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食事を終えると、早々に眠気がやってきた。皿洗いぐらいは手伝いたかったが、早く寝るようルカ先輩が言うので、甘えることにした。
部屋に戻り、明かりのスイッチを探すのも着替えるのも億劫で、そのままベッドに飛び込んだ。全身が弛緩していくような、抗いがたい温もりに包み込まれていくのを感じながら、わたしは眠りに落ちた。
夢も見ないほど、深い眠りだった。
深海のような暗闇に、聞き覚えのある声が響いた。
誰かが、わたしを呼んでいた。
『――ギ、起きるんだ、ナギ』
ルカ先輩――いや、クラウスだ。
『声は出さずに。体も動かしては駄目だ』
『どうしたの?』ぼやけた思考のまま、わたしは内省する。
『誰かいる』
『誰か?』
『今、誰かがこの部屋に入ってきた』
あの深い眠りからものの数十秒で覚醒できた自分を誇らしく思う。アラートが鳴ったらすぐに目覚められるようになったのは、入隊してから得た特技だ。
それにしても、部屋に入ってくる〈誰か〉など、この船にはわたしを除いて一人しかいない。他にいても困る。
寝返りを装い、体を入口の方へ向ける。
薄目を開けると果たして、ルカ先輩の姿があった。
「起こしちゃったか」窓から射し込む蒼白い月明かりの中で、彼女は笑った。
「何かご用ですか?」寝ぼけ眼をこするふりをする。
「久しぶりに、一緒に泳がない?」
わたしは彼女を見つめた。
たぶん、心のどこかでこの言葉を待っていた。
真面目な学生生活を送るはずだったわたしに、悪い遊びを教えたのはルカ先輩だった。あの時も、月明かりの射し込む夜更けに起こされた。
「泳ぎに行こう」
養成学校の周りには海はおろかプールすらなかった。寮を抜け出して向かったのは、実習用のサーバ室だ。
「バレたら大変なことになりますよ」
「バレないバレない」
わたしは先輩にされるがままサーバにジャックインし、そのままダイブした。
まだ基礎講習も終わっていない頃だった。発火体の形成すらまともにできず、わたしは仮想ニューロンが寄り集まっただけの球体だった。
そんなわたしの前に、しっかりとルカ先輩の形をしたルカ先輩が現れた。
「お、いいねえ。剥き出しの君」
感覚としては、服を着た相手に、一方的に裸を見られているのに近かった。
「恥ずかしがらなくて大丈夫だよ。最初はみんなそうなんだし。外見を繕えるようになったら、面白くない」
「だったら先輩もこの姿になってください」
「それはお断り」いたずらっぽい笑み。「あたしまで〈糸こんにゃく〉になったら、楽しめないし」
「何をするつもりですか?」
すると先輩が、片手をこちらへ差し出してきた。ぴんと伸びた指先は、音もなくわたしの発火体の中へ入り込み、〈端子〉の一つに触れた。
その時に味わった感覚は、とても言葉では言い表せない。どんなに比喩や形容詞を重ねても、他人に伝えるどころか自分を納得させることすらできそうにない。言えることがあるとすれば、あの時わたしは声にならない声を漏らし、頭(正確にはは発火体全体)の奥から痺れにも似た何かが広がるのを感じた、ということぐらいだ。
「いい反応だね。ちょっと触っただけでこれとは」
たぶん、肉体があったら涎でも垂らしていただろう。わたしには抵抗する力も、気力も残っていなかった。
誘いに乗ってここまで来た時点で、こうなることはわかっていた。
ルカ先輩の手は、完全にわたしの端子と繋がっていた。彼女はそのまま、もう片方の腕も伸ばしてきた。わたしは彼女に抱きかかえられる格好となった。視界が、まるで脈打つように明度を増したり減じたりしていた。
「怖がることはないよ。ちゃんとあたしのも見せてあげるから」
わたしの全てが、ルカ先輩に触れられた。
わたしもまた、ルカ先輩の全てに触れた。彼女の過去と現在が流れ込んできて、わたしのものとなった。
接触面の境界が曖昧になり、癒着した。
「自分が自分であることを意識し続けて。それ以外は、感覚に身を委ねればいい」
ルカ先輩がわたしに。
わたしがルカ先輩に。
わたしの全てが知られ、
わたしは彼女の全てを知った。
心の、空いていた隙間が埋められていった。自分がどんなに孤独で、寒々しい思いを抱えながら今まで生きていたのかを自覚した。
同じ隙間を、ルカ先輩も持っていた。そこへわたしが流れ込んだ。だが、埋めきれないほど彼女の隙間は深かった。
わたしたちは溶け合った。温もりに包まれた。
わたしたちは、一つになった。
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