第25話~~答え合わせ~~

 すっかり暗くなった空にはまるで一種の穴がぽっかりと開いたかのように、煌びやかな満月が浮かんでいた。月灯りに照らされて、空には雲の暗い影が見える。地表もまた、様々な影がくっきりと浮かび上がっていた。

 アイヴィーの言う、答え合わせの晩に僕たちは自警団とその母体組織である【命の泉】の活動の様子を確認する為に街を歩いていた。

 件の暴走集団騒ぎによって交通規制が敷かれている為に、車は最寄りの駐車場の止めて徒歩で現場でと向かう事になった。

 路地裏を何度か通り抜け、人気の全くない住宅街の道を暫く歩けば、警察と自警団が暴走集団を待ち受ける為に封鎖した箇所に到着するだろう。そこに恐らくシンシア氏及びNPO職員も姿を現すだろうとアイヴィーは予想していた。


 「本当にもうすぐ答えが分かるのかい?」

 「はい、きっと分かりますよ。時にアンダーソン君、キミはアンチミステリーというのを知っていますか?」

 「ああ、聞いた事はあるよ。超常現象や魔法のような能力が出てくる、現実ではありえないようなトリックとかを使った事件を、同じように特殊な能力を持った探偵が解決するやつだよね」

 「その通りです。私、純粋なミステリーも好きですけど、ああいうアンチミステリーも大好きなんですよ。それでそういう特殊なトリックを特殊能力なんか持っていない自分の視点で推理するっていうのはほんとワクワクするんです」


 静かに吹いている生ぬるい風を切るようにクルクルと回ってはしゃいで見せるアイヴィーが、月の光に照らされてぼおっと輝いているように見えた。僕はそんな彼女を見守りながらコートのポケットに手を突っ込みながら歩いている。


 「いきなりどうしたんだ、そんな話なんかして。もしかして、その話は今回の事件の答えとやらに関係しているって言うのかい?」

 「逆に聞きますけど、あんな怪物を目撃してあれが今回の事件と無関係、ましてや普通の事件だなんて思います?」

 「ご尤もで」


 降伏の意を表すように僕は首を竦めた。アイヴィーがトテトテと近寄ってきたかと思うと、なにか箱のようなものを渡してきた。一体どうして彼女がこんな事をするのか分からなかった、とりあえずその箱を受け取ると彼女は満足そうに笑う。


 「これは大切な物なのでアンダーソン君の方で大切に保管しておいてくださいね。私だとほら……いつの間にか失くしそうなのでよろしく頼みましたよ?」

 「そりゃそうだ、僕が持っていた方が安心なのは間違いない。でも、勝手に中とか見たりしても文句はなしだよ。大切なものを僕に任せるのが悪いんだから」

 「とんでもない助手ですね……できればそういうやめて頂きたいですけどこの際なんで多少は目を瞑りましょう……」


 そんな会話を繰り広げていると、風に乗ってサイレンの音が聞こえてきた。警察の封鎖線に近づいてきているのだろう。サイレン音に紛れてまた別のどこからか警察車両のサイレンとはまた違った、緊急車両のサイレン音も流れてきている。ある程度の規模の街ならそう不思議な事ではない。

 もう暫く歩いて行くとアイヴィーが小さく呟いているのが聞こえた。


 「うう……緊張する……」

 「どうしたんだいアイヴィー。いよいよ、自分の推理が正しいかどうか時が近づいて来たからビビッているのかい?」

 「べ、別にビビッてなんかいませんよ! これは武者震いってやつです。それよりもアンダーソン君、のんびり構えている場合じゃないですよ、キミにもまた一仕事してもらう予定なんですから――」


 彼女がそう言い終わるやいなや、突然遠くの方へ強烈な衝撃音がまるで稲妻のように轟いた。

 その音に驚いたのか、木々の身を潜めていた鳥たちが一斉に空へと羽ばたいていく。それと同時にアイヴィーが悲鳴を上げながら飛び跳ねた。


 「ぎゃあ!! な、なんですか!!」

 「交通事故か……? 方角は……」


 先ほどの衝撃音は警察車両のサイレン音が流れてくる方角から聞こえてきたように思えた。例の暴走集団がなにかをやらかしたのだろうか。耳を澄ませてみれば確かにその方角が俄かに騒がしく感じられる。


 「毎日毎日、騒動に事欠かない街だね」

 「そんな事言ってる場合ですか!! ほら、アンダーソン君!! これは早速現場に急行しなきゃですよ!!」

 「その必要はない」


 突然、背後の闇の中から静かに誰の者ともしれない声が僕の背中を撫でた。思わず、身震いをしてしまう程、冷たい声だった。


 「誰だ!」


 そう叫ぶように声をあげて僕は背後を振り返る。朧げな街灯が点々と明りを灯している道の真ん中に、灰色のローブを纏った何かが立っていた。先ほどの冷たく低い声から察すると、恐らくれっきと人間、それも男性だろうか。彼はただこちらを向いたまま微動だにしていない。

 どうにかしてその正体を見ようとしてみても、距離がそれなりに離れている上にフードを深く被っている為、その表情は伺えない。

 古めかしい街灯の頼りない灯りと、月灯りだけが照らすこの道で僕たちは正体不明の人物と睨み合っている。奴が何を目的としてここにいるのかは分からないが、明確にこちらに敵意を持っている事はその雰囲気から察る事ができた。

 奴こそが例の殺人鬼なのだろうか、そんな思考が頭を過る。だとすれば、アイヴィーが危惧していたようにその正体を追っている事に感づき、命を狙いに来たのだろうか?そんな不穏な予想ばかりが浮かんでくる。

 アイヴィーも僕と同じくその謎の人物を視界に捉えたままその行動を伺っている。

 警察の封鎖線までそこまで距離はもうない筈、向こうでも何かしらの問題が発生しているであろう事は間違いないだろうが、それでもこのまま全力でそちらに向かえばこの窮地を脱する事ができるだろう。その事について、アイヴィーに小声て伝えると、すぐに彼女から同じく小声で返答が帰って来た。


 「そうですね……アンダーソン君、全力で警察に……エバンズさんかロックウェルさんと合流して先ほど渡した物を渡してください。警察に……ですよ」


 そんな彼女の言葉の意図を図りかねていると、生き物とは思えない、また機械音とも全く違う咆哮のような音と、腐敗臭を何倍も更に強烈にしたような形容しがたい匂いが辺り周辺を包んでいた。

 

 「アンダーソン君……!!」


 アイヴィーの叫びと共に僕たちは体を翻し、駆け出した。


 「もう遅い」


 男の冷たく、低い声が背中を突き刺すかのように響き渡る。

 その瞬間、得体の知れない何かが……いや、僕はあの姿を知っている。忘れたくても忘れる事のできない、記憶に、魂に焼き付いたその異形の姿。あの時、僕たちを襲撃してきた化け物、それが何体も物陰から飛び出してきたのだ。

 泥が地面にぶちまけられるかの如き、粘着質な足音を立てて奴らは僕らに向かって飛び掛かってくる。僕は咄嗟に身を屈めて前方へ転がるように飛び込んだ。次の瞬間には背後から重たい物体がぶつかる鈍い音が聞こえる。

 僕は後ろを振り返る事なく必死に走り続けた。しかし、ふいにある事に気が付いてしまう。アイヴィーの姿がどこにも見えない。

 その事実に気が付いた僕は足を止め後ろを振り向く。離れた距離ではあの複数の怪物が眼球の存在しない頭部らしき場所に穿たれた穴をこちらに向けている。しかし、どうもこちらを追いかけてくる様子が無かった。

 奴らの躰が邪魔で向こう側にいるであろう、襲撃者の姿は確認できない。もしかしたら、アイヴィーはあの向こう側に取り残されているのかもしれない、最悪、既に怪物に襲われて……様々な憶測が脳内で飛び交い冷たい汗が頬を伝う。


 「ア、アンダーソン君!! い、行ってください!!」


 アイヴィーの声だ。やはりあの怪物共の向こう側に取り残されていたらしい。彼女の声は震えている、どうにか助けに戻らなければ……そう思考を巡らせている矢先、再びアイヴィーが声をあげた。


 「重要な仕事をキミには頼んでおいた筈です!! 助手としてきちんと役目を果たして下さい!! 私は大丈夫です、め、名探偵ならこれぐらいのピンチなど問題ありません!!」


 その声を聞いて僕は確信する。普段の気弱な彼女ならこの状況下であればもっと取り乱すに違いない。確かに怯えてはいるが、取り乱している様子じゃない所を見ると、考えられる事はただ一つ。この状況を彼女は予測していたのだろう、そしてなにかしらの思惑があるのだろう。

 きっとそうに違いない、彼女はそういう事ができる人間なのだ。僕はそれを知っている。ならば、僕にできる事はただ一つしかない。彼女の願いを叶える事だ。

 僕は歯を思いっきり食いしばり、あの怪物共を睨みつけると一気に体を反転さて、再び走り出した。

 視界には真っ黒な空に煌めく満月が映る。前方からはサイレンの音、後方からは形容しがたい獣の唸り声、それらが生暖かい風に乗り、宙で混ざり合っていた。

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