4.追跡
「そうかすまない。また後で連絡する」
電話が終わると鯨岡はアウディの後部ドアを開けた。そこから運転席を覗き込み、くぐもった電子音声で告げた。
「猫の保護施設にも行ってない。いったいどこにいるんだあいつは……」
白蛇は缶コーヒーを飲みながら肩をすくめた。
「気になって仕方ないって様子ですね。行きつけのコンビニにスーパーに薬局。こんなヤクザみたいなおじさんが聞き込みに回ってると、逆に警察に通報されちゃいますよ」
「うるさい」
「いいかげん鯨岡さんもスマホにしたらどうですか? そしたらツカサちゃんの居場所も追えますし」
「それは俺にもGPSを持ち歩けということだろう。そんなことは絶対にごめんだ!」
青筋を立てる鯨岡の横顔を見て可笑しそうにしながら、白蛇は空になった缶をドアポケットに置いた。
「こちらの調べも終わってます。例の封筒ですが……差出人はツカサちゃんの同窓生でした。どうやら同窓会のしおりだかを欠席者に配る仕事を依頼したようですね」
「それを配って回ってるということか?」
「ええ。でもそれなら町内を周遊してるはずですし、我々が見失っている状況も説明できません。インラインスケートで走り回る混血児の目撃情報なんていくらでもありそうなものですから」
「……それで? おまえはなにを掴んでる」
独特の勘を働かせる鯨岡に対して、白蛇はもったいぶったような笑みを含める。
「配布対象者のうち一名の自宅から、警察に失踪届が出されています。本日午前一〇時四一分です。失踪対象は一人息子の糸居紘太。まさにツカサちゃんが荷物を届けようとしていた相手です」
鯨岡は眼を丸くした。そして指で短い顎髭をさすった。
「それを捜してるってのか、あいつが?」
「ツカサちゃんの行動原理からしてじゅうぶんあり得る展開です。そして現在、この市内にはいない。あなたのツテを活用した聞き込みの範囲内ではね」
鯨岡は座席に座り込み、しっかりとドアを閉めた。そしてリアウインドウにスモークのスクリーンを降ろした。
「今週の〝広域監視員〟は誰だ」
白蛇は振り向きざまにじっと鯨岡の眼を見た。彼の思考を読み、迅速に手が打てるように用心深く。
「ヘンリーです。が、彼にはこの数日中に子供が生まれるんです。ちょっと忙しそうでしたよ」
「産むのはヤツじゃない。ヤツのかみさんだ」
「これはまたフェミニンなお言葉ですねぇ」
「すぐに呼び出せ。とぼけるようなら『俺はすでに拳を握っている』と伝えろ」
白蛇は苦笑混じりに頷いた。
「あと、警察でおかしなネタも耳にしました。ほんのさっき起きたことなんですが……この件とは無関係かも」
「いちおう教えてくれ」
「東京都西部一帯のオービス……それも新型のオービスばかりが何千枚も写真を連射するという故障が起きたそうです。それもほぼすべての機器が同時に――。それで交通課のホストサーバがパンクしてえらいことになってたみたいです」
「なんだそりゃ……」
「だから無関係かと。あともうひとつ。これはコフォーズが追っていたネタですが……例の〝ケーキ屋〟が名古屋港に向かったとの連絡がありました」
鯨岡の眼がにわかに泳いだ。
「国内なのか? 横浜からいくらでも外海に飛べるだろう?」
「まったくどいつもこいつも意味不明な動きをしますね」
鯨岡の顔の渋みが増した。怒りや苛立ちのエネルギーは思索の方向へとうまく分散されていた。しかしそれも一瞬のことだった。鯨岡の携帯電話が着信音を発したのだ。
「ヘンリーですね」
白蛇の指摘に目配せで応えつつ、鯨岡は黙って通話ボタンを押した。
「ご無沙汰だったな。それで、子供は生まれたのか?」
ヘンリーの焦りを思って白蛇は気の毒な気持ちになった。
「では聞かせろ。おまえが出産に立ち会いながらもきっちりマークしていた、鯖城ツカサの所在をだ!!」
震え上がる男の声が、スマホのスピーカーから白蛇の耳にも届いた。
「は? 調布インター?」
国道を駆け抜けながらツカサは聞き返した。
「インターチェンジのこと?」
『そうだ。例のトラックは調布インターを抜けて中央道に入った。長野方面に向かうつもりだな』
クサナギはとんでもない方法で例のトラックの行方を突き止めていた。近辺のオービスを片っ端から連射してありとあらゆる車を撮影し、そこから対象のナンバーを探し出すというやり方だ。工場でちらっと目撃したときに、クサナギはナンバーを覚えていたらしい。
クサナギはフラッシュはオフにしたから問題ないと言っていたが、それでもツカサにとっては衝撃的だった。
クサナギが言うには最近のオービスはHシステムといってデジタル方式が主流なのだという。だから彼でもハックできたのだが、そんなものがインターネットを通っていないことはツカサにもわかる。オービスのデータは警察のもので、警察だけが管理できるはずだ。それをクサナギはいとも簡単に手に入れることができる。
いったいこのAIは何者なのだろう。
『くれぐれもスピードを三〇キロ以下に落とすなよ』
気がつけばツカサはインターチェンジに入るためのランプを走っていた。平日昼過ぎということで車は少ないが、誰もがこの小さな
ツカサが住む西東京市からわずか二〇分ほどの移動。だが自分にとっては間違いなく、インラインスケートで遠出した記録になる。
だけど本番はこれからだ。こうなったらもう、行くしかない。自分とクサナギの力が合わされば、前に進める。紘太を救い出すことができる。
「行くよ、クサナギ!」
『っておまえ、何するつもりだ!?』
「だって減速できないんでしょ? あの隙間を通ってみる!」
高速に入る料金所は、いくつか車の列ができていた。ETCレーンであっても一時停止が必須である。もちろんツカサがそのゲートを通ることはできない。
だからツカサはレーンのいちばん左端のさらにその隣り、堤防のような斜面と料金所のゲートの隙間――そこにあるガードレールの上を目指していた。当然車輛の進入を防ぐための設備だが、少女が一人通るくらいの幅はあった。
『だぁぁぁっ! あんなとこ通れるか! 俺のカラダに傷がつくだろ!!』
「まぁ見ててよね!」
ツカサは勢いよく滑走し、車の隙間をすり抜けてそこに向かう。クサナギが悲鳴をあげる中、軽く跳躍してインラインスケートの八つの車輪を細いガードレールの稜線に乗せた。
そのままグラインドで軽やかに滑り抜ける。
「はい、おしまい」
階段の手すりに比べれば難易度は低い。
再び高速走行のポーズに戻り、目の前を見据える。主線に合流するための加速レーンが緩やかに伸びていた。当然ツカサは運転免許なんか持っていないので要領はわからなかったが、要するに車にぶつからなければいいのだと理解して進んだ。
考えてみれば、首都高以外の高速道路を走るなんて中学校の遠足以来だった。自身の境遇からして旅行なんか夢のまた夢だったから、高速道路はツカサにとって憧れの場所と言っていい。
そこを今、自分が一人で走っている。
確かに〝相棒〟の助けはあったけれど。
「どれくらい離れてるのかな」
『ううむ、オレの計算からすると相手との距離は五〇キロ近い。もっと飛ばす必要があるな』
すでにツカサは周囲の自動車を追い越す速度で走っていた。体感的には時速一〇〇キロ近いスピードのはずだ。
『フルスピードを出すぞ。今でもだいぶ危ないが、転倒したらまず助からない速度になる。覚悟はいいか!?』
その言葉に、ツカサは意外な感情で応えようとしていた。恐怖ではなく期待と興奮。どこまでこのスピードが上がるのかというわくわく感が、全身の血を熱くさせる。
「思いっきりやっちゃってぇ!!」
『あ、あぶねぇ女だな……。んじゃ飛ばすぞ!』
ツカサは吹きすさぶ風が強くなるのを感じてさらに姿勢を落とした。両腕を後ろに伸ばして顎を上げ、アンダーパスに入った時のようにスキージャンプの助走の体勢になる。
そして彼女は風とひとつになった。
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