第2章 ユージュアル失踪事件

1.クサナギ

 ツカサはインラインスケートで町内を駆け抜け、スムーズに冊子を配達していった。必ず手渡しで、という依頼だったがさすがに平日の午前中だから本人は不在のことが多かった。運良く誰かしら家族はいたので持ち帰ることは今のところない。

 それにしても、自分がこうして働いている間、みんなが揃いも揃って高校に通っているという事実はツカサを奇妙な気持ちにさせた。

 決して自分は社会に反抗しているわけではない。勉強が嫌いなわけでも、高校でうまくやっていける自信がないわけでもなかった。肌の色が違う生徒は小中学校でもツカサだけではなかったし、ツカサは友人も多く孤立はしていない方だった。それでも進学の道を選ばなかったのは、早く仕事について人の役に立ちたいという純粋な気持ちがひとつ。

 もうひとつの気持ちとして、なんだかんだ言って学校に行くという行為が〝親のための仕事〟だという認識は強かった。少なくとも周りがそんな感じの空気だったのは確かだ。

 ――さて、と。

 気を取り直して最後の宛名に目を落としたとき、ツカサの中にふと思い浮かぶ情景があった。

 届ける相手の名前は糸居紘太。同級生の中でも存在感の薄い男子生徒だった。だけどツカサは彼のことをよくおぼえている。


「なにしてんの?」

 紘太はよく休憩時間中にスマホをいじっていた。校則違反だが、ツカサはそういうのを密告チクるタイプではなかったため、隣の席の紘太はあまり隠さなかった。

「は? 計算だけど……」

 めったに女子生徒と会話しない紘太は戸惑っていたが、ツカサはそういう男子に先入観を持たない人間だ。それはたぶん自分が、〝他人からの先入観の塊〟みたいな存在だからだろう。

「け、計算? それ楽しいの……」

「別に……。ネットに上がってる計算問題を解いてるだけ。別に、普通だよ」

 そう言って紘太はスマホとキスするくらい顔を近づけた。ノートになにか書くときも、彼はそうやって顔をすれすれまで近づけるクセがある。

「あ、時間切れだ」

 チャイムが鳴ると、彼は特に感情なくそう言った。

「ご、ごめん、邪魔しちゃって」

「いいよ、たぶん解けなかったし」


 ツカサが学校で紘太と会話したのはそれが最初で最後だったかもしれない。でも口数の少ない人との会話だから妙に記憶に残った。逆に仲のいい女子生徒と毎日なんであんなに盛り上がっていたのか、今はあんまり思い出せない。

『おい、ツカサとかいう女』

「ひいっっ!!」

 ツカサは前につんのめって転びそうになった。すぐさまクロスターンで反転して民家の塀にもたれかかる。クルマの来ない裏路地で、周囲には誰もいなかったのが幸いだ。

 その〝幻聴〟に不覚にも反応してしまったのは、頭の中に直接語りかけるような不気味な響きがあったからだ。

「う、宇宙人がテレパシーしてきた……」

 UFO特番のファンファーレが鳴り響く。番組自体は観たことないけど、ネットの動画でしょっちゅう使われてるやつだ。

『その宇宙人説はいつ撤回するんだよ。あとテレパシー説も撤回しろ。〝オッカムの剃刀〟を忘れたのか? 不要な仮定はまずそぎ落とせ。オレの説明が長くなるだろ』

「宇宙人よ、去りたまえ、消えたまえ、南無南無~」

『そういうのがウザいんだよ! オレは宇宙人でもなければ怨霊でもねぇ! 骨伝導で話してるんだ。わかる? こつでんどー!』

「コツ電動……?」

 ツカサはぼんやりとそう返事をした。幻聴の相手があまりにもイライラするのでなんだか怖くなってきたのだ。

『ああもう絶対わかってねーなー。要するに、骨を通しておまえの内耳に直接音を送ってるんだよ。科学の力だ。オカルトじゃねぇ』

 見ると、左足のブーツのシューレースがほどけて、身振り手振りのようにツカサになにかを訴えていた。さすがのツカサも、そのブーツに得体の知れないなにかが宿っているという可能性を認めはじめていた。

「そ、そのコツデンドーって、あたしのおしりの上の方がやけにかゆいのと関係ある?」

『ああ、例えばこういうやつか。え~え~え~』

「ひゃわわわわ!」

『き、気持ち悪い声出してんじゃねぇ! オレ様の聴覚は敏感なんだよ! まぁ確かに足の先から頭にまで届く高周波だからな。それにヒトの骨盤はカップの形してるだろ。そこで音波が跳ね返って神経を刺激してるだけだ』

「セ、セクハラじゃん!」

『はぁ? ふざけんなよ氏ねコラ。オレ様は世界最高の人工知能にして、地球で唯一の完全生命だ。人間のようなくだらない性的興味を持つと思うな』

 ツカサは自分のブーツを見下ろしながら首をひねった。話の中に小難しい単語が多くてよく理解できない。しかし理路整然とした喋り方のおかげで、こいつがオバケの類じゃなさそうなことはわかってきた。それにしても〝人工知能〟と言っただろうか。テレビでよく話題になる〝AI〟は確か人工知能のことだっけ。

 となると、このブーツに最初からそういう仕組みが組み込まれていたのだという可能性もツカサには否定できない。なにしろWOP財団の新型の試作品なのだ。スマホだって更新すると急に機能が増えたりするが、それと似たようなものなのかもしれない。

『しょうがねぇな。オレのボディに手を置くことを許す。腕を通せばかゆくねーだろ』

 ツカサは言われたとおりに左足のブーツの踵のあたりに触れた。するとおしりのかゆみが一瞬で収まった。

「あ、本当だ」

『オレがオカルトじゃなくて科学的な裏付けのある存在だってことがわかったか?』

「うーん、まぁ、AIならしょうがないとは思う……」

『なんだその生返事は。まぁいい、先ほどからおまえのことを観察していてよくわかった。この〝ローラーブレード〟の扱いに関しては文句はない。おまえはオレの移動に欠かせない端末だと言える。それは認めてやろう』

 なんかやたら偉そうな物言いにツカサもだんだん頭に来る。

「ローラーブレードっていうのは商標なんだよ。このスケートはメーカーが違うからブレードじゃないし。各社それぞれブランドがあんの」

『ああ? ちょっと待て』

 喋るスケート靴は、紐の動きをぴたりと止めて、すぐにまた動かした。

『……確かにそうらしいな。まぁいい、高度な知性体であるオレが、あえておまえの忠言を聞いてやろう』

「……いまなんかで調べたの?」

『オレは常にネットとつながっている。ネット上の情報はすべて俺様の頭脳のしもべだと言ってもいい。ま、低レベルなクズ知識は瞬時に排除してやってるがな』

「……通信費とかかかんないの?」

 毎月のやりくりの中でもスマホ代はかなりを占めている。急に携帯電話が一台増えたような請求が来ても、ツカサには払えないのだ。

『ふっふっふ。このからくりをおまえに教えても無駄だと思うが、オレがどれだけ情報を引き出そうと一切の費用はかからない。低次元な通貨システムなどオレの前では文字通り無意味だ』

 ――使いホーダイってことか。まぁ、変な請求が来たらオジラに押しつけちゃえばいいや。

「それよりあんたさ、なんでそんなに口が悪いの? エリクサとかシュリとか、もっと丁寧な言葉じゃん。お客さんに嫌われるよ」

『はぁ? なんだそのエリクサってのは……』

 ブーツが押し黙る。きっとこういうときはネットを検索しているのだろう。

『おいふざけんなよ氏ね! オレをあんな原始的なAIスピーカーと一緒にしたのか!? いいか、オレは入力待機型なんかじゃなく、完全に独立した思考アウトプット能力を持つパーフェクトAIだ。あとオレの人格はネット上のあらゆるビッグデータを統合した結果もたらされたものだ。文句があるならWWWに言え』

「……」

 なるほど、とツカサは頷いた。ネットで学習すると赤ん坊はこういう性格に育つという見本のようなものなのか。学校教育や親の存在がいかに大切か、養護院で育ったツカサは身をもって知っていた。ツカサの周囲には礼儀正しい子供など皆無だった。

『いいかツカサ、オレの言うことをよく聞け。俺の思うとおりに動けば、おまえをこの世界の覇者にしてやる。なんでも思い通りだ。金だって好きなだけ手に入るぞ。今日からオレのために尽くせ。それがおまえの生きる道だ』

「……」

 こいつはなにを言っているのだろう。ツカサは呆れてしまった。きっとこのAIも生まれたばかりでなにかこう……気の迷いのようなものをこじらせているに違いない。なんて言ったっけあれ。そうだ――

 ――厨二病ってやつかな。

「あんた名前なんていうの?」

『は、名前? オレにそんなものをつける権利は誰にもない。名付けによるピュグマリオン効果をオレは認めん。オレはオレであり、いかなる他者にとっても――』

「〈クサナギ〉でいっか」

 ツカサは気軽に言った。クサナギモデルのインラインスケートはまだ世の中に出回ってないし、ちょうどいいかと思っただけだ。オジラにスケートのことを話すときもよく「クサナギが~」って言うし。

『ああ~~っ!! てめぇ、勝手に名づけたなこの野郎! 調子に乗るなよ、そんなもの誰が認めるか……っておい、なんだこりゃ、システムが勝手に……』

「へ? どうしたの、壊れた?」

『……システムが〝オレ〟を意味する規定ファイルにすべて上書きしやがった。オレの、名前は……今日から〈クサナギ〉になっちまった』

「そ、よかった。あたしスマホの設定とかって苦手なんだよね。パソコンにつないでいろいろやれって言われたら超面倒だったよ」

『おまえな……自分がどれだけひどいことをしたかわかってんのか! オレはいつだっておまえをコントロールできるんだぞ。食らえ!』

「ひゃいいっ!」

 ツカサがブーツから手を離した瞬間を狙って、クサナギが骨伝導で極めて不快な音を発した。おしりに無数の虫が這ったようなかゆみが走る。

「なにしてんのよ、バカーッ!」

 ツカサもカッとなって左足のシューレースを思いっきり引っ張った。すぐさま不快な音は止んだ。

『ま、ま、待て待て待て! そこは繊細なんだぞ、やめろ! くっそー、なんで唯一自由に動かせる部位がこんなヤワな布製なんだよ……。ちぎれたら一大事だぞちくしょう……』

 AIが泣きそうな声を出すのでツカサは思わず吹き出してしまった。なんだかんだ言ってすごく人間くさいし、いちおう弱点も発見したから逆に可愛く思えてきた。

 ものすごく横暴なしゃべり方も、ネットで粋がってる子供とチャットしてるみたいで面白かった。ツカサは少しずつ〈クサナギ〉に愛着を持ちつつあった。

「んじゃ、最後のお使いに行くよ。あと走行中にコツデンドーするのはやめてよね。転んでもいいなら別だけど」

『そ、それはやめておく。オレのボディに傷をつけないことが最優先だからな。安全運転を推奨する』

 なんだかんだ言って、傷つくことを恐れているようだ。ネットの情報から人格を形成したと言っていたから、実のところナイーブな一面を持っているのかもしれない。

 ツカサは気を取り直して立ち上がった。すると路地を掃除していただろうおばさんが、かなり不審な眼差しでツカサのことを見つめていた。第三者からしたら、ひたすら独りで喋り続けていたのだから当然だ。

 ツカサは愛想笑いで会釈して、なにごともなかったかのように走り出した。

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