3.追走
ツカサは工場を飛び出し、辺りを見渡したが当然先ほどのトラックは見えなかった。
「どっちに行ったっけ」
「確かそこを右折したな」
言われた通り道を走るが、行き先に皆目見当がつかない。
「車のことはオレに任せろ。おまえはとにかくスピードを上げるんだ!」
「はぁ……」
ツカサはとりあえずその辺を滑走することにした。だがクサナギの言う時速三〇キロというのは、自転車で全力疾走するくらいのスピードである。インラインスケートだとかなり条件が揃わないと厳しい速さだ。
ツカサは体勢を低くしてスピードを上げるフォームをとったが、ざらついたアスファルトの上ではなかなか車輪が回ってくれない。
「おせぇなおい! こんなんじゃダメだ。やっぱおまえ向いてないんじゃねーのか!?」
さすがにそれにはツカサもカチンと来た。ツカサとスケートは切っても切れない関係だった。覚えていないくらい小さい頃からインラインには慣れ親しんできたのだ。
確かにツカサはそれを足の延長――移動のための道具と考えていたから、スピードを競う競技には興味がなかった。だからといって昨日今日出会ったばかりの人工知能に相性を否定される筋合いはない。
「もう本気出す。ビビって泣いても知らないからね」
ツカサはしばらく滑走して、中央線の下をくぐる短いトンネル――いわゆるアンダーパスの上に来た。Ⅴ字型の急な傾斜のある通路で、大雨の時によく水没する場所だ。
そこで立ち止まることはせず、一気に助走をつけて坂道に入る。
「向こうは上り坂なんだけど!」
「かまわん! 一瞬でも30キロを超えれば問題ない!」
「てやーーーっ!」
ツカサは膝を折り曲げ、スキージャンプの助走のような姿勢で下り坂を滑り降りた。小刻みな振動が頭の先まで伝わって前歯をカチカチ鳴らし続ける。そしてスピードはいよいよ増し、かすかな恐怖も感じた頃――ツカサはふと思った。
時速三〇キロを超えたらなにが起きるんだろう。それをすっかり聞きそびれていた。
「よっし、臨界突破!」
クサナギの声と共に、異変が起きた。それまで全身に響いていた道路の振動が、ふっと消えたのだ。そして軽やかなモーター音が、クサナギの骨伝導のように頭蓋骨に響いた。それは夏の初めに勢いよく蝉が鳴き始めたような、間隙のない音だった。
「え、ええええっ!?」
なんの抵抗もなく、ツカサのスケートはアンダーパスの上り坂を駆け上がった。しかも減速はおろか、スケートは勝手に速度を増していく。振り子の原理など完全無視で。
『こっからは骨伝導で話すぜ。風の音で聞こえねぇだろうからな』
「う、うわあぁぁぁっ!!」
道路が水平になったあともスケートのスピードはいっこうに落ちない。あっという間に傍らの自動車を追い抜いてゆく。ツカサは足を前後に開き、腰を落として風の抵抗を減らした。それはまさにスピードスケートの滑走姿勢だった。
「これ、勝手に進んでるんだけど!!」
『そういうことだ。これがオレ様虎の子の隠し機能。名づけて超伝導可変接地駆動装置……〈リニア・トランスミューテッド・
――な、長い……。
ツカサは耳に残った言葉だけつないでみた。
「えと、んじゃ〈リニミュー〉ね。リニミューすごい!」
『お、おまえな……人類の科学力を凌駕したテクノロジーに対してなんという……。まぁいい、原理を聞きたいだろ!!』
「あ、そういうのはいい」
『ぬ、ぬあんだと!?』
その後クサナギがこのスケートの車輪についてとてつもなく冗長な説明をしていたような気がするが、ツカサはほとんど聞き流していた。なんというか、磁気ではなく分子間の圧力だか引力だかのリニアモーターカーのほにゃらららら。
ツカサはしばらく、今まで感じたことがない風の感覚に酔いしれていた。必死で駆けることもなく、ただ空気の束が顔を、全身をなでつけていく途方もない悦び。冷たい布団が自分を包み込み、空に浮かんでいくような錯覚まで起こさせる。オートバイにはまる人間の多いことがよくわかるような気がした。
しかしこれは、紘太を探すための行動なのだと自分に言い聞かせる。ツカサはすぐに厳しい眼差しになって道の先を睨みつけた。
『次の角、右に曲がるぞ!』
「りょうか……ええっ!? どうやって!?」
『速度を一度でも三〇キロ以下に落とすとこの機能はオフになる。このまま突っ走るしかない! いいか、オレが曲がる方向のホイールだけ速度を落とす。おまえは体重移動で吹っ飛ばされないように踏ん張れ!』
その指示を、ツカサは体感的に理解した。要するに、バイクのハングオンのようにGの逆方向に身体を傾ければよいのだ。しかし問題はそこじゃない。
「赤信号なんですけど!!」
『オレたちは車じゃないから問題ない!』
無茶苦茶な理屈でクサナギが返答した。
「きゃああぁぁぁぁっ!!」
結局赤信号の交差点に思いっきりツカサは侵入した。自動車からしてみれば、行く手に高速で歩行者が飛び出してきた危険な状況である。急ブレーキとクラクションの乱れ打ちがこだまする。前につんのめるように急制動をかけたミニバンの鼻をかすめるようにして、ツカサの身体が横滑りしていった。
『いいぞ、進入速度は四五キロ! この調子で行くぜ!!』
「こ、この調子で行ったらいつか死ぬ!!」
しかしクサナギは構わず加速していく。もはや運命を共にするしかないとツカサは腹をくくった。
「で、トラックはどこなの!?」
『う、それをいま調べてるところだ。焦ると太るぞ!』
「どんな理屈よそれ……。要は見失ったんでしょ」
せっかくスピード感にも慣れてきたのにこの展開はない。
『とにかくだ、連中がクルマを変えたのには理由があるはずだ。あの宅配の車では行けないところに向かうつもりなのかもしれん』
確かに、とツカサは頷く。宅配便のバンが走っているのは主に街なかだ。逆に言えばそれをあまり見かけないのは、いまツカサが走っているような郊外の幹線道路、町と町をつなぐ国道などである。そしてクサナギの主張を裏付けるように、コンテナを積んだ大型トラックを今までかなり追い越していた。
――市街地の外に向かってるってこと?
そのまま考えを巡らせながら軽快に飛ばしていたときだった。
「えっ?」
『あ』
なにか赤い光がまぶしく光った。道路の上の方から……。
『オービスだな』
「それって、あの――速度違反を取り締まるヤツ?」
『まぁ、法定速度二〇キロオーバーだからな、今のオレたちは』
「……」
ツカサはなんだかとてつもない罪悪感に苛まれる。無免許で速度オーバーで、さっきは信号無視までやってしまった。
『でもあれだ。スケートに乗った人間は速度規制には引っかからないはずだ。問題なし!!』
「そ、そだね~。インラインスケートって軽車両でもないっぽいし……」
もはや笑うしかなかった。
『いや待てよツカサ! そうか、その手があった! ククク……待ってろよ誘拐犯どもめ。オレ様の悪魔的叡智が貴様らのしっぽを掴んでやる……』
なんだか自慢になっていない表現だが、クサナギがお得意の〝悪知恵〟を発揮したのは間違いないようだった。
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