第21話~~憶測~~
テント内の音の一切が全て消え失せたかのように静まり返った。外の雑音すら聞こえてこない断絶された世界。そんな世界に取り残されたかのような奇妙な気持ちが湧いて来る。それほどにその場の空気感は奇妙な物だった。それもこれも、アイヴィーの「犯人が分かったかも」という発言のおかげだ。
「本当に犯人が分かったって言うのかい? アイヴィー」
思わず、「冗談だろう?」という言葉が喉まで出かかった。だが、彼女がこういう時にそんな冗談を言えるような性格でないのは十分に分かっている。それに、彼女なら犯人を突き止める事ができるであろう可能性が十分ある事も期待していた。だからこそ、彼女のその『言葉』の意味も分かっているつもりだ。
この類まれに見る奇怪な事件の真相を知る事ができる――そんな考えが稲妻のように脳裏を過ぎった。心から望んでいた謎の答えがもうすぐ手の届く所まで来ている。そういう思考に塗りつぶされていた僕の言葉は情けないぐらいに裏返っていたに違いない。
「ライブラさん……聞かせて頂いてよろしいですか?」
いつもの気だるげな表情は鳴りを潜ませ、やけに神妙な面持ちのエバンス警部が力強くカップをテーブルに戻すと、アイヴィーに食い掛かるのではないだろうかという勢いで身を乗り出していた。
そんな警部に気圧されたのだろう、アイヴィーは目の前でぶんぶんと手を振って警部から距離を離れるように身をテーブルから遠ざけようとして椅子ごと倒れそうになっていた。
「お、落ち着いてください……!! あ、あくまで『かもしれない』って事ですからぁ!! まだそうだと確信できるような事ではないんです。だから確認したい事があると……」
「おっと……申し訳ない。年甲斐もなく興奮しちまいました。いや……警察としての本能という奴なんですかね」
警部はゆっくりと乗り出していた体を戻すと、アイヴィーに向かって頭を下げる。そして、空になったコップに新しくコーヒーを注ぎ込むと、再びそれに口を付け始めた。
それを見て安心したのかアイヴィーはほっとした感じで胸を撫でおろすと、椅子を元の位置に戻して体勢を整えていた。
「それで、その犯人の目星は一体誰なんだい?」
事件の真相を知りたいという気持ちが先走り、彼女を催促するようなそんな言葉が出てしまう。すると彼女はコホンと一つ咳払いをすると、ジトッとした眼つきで僕の方へ視線を向けてきた。
「あくまでまだ憶測でしかありませんし、これだという根拠も現状乏しい状態です。それなのに簡単に容疑者として名前を挙げてしまったら、もしもこの考えが間違っていた場合にその方々に迷惑が掛かっちゃいますからね。ある程度までこの憶測の信憑性が証明されるまでそうそうに名前を明かす事はしませんよ」
「ごもっともで」
ああそうだった、こんなのでも彼女は『探偵』なのだ。探偵として譲れない矜持があるのだ。僕はなんだか恥ずかしくなり、こんな簡単な事にも考えが回らなかった自分を憎んだ。行き場を失くしたこの好奇心を誤魔化すようにテーブルに置かれたコップに手を伸ばしてコーヒーを喉へと流し込む。熱い。
「血は争えないって事かな。お嬢ちゃんの祖父……アイヴィン氏も不確定な事は口に出したがらない性分だったと聞いているよ」
「お、お嬢ちゃん……」
「いいじゃないかアイヴィー、名探偵の血はちゃんと受け継がれているって事なんだから。それにお嬢ちゃんなのは事実だろう? いい大人には見えないもんな」
完全な八つ当たりではあるが、先ほどアイヴィーに打ち負かされてしまったのでちょっとした嫌味を含ませた言葉を投げかけてみる。僕は自分が思っていたより子供っぽい所があるらしい。
そんな事を言われたアイヴィーは何か言いたげで不満たっぷりな表情をこちらに向けていたが、そこで言い返したらそれこそいい大人っぽく無いという事の証明になってしまうと思ったのだろうか、そんな表情をこちらに向けてくるだけで何かを言ってくるという事はなかった。
「ともかくです……!! 今回の事件について質問させて頂いてよろしいでしょうか!!」
「ああ、どうぞ。こちらもなんとしてもでも事件を解決したいもんでね。解決の糸口になることなら全力で協力させて貰いますよ」
「ありがたい事ですね……ささ、アンダーソン君。助手としてしっかりメモを取っておいてくださいね」
「分かってるよ。キミの失言も一字一句抜けがないように記録しておくよ」
「本当にこの助手は……態度がなってませんね……!!」
キッとこちらをまったく迫力のない表情で睨めつけてきたアイヴィーは観念して大人しくエバンズ警部の方へと向き直した。その様子を見つつ、僕も手帳を開いて愛用をペンを右手に握る。
「まず最初の質問ですが……今回のこのクラブハウス内での事件について分かっている事を教えて頂いてよろしいですか?」
「まだ調査が進んでいない以上、有力な情報は教えられないと思いますが……。まず、被害者は荷物や服装からすると若い男女が数十名……学生も恐らく何人か混じっているでしょうな。この建物は管理の手が行き届いている訳でもなく、地元の若者たちの溜まり場になっていたらしいので、恐らく被害者はその連中だと思われます」
「なるほどなるほど……廃墟にそういう人達が集まってくるのはどの街でもよく聞く話ですね」
彼女の言う通り、若者たちが夜な夜なこういう場所に集まるのは変哲のない話だ。特筆する程治安が悪い訳でもない街でも少なからずそういう場所は存在する。今回の事件の舞台となったこのクラブハウスなど絶好の場所だったに違いない。
「彼らが夜な夜な騒いでいたおかげで近隣住民からの通報もよくありましてね。我々の仕事を増やされたものですよ。彼らには神父も自警団も相当手を焼いていたと聞いてます。だから、恨みも相当勝っていたでしょうし、そういった怨恨による犯行という読みもあったんですが――見て貰った通り現場があのザマですからね、満場一致で例の殺人鬼による犯行だろうという事になりました」
「神父さん……というと丘の上の教会のリック神父ですかね? 彼もなんらかの関係があったという事ですか?」
リック神父。以前に行った聞き込み調査の際に話を聞きに行った、町はずれに位置する丘の教会に務めている初老の男性だ。あの時は巷を騒がせていたカルト教団に憤っていた彼だったが、まさかここで彼の名を聞く事になるとは思っていなかった。
あの彼が今回の事件と関りがある……そう思えば心なしかペンを握る指に力が入った。
「関係があるといえばあるという事になるでしょうな。彼は若人を正しき道に導くのが聖職者の役目だと公言していて、よく若者の悩み相談なども聞いていたようですから。今回の件に関しても彼らを説得しようと何度も訪れていたようですな。尤も、若者たちにとっては説教以外の何物でもなく相当煙たがられていたようですがね。自警団……この場合は母体のNPO団体の方々ですかね。そちらとも協力していろいろやっていたようですが、結局成果はあげられなかったようですな」
有志が自警団として活動しているNPO団体……【命の泉】にはニック神父と同様に以前に話を聞きに行った事がある。活動方針からしてみれば、エバンズ警部の話の通りに関わっていてもおかしくはない。NPOの活動にしては広範囲の事に手を出し過ぎな気もするが、地域に根差す団体としては自然とそうなるものなのだろうと、僕はこれといった違和感を得る事はなかった。
「NPO団体……【命の泉】の事ですね。僕たちも実際に話を聞きに行った事がありますけど、ああいう奇特な人達もいるもんなんですね。うちのアイヴィーにも見習って貰いたいところです」
思わず、エバンズ警部の話に口を挟むとアイヴィーがこちらをジトッと睨めつけてくる。言いたくなったんだから仕方がない。
エバンズ警部は空笑いをすると、再び話を再開した。
「いやぁ……こっちもあの人達には随分と助けられていましてね……上部の方には警察の面子が丸つぶれだといい顔をしない者も多いんですが、現場としては彼らの手助けがなければ今より混乱は酷い事になっていたに違いないので頭が上がりませんよ。いやはや……本当にありがたい事で」
そう話しながら彼はコートのポケットに手を突っ込むと、煙草の箱を引っ張り出してきた。そのうちの一本の煙草を素早く手に取り口へと運んで加える。そのままもう片方の手を内ポケットに入れて恐らくライターを探しているのであろう所作を行っていたが、何かを思い出したかのような表情を浮かべるとライターを探す手を止め、火の付いていない煙草を咥えたままに話を続けた。きっと、禁煙中だったのだろうか。
「シンシアさんも今回ばかりは手を焼いているようでしてね、珍しくぼやきを何度か聞いた事がありますよ」
「NPO代表のですか?」
「その通り。【命の泉】の代表者、シンシアさんです」
「なるほど……皆さん大変なんですねぇ……他に事件についてはなにか?」
大人しく話を聞いていたアイヴィーが久しぶりに口を開いた。それを受け、エバンズ警部は大きく頷いて見せる。
「不思議な事なんですがね、現場はあれほどに血の海だったにも関わらず、あの2階以外の場所にはどこにも血痕の痕跡が見つかってないんです。血痕による足跡もです。通常ならあの状況であればほんの少しの痕跡も残らないなんてありえなんですがね。階段もエントランス、玄関に至ってまで一切見つかりませんでした」
「つまり、逃げた痕跡が無いと?」
「そういう事になりますな。となると、問題はあの割れた窓……あそこから侵入、逃亡を図ったものとして調査を進める所です」
凄惨な現場にも関わらず一切の痕跡が見つからない。そんな状況に僕は確かに覚えがあるような気がしていた。あの時も確かに犯人は現場から逃げ出した筈、それなのに痕跡は一切見つからなかった……あれは確か――
「アンダーソン君も気が付いたようですね」
気が付けば、アイヴィーがこちらを向いて微笑を携えて居る。その、小さな唇が再び開けられる。
「あの時の状況と非常に酷似しています。私たちにとってこの猟奇事件の始まりとなった、あの公園の惨劇と」
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