体に寄り添うと、すぐさま物憂げな表情を見せるのだった。
「で、でも、お体に怪我はないですか!? こんな無茶をして……私、肝を冷やしました……」
「問題ない。
「それでも心配するものですよ」
まだこの時点では、クオリアはアイナの“心配”に対して理解をしていなかった。
悪影響の緩和を説明したにもかかわらず、懸念が拭えていない矛盾への答えを有していなかった。
「だけど、ビックボアを倒したとあっては、お父様もお兄様達もクオリア様をお認めくださるのではないでしょうか!」
「説明を要請する。このタスク遂行は高い評価に値するのか」
「間違いないです!」
クオリアの人工知能に、剣術という概念は存在しない。
ただ未来を計算し、相対速度を最大限に高め、全身で柄を支えて急所を突き刺した。
たったそれだけの合理的な行動で、クオリアは魔物を初めて倒した。
「命を救ってくださって……ありがとうございます」
初めて、感謝の言葉を貰った。
心臓部分の温度が上がった気がした。理由は不明だ。
アイナの笑顔をまた見たいと思考した。理由は不明だ。
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