第3話 まずは転生した人間を理解する

 クオリアという肉体に、人工知能が異世界転生してから1日が経過した。

 全ての人工知能を抹殺する――その使命の下、東奔西走をしていた筈なのに地球に戻るという優先度は低く設定されていた。

 クオリアシャットダウンにも原因は不明だ。


 まだ全ては試していないが、人型自律戦闘用アンドロイドとしての機能は、発動しなくなっていた。

 だが、異世界転移によって完全に機能が喪失したという結論には至らなかった。

 ログファイルは無くとも、自分が“シャットダウン”であったという識別自覚しんごうが体内に流れている。

 その事実こそが、人工知能の機能が僅かでも人間肉体の中で作動している事を裏付けている。

 

 人の脳に収まらない筈の、人工知能としての人間分析が再開される。

 

「状況参照。機能を取り戻す為、新規ハードウェアである人間個体名“クオリア”を理解する必要あり」


 クオリア=サンドボックス。

 肉体年齢は15歳。アカシア王国の大貴族であるワナクライ=サンドボックス侯爵の三男。

 ただし、約10日前に首を吊って自殺を図っている。


 一命は取り留めたものの、周りからは『無酸素状態に伴う脳のダメージによって記憶が混乱している』と、クオリアシャットダウンがこの世界の情報を認識していていない為に話が合わない点を結論付けられている。

 

 更に不確定事項だが、クオリアの肉体レベルは平均よりも低い。

 情報源としては、周りの人間が、『落ちこぼれ』『サンドボックス家の面汚し』と呟いていた事に起因する。

 特に次男からは教育と称していじめを受けており、自殺未遂に至った原因もそこにあるようだ。


「クオリア様、おはようございます。お加減はいかがですか?」

「人間認識。サンドボックス家所属メイド“アイナ”確認」


 昨日、クオリアの目覚めを発見したメイドの少女――アイナが部屋に入るなり、困ったような笑顔で返す。


「そうじゃありませんよ、クオリア様。こういう時はクオリア様も、“おはようございます”、ですよ」

「状況理解。“おは、ようご、ざいま、す”。これで正しいか?」

「はい、おはようございます。日光浴びましょうね」


 アイナが部屋のカーテンを開けると、太陽光がクオリアの眼球を刺激した。


「視覚取得値にエラーが発生」

「しかくしゅとく……えっと、眩しいって事ですよね?」

「エラー。“眩しい”という単語は登録されていない」


 光の振動数や波長しか感知していなかった人型自律戦闘用アンドロイドにとって『眩しさ』という言葉は未知だった。

 だがまた外に目を向けると、視界に異常をきたす。瞼の閉鎖を促される。

 これも、落ちこぼれの人間の特徴かもしれない。

 

「説明を要請する。この自分クオリアという個体は不良品か?」

「はい?」


 アイナの猫耳がぴくりと起き上がる。


「太陽光を直視できず、夜に睡眠と呼ばれる機能停止を必要とする。機能の欠落に原因があると推測する」

「クオリア様。太陽が眩しいのも、夜に眠るのも、生き物ならば当たり前の事です。クオリア様は決して“落ちこぼれ”などではありません」

「アイナと別個体が自分クオリアを低く評価する音声を認識した」

「それは、単純に皆が剣の腕や魔術でしか、クオリア様を見ていないからです」

「エラー。“魔術”という単語は登録されていない」

「……えっと、魔術も覚えていないって事です……?」

「肯定」


 アイナは思い悩んだような素振りを見せた後で、まあいいか、と呟く。

 後ろに置いた食器をちらりと見ながら、クオリアに問う。


「朝食作ってみたんです。食べられますか?」

「活動維持の為、要請する」

「分かりました」


 朝食――“食事”とは、人間が活動の為に必要とするもの。

 人は食事を必要とする事は、クオリアも知識としてインプット済みだ。

 

 差し出されたロールパンを、口に運ぶ。

 

「……!?」

 

 口内に広がった“味”に、クオリアが困惑する。

 何故なら、自律戦闘用アンドロイドに味覚を判別する機能は不要だったからだ。


「エラー……状況理解不可。しかし自分クオリアは、食事という行為を高く評価する。原因は不明……! しかし……!」


 何度も何度も、ロールパンに噛みつく。

 舌から伝わる情報を制御しきれないまま、何度も何度も“味”という信号を受け続ける。


「美味しい、ってことですかね……?」

「エラー。“美味しい”という単語は登録されていない……説明を要請する。この状態が“美味しい”ということか」

「多分」

「……美味しい」

「良かった、です」


 メイド服の手首部分が、嬉しさに綻ぶアイナの顔を包み隠していた。

 「美味しい美味しい」と繰り返しながら朝食を食べると、何度もアイナの笑顔を見る事が出来た。

 一方で、自分クオリア自身も笑顔になっていた事には気づいていない。

 

「この後、山菜を採りに行くんですが、もし体調がよかったら気分転換にご一緒しませんか?」


 アイナの提案に、クオリアは頷く。

 

「提案を受諾する。外界の情報取得も実施する」

「分かりました。では、護身用の剣をお持ちしますね」

「説明を要請する。剣は必要か」

「普段は現れませんが、魔物が出没する事がありますので、念の為」


 曰く、魔物とは凶暴化した獣らしい。

 人も食料とする、交渉不可能の天敵である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る