第4章 インヴィジブル危機管理
1.リニミュー
身体を熱くさせるこの速度。
どこまでも前に進んでいくこの感覚を、ツカサは以前どこかで感じたことがあった。それがいつどこでだったかは思い出せないが、それが自分の人生を変えた感覚だったことは間違いない。
思い通りにならないこの世界で、唯一ツカサがうまく操ることができたのはインラインスケートだけだった。そして小さな街でまっすぐ走れない苛立ちから解放されるために、ツカサはパルクールを習得した。でもそれは遊びの範疇だ。壁を蹴り、塀を乗り越えて宙返りをしても、どこかで自分を護っていた。落ちたら死ぬ以上の高さからは飛ばない。それが暗黙のルールだった。
それが今はどうだろう。ツカサは命を賭けた疾走の中にあった。
真正面から襲い来る風が、少女の身体を風洞にあずけた模型のように揺らす。流れゆく景色が、変わり続ける光景が、地球の大きさを伝えてくれる。
そのスピードは、一歩間違えば自分の存在を儚く消し飛ばしてしまう〝力〟だった。人間が自動車を、電車を、飛行機を発明した結果手に入れた〝力〟。自分は今、それをたったひとつの肉体と機械仕掛けのスケートブーツで独占している。
世界がもっと小さくなればいいのに。
どこへでも、この魔法の靴で行けたらいいのに。
そのためには、もっともっと速度が必要だ。
速く、速く、速く――。
「いーーーーやーーーーあぁぁぁぁぁ!!」
嫌、という意味ではない。ツカサの歓喜の雄叫びだった。さすがのクサナギも当惑する。
『おまえ、性格変わってないか?』
「はぁ? こんなに気持ちいいのに変わらないわけないでしょ! いま時速何キロ?」
『に、二〇〇キロくらいかな……』
「んじゃ新幹線より遅いじゃん! もっと飛ばせって! 吹っ飛んじゃうくらいかっ飛ばしてぇぇぇ!!」
『あ、アホかっ!! 道路だってまっすぐじゃねぇんだぞ! この先は山に入ってくからカーブも増える。ところどころ減速しつつだな……』
「ああ? なにビビってんのよAIの分際でぇ!! 限界までチャレンジしなくて何がこんぴゅーたーだーっ!!」
『……オレ、おまえを
そのままツカサたちは中央道を制限速度の二倍以上のスピードで駆け抜けていった。
主に走ったのはいちばん左側の車線、そのさらに左端だった。登坂車線を大型車が走っていても、その隣をすり抜けてゆける。何台かの車は彼女たちを見つけて驚きを露わにしていたようだが、スマホを掲げて撮影するよりも早く、ツカサは遙か前方へと走り去っていた。
『あー、えっと、そろそろ落ち着いてもらっていいですかー』
クサナギが嫌味っぽく言った。次の言葉で、ツカサもさすがに我に還る。
『そろそろ連中の車に追いつくんだけど』
クサナギは徐々にスケートのスピードを落としはじめた。ツカサは周囲の自動車と併走する形で前方を注意深く見つめていた。そして――。
「いたっ!」
『ああ、間違いないな』
あのときリサイクル工場から走り去ったコンテナトラックだ。コンテナはハーフサイズで貨物船に積み卸しするような巨大なものではなく、思ったより小ぶりな車に見えた。ナンバーはクサナギが記憶していて、それと間違いないと言っている。
ツカサは静かに拳を握りしめた。先ほどの興奮は過ぎ去って、胸の谷間にかいた汗が冷たさを帯びるのがわかった。
「ど、どうするのこれから」
なんとなくだが、ツカサはガンガン体当たりでカーチェイスをするアメリカの雑な映画を思い浮かべてしまった。トランスフォーマーじゃあるまいし、自分がトラックに勝てるわけない。
『まずは確認する。これからあのクルマに近づいてなんとか身体を接触させてくれ。そうすれば骨伝導ソナーで中の様子を探れる』
「……糸居くんがいるかどうかわかるの?」
『誰が、は無理だが様子はわかる。まずあのコンテナ内に人がいるとしたら、もうそれだけでカタギの車じゃない』
確かにそうだ。ツカサは唾を飲み込む。あの車が犯罪に使われている――失踪か誘拐かはともかく、コンテナに人が潜んでいるだけでその証拠に近いものにはなるだろう。
『準備はいいか?』
「う、うん……」
『どっちなんだよ』
「いいよ、行こう!」
ツカサは走行する自家用車を注意深くかわしながら、ゆっくりと目標のトラックに近づいていった。
『真後ろは避けろ。バックモニターがついてやがる。姿勢を低くして、後輪の真後ろにくっつくようにしろ。そこが死角だ』
言うは易し、である。あまり近づいてタイヤに巻き込まれてしまったらまさしく大惨事だ。ツカサは慎重に距離を測りつつ、しゃがみこむほどに小さく身体を折りたたんで、コンテナの左後方の角に近づいていった。
そして銀色のアルミの外装に手のひらをつけた。
「わかる?」
『いや、雑音がひどい。もっと硬い部位を――肘だ。肘をつけるんだ』
言われたとおり、ツカサは右腕を折りたたんでエルボーパッドのついた肘を押し当てた。ますます身体がトラックと密着し、まるでコンテナの下に潜り込むような姿勢になる。
『きた。いいぞ。ん? こりゃなんだ?』
妙な反応にツカサも眉根を寄せる。
『日本語じゃねぇな』
「え?」
ちょっと予想していなかった事態だった。
『ツカサ、おまえ英語わかるか?』
「……自慢じゃないけど一〇〇%わかんない。人を見た目で判断しないでよね」
ツカサはその容姿のおかげで、何度外国人に道を聞かれたかわからない。そういうときはだいたい相手も、同胞を見つけた喜びで眼を輝かせてくるのだ。申し訳ないったらない。
『しょうがねぇな。じゃ同時通訳してやるよ』
さすがと言うべきか、人類が夢にまで見た機能が自分のスケートに備わっていることを知って、ツカサは感動してしまった。クサナギを連れて行けば海外旅行で困ることはない。
『〈ハーミット〉はどうしてる?→あいかわらずだんまりだ。だが黙々と作業してるぜ→あまり刺激するんじゃないぞ。ヤツがオレたちの希望のカギだ』
ちょっと演技を交えつつ、クサナギが内情を説明している。
『どうやら中にいるのは三人だな。うち喋ってるのがふたりだ。もうひとりは本当にだんまりだなー。こいつが糸居紘太っぽいんだけどなぁ……』
ということは、〈ハーミット〉と呼ばれてるのが紘太なのだろうか。ツカサは自分の無学を恥じた。暗号なんだろうけど示唆しているものすらわからない。
『ボスはもう待ってるはずだ→マツモトまで何キロだ? おっと、ここでまた言語が変わった。ていうか、こいつら英語へたくそだなー!』
「……カタコトだってこと? 日本人みたいに?」
『うーん、そういうんじゃねぇな。訛りに近いが……さすがにデータ不足で解析できねぇ。あとで思い返して演算してみる』
そのときだった。突然トラックが右にカーブし、ツカサたちは向かって左側に放り出された。急斜面の
『しまった! なんで日本の高速道路はこんなにクネクネしてやがるんだよ!!』
クサナギは速やかにローラーの速度を調整し、カーブに合わせて舵を切ってくれた。おかげでツカサは法面に激突しないで済んだが、トラックはずいぶん前方に離れてしまった。
「離れてっちゃうよ!」
だがクサナギは速度を上げようとしない。
『まずいな。今の動きでこっちを見られた可能性がある。まぁ、相手はカーブの先を見てただろうからそうとも言えないが……。もう一度近づくのは危険だ。距離をとって追いかけた方が無難だろう』
「見られたら……やっぱまずいかな」
『犯罪者の気持ちになってみろ。猛スピードでくっついてくるインラインスケートの人間を見たら、偶然や無関係とは思わないだろうな。スパイ映画とかも超観てるだろうし』
冗談めいた言い方だが、ツカサには身に迫った危機感があった。
だが、ここで手を引くなんて考えられない。本当にすぐそこに紘太の気配を感じられたのだ。なにか手があるはずだ。なにか、自分にできることが――。
『おい、あいつら……』
クサナギがやや低い声で囁く。
『出てっちまったな』
「え、どこへ?」
『高速の出口だ。〝松本〟までって言ってたのに』
ツカサの前方には諏訪湖の手前、
「翻訳ミスなんじゃない?」
『な、なんだと!? オレ様の完璧な……とも言えないか。骨伝導での間接的なソナーな上、下手くそな英語の同時通訳だったしな。結論から言うとおまえの肘が悪い』
「はぁ?」
と憎まれ口に関わっているヒマはない。高速道路ではひとつ出口を間違えると絶望的に距離が離れてしまうからだ。すぐに決断しなければならなかった。
「追いかけよう!」
ツカサにはなんとなく直感が告げるものがあった。連中も人間だから、いろんなところに休憩用のアジトがあるのではないか。そうでなくても食事や買い物などのため商業施設に立ち寄ることは考えられる。トラックが止まりさえすれば、紘太を救い出すチャンスもあるかもしれない。
行く手に横たわるものは〝闇雲〟だったが、そこに飛び込む危険より、ここで諦めてしまう後悔の方がツカサにとって強い痛みに感じられた。しかしどちらにしても変わらないものは時の流れだ。
太陽は容赦なく傾きを増して、中央アルプスの稜線の向こう側へと早くも隠れようとしていた。
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