第20話~~饒舌~~

 「そうは言ってもですな……俺にはやっぱ人間がこんな事をできるとは思えんのですよ。要するにお手上げって訳です」


 エバンズ警部が両手の掌を上に向けておどけたように小さく挙げて見せる。

 僕も正直な所、警部と同じ心境だ。大勢の人間を悉く、バラバラにするなんてそれこそ爆弾でも使わなければ到底可能とは思えない。それも建物の損傷が殆ど無い点を考えるとありえない。だとすれば、犯人は一体どうやって犯行を?考えれば考える程に余計に訳が分からなくなってくる。 

 アイヴィーにはなにか思い当たる事はあるのだろうか。彼女の動向に目を向けて見る。僕の腕にしがみつく事を少し前に漸く止めて、今はチョロチョロと現場の調査に当たっていた。


 「エバンズさんの仰る事はよーく分かりますよ……こんな離れ業をやってのける人がいるなんて恐ろし過ぎです……いや、人の仕業じゃない方がもっと怖い気もしますけど……」


 アイヴィーがそう言うとエバンズ警部がにやりといたずらっ子のような笑みを浮かべたのが目に見えた。


 「ほう……例えば、ライブラさん方が遭遇したという例の怪物とかですかね」


 警部がその一言を言うと、その場がなんだか急激に冷え込むような感覚に襲われる。あの時、怪物に襲われた時の事が急激に頭に浮かんでくる。

 異質な姿、異様な臭い……迫りくるそれらの集合体。

 思い出すだけで冷や汗が浮かんできて、呼吸が乱れ、心臓の鼓動が早まるのがわかる。落ち着かなければ……そう思えば思う程にますますあの時の感覚が蘇ってくるような気がした。


 「如何なる時でも冷静であれ、ですよ」


 儚げで、優しい声が聞こえたかと思うと小さな、柔らかい感触が僕の右手を包む込む。気が付けばあの悪夢のような幻はすっかり身を潜めて消え去っている。

 いつの間にか強く瞼を閉じていたのだろうか、強張っていた瞼が弛緩してゆっくり開いていく。

 アイヴィーが僕の手を握っている。僕の目を真っ直ぐ見つめる彼女の表情は、あどけなく、ただただ優しくて、天使というものが実際にいるとするならば、きっとこのようなのだろう。そう思わせるようなものだった。


 「あ、ああごめん。あの時の事を思い出しちゃって……もう大丈夫だ。その、ありがとう」


 いつもの様子とは全然違う彼女の様子に、なんだかまた心臓の鼓動が早くなっていく。僕を見つめる彼女の瞳は暖かみを感じさせる綺麗で淡い赤色で、まるで宝石のように美しく見えた。


 「あーー僕とした事が情けない所見せちゃったな……とういうかキミは大丈夫なのかい? 僕よりよっぽど怖がりの癖に」


 アイヴィーが握った手をゆっくり離すと、なんだかいたたまれなく無性に恥ずかしさが込み上げてきた。一旦、彼女から視線を外し自由になった右手で自分の髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜる。再び視線を彼女に合わせてみる。そのアイヴィーとはいうと、なぜかドヤ顔でこちらを見ていた。


 「……なんだよ、この顔は」

 「いやぁ? なんだか名探偵としての威厳を見せつけてしまったようですねぇ? 最近、アンダーソン君の私への態度があまりにも酷いと思っていましたが、これには流石のアンダーソン君も私の事を敬うしかないのではないでしょうか?」

 

 ああ、そうだった。彼女はそういう奴だった。やはりさっき彼女に抱いてしまった感情は一時の気の迷いだったと僕はそう確信した。

 そして僕は見逃していない。いかにも平然としているアイヴィーであったが、その体は先ほどからプルプルと小刻みに震えていた事を……正直、一目瞭然ではあったが。

 とにかくとして、彼女にもあの時の恐怖はしっかりと刻まれているという訳だ。ただ、彼女は一時の優越感に浸る為だけにその事実を隠していたのだろう。まったくまって隠れていなかった訳ではあるが。


 「おっと……申し訳ない。配慮に欠けた発言でしたね。その件についてはまた後にする事にしましょう」


 僕たちの様子を察したエバンズ警部が気まずそうに髪を掻き回しながら頭を下げる。その横でロックウェル氏が溜息を付いているのが見えた。


 「いえ、大丈夫です」


 警部たちに心配を掛けさせまいと、笑顔で返事を返す。

 その時、僕たちが昇って来た螺旋階段の後ろ、建物の玄関側に配置された大きなガラス窓が豪快に割れている事が気が付いた。ガラスは枠に僅かに残った欠片を残してほとんど無くなっている。


 「あれは?」

 「ああ、窓の事ですか。今回の現場なんですが、死体の損壊状態のわりには建物自体はそこまで目立って荒れたような痕跡がないんですよ。尤も、被害者の荷物やらなんやらは散乱してましたがね。ただ、あそこの窓だけは派手に壊されてたんですよ」


 改めて割れた窓の方を見てみれば、開け放たれた穴から外の暗闇が漏れており、街の灯りと警察車両の回転灯がそれを彩っていた。

 僕はその窓へと近づき、ガラスの破片で傷を作らないように気を付けながら窓の下を覗き込んでみた。そこにあったのは玄関に設置された雨避けの屋根。この屋根を伝えば窓からこの室内への侵入も不可能ではなさそうだが、それなりに苦労はしそうに思えた。

 そっと覗き込ませた体を室内に引っ込め、再び警部たちの元へと戻るとアイヴィーが何かを言いたそうにそわそわとしているのが見て取れる。


 「どうしたんだアイヴィー? なにか見つけたのか?」

 「あ、それもあるんですが……その……流石にずっとここにいると気が滅入っちゃうのでそろそろ下に戻りませんか? エバンズさん達に聞いてみたい事とかもありますし……」

 「それもそうですな。私としてもお聞きしたい事がある事ですし。下の階でゆっくりお話させて頂きましょう。ま、綿密な調査は警察の方にお任せくださいよ……っという訳で」


 エバンズ警部はポンとロックウェル氏の肩に手を置いた。肩に手を置かれたロックウェル氏は、手帳にペンを走らせる手を止めると、チラリと視線をエバンズ警部へと向けた。


 「そういう事だからここの指揮は任せたぞトニー。俺は少しばかり探偵さん方とお話してくるからな」

 「了解です警部」


 そう短く返事をするとロックウェル氏はそのまま体を翻し、他の警察官たちが作業をしている場所に歩いて行ってしまった。


 「やれやれ、アイツももう少しぐらい愛想を良くできないもんかね。ま、それが面白い所でもあるんだがね。さて、お待たせしました。特等席へ案内しますよ」


 そういって相変わらずにどこか気怠そうな笑顔を浮かべたエバンズ警部に案内されて、僕たちは螺旋階段を下りていく。階段を下った先のエントランスでは、さっきよりも警察の人数が増え、いろんな機材が運び込まれているようだった。

 そのままエントランスを突っ切り、正面玄関から建物の外へと出た。外には何箇所かに白い幕を張った大きめのテントが設置されいる。警察の仮拠点だろう。そして、敷地の入り口に群がっていた野次馬たちは随分とその数を減らしてはいたが、また数人の物好き達が好奇心を宿らせた瞳でこちらを覗き込んでいる。

 一つのテントに案内され、中へと入る。テントの出入り口を覗いた四方に折り畳みのテーブルと折り畳みの椅子が置かれていて、そのテーブルの上には様々な機材と書類が乱雑に並べられている。テントの中央部分にテーブルと椅子が並べられていたが、こちらのテーブルの上は特にこれといったものが置かれている訳でもなく、恐らく会議にでも使用しているのだろう。

 そんな中央のテーブルへ案内され椅子に座ると、エバンズ警部がどこからか大きな水筒と紙カップを持ってきて紙カップへと水筒の中身を注ぎ始めた。白い湯気と香しい香りがテント内に広がった。これはコーヒーの匂いだろう。エバンズ警部はそれを僕たちの前へ置くと、椅子が壊れるのではないかと心配になるほどの勢いで僕たちの向かい側の席へと腰を降ろした。


 「私物で申し訳ないんですが――どうぞ。味の方は保障しますよ」

 「ああ、ありがとうございます。頂きます」

 「ありがとうございます! ありがたく頂きますね!……あつつっ!!」


 速攻、コーヒーに手を出したアイヴィーの舌が焼かれる。いつもの事なので問題はない。

 

 「若いってのはいいもんですなぁ。さてと……聞きたい事というのは?」


 頬杖をテーブルに付きながら、片手で紙カップを傾けてゆっくりとコーヒーを啜りながらエバンズ警部はこちらを見定めるような眼つきでこちらの返答を待っている。

 涙目になりながら一生懸命に息を吐いて口の中を冷却しているアイヴィーを待つ為に少し間、テント内は外部から入り込んで来る雑音に支配される。漸く、落ち着いたアイヴィーが口を開く頃には、エバンズ警部はすっかりコーヒーを飲み干し終わった後だった。


 「聞きたい事……というか確認したい事と言った方が正しいですかね……」

 「ほう? それはまたどうして?」

 「いえ……実はですね……」


 その瞬間、いつも気怠そうな表情を浮かべるエバンズ警部の顔に一抹の緊張が走ったように見えた。そういう僕自身も、アイヴィーの口から何が語られるのかと、固唾を飲んでその時を待っていた。そしてその時はすぐに訪れる事となった。


 「この事件の犯人……いえ、連続殺人の犯人、分かっちゃったかもしれません」

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