第13話~~動乱の晩に~~
トーマス・オリバー氏が殺害された。それも先日、僕たちが彼の自宅を訪れ話を聞いたその晩に。エバンズ警部の口から飛び出したその衝撃的な発言を聞いた途端に奇妙な脱力感に襲われた。
「トーマスさんが殺された……? 一体どうして……?」
「それは分かりかねますがね、どうも現場の状況から察するに例の殺人鬼との関りが匂いますね」
殺人鬼、公園広場での事件に引き続き、またしても僕たちの前に立ち塞がろうというのか。あの公園での惨劇の光景がありありと思い出され、まるで氷水を浴びせかけられたかのようにゾッとした感覚に襲われ身震いをしてしまいそうになる。
「話を聞く限りでは彼が殺害されたのは私達と別れてから間もなくのようですが……だとすると私達を襲った者がトーマスさんを殺害した犯人……という可能性も十分考えられます……よね?」
アイヴィーが恐る恐るという風に会話に入ってくると、意外な人物が彼女のその考えに答えた。エバンズ警部の背後で手帳を開き、先ほどからずっとそれに視線を落としていたロックウェル氏だった。
「犯行推定時刻と犯行場所、貴女達が何者かに襲撃された場所、それらから推測する限りでは仰る通り関係性は十分考えられますね。と、言いたい所ではありますが」
ロックウェル氏は顔を上げると鋭い眼差しでアイヴィーを睨みつける様に視線を向けた。ひゅい!?とアイヴィーの肩が跳ね上がる。
「報告では貴女達を襲ったのは犬のような怪物との事でしたね。仮にトーマス氏を殺害した犯人と同一人物であると考えるなら、貴女達は極度のパニック状態に陥ってその犯人をその怪物とやらと見間違えたという事に他なりませんが如何な物でしょうか。まさか、そんな怪物が街を徘徊しているだなんてありえませんからね」
無慈悲な程に冷淡な口調でロックウェル氏は言い放つ。まったく持ってその通りだと僕自身も思う、現実にはあんな怪物など存在する筈が無い、存在してたまるか、しかし現に僕はハッキリと昨日の出来事を覚えている。脳裏に醜悪なあの怪物の姿がハッキリと残っているのだ。
「し、しかしですね……昨日、実際にハッキリと見たんですよ。あんな恐ろしい物忘れる筈ないです……それにアンダーソン君も見ていますし……ね、アンダーソン君。ハッキリ覚えていますよね」
「あ、うん……僕も覚えてるよ。二人とも同じ幻覚を見た、なんていうのも考えにくいし……僕自身もあれが現実だなんて信じがたいけど怪物を確かに見たとしか言えないよ」
オドオドとしたアイヴィーの頼りない反論に、僕もただそれを肯定する事しかできなかった。ロックウェル氏は苛立たしそうに手帳にペンを走らせている。
「こりゃあ、参りましたね……こればっかりは私もトニーの意見に賛成ですな。流石にその話をはいそうですかと信じる訳にはいきませんからね。あー……まぁ、しかしです。一応記憶には留めておきますよ。決め付けは厳禁ですからね、警察も、探偵も」
そう言いながらアイヴィーを見つめるエバンズ警部の目は、まるで娘を見守る父親のよう……というよりかはまた別の心情がありそうだったが、ともかくとして警部はライブラ探偵事務所の熱心なファンだった事もあり余程気に入っているようだ。ロックウェル氏はその正反対のようではあったが。
「それにしても昨日の晩はやけに大賑わいだったなぁ……あの妙なカルト集団はいつも以上に馬鹿騒ぎを起こすわ、自警団にも犠牲者が出るわで……いやぁ、参った参った」
「警部、あまり外部の人間に話すような事じゃありませんよ」
ロックウェル氏は怒気を孕んだ声で警部を制止したが、警部はそれを気に留めないようだった。
「そんなカッカッするなよトニー。こんなの新聞にでかでかと載ってるような話だぞ」
「犠牲者……? トーマスさん以外にも誰か殺害されたんですか?」
意図してか偶然か、突如警部から得られた情報に僕は思わず膝を乗り出して質問を投げかけた。
「ええ、その晩トーマス氏の自宅付近を巡回していた自警団の方がその付近で死亡していましてね。大方、運悪くトーマス氏を殺害した犯人と鉢合わせでもしたんでしょうな。自警団から犠牲者が出るのは初めての事なんで警察の方でも中々ショッキングな出来事でしてね」
「トーマスさんの他に自警団の人まで……? 妙ですね……?」
アイヴィーが訝し気に首を傾げる。昨日の夜、まさかそんなにも様々な出来事が続けざまに起きていたとは思ってもみなかった事だ。怪物の襲撃、トーマス氏と自警団員の死、それらは全て一本の糸で繋がっているような気がしてならない。
だとすると、エバンズ警部の話の中に出てきた例のカルト集団も関わっているのではないだろうかという疑問が僕の中に沸いて来る。カルト教団が怪しげな儀式で怪物を呼び出し惨劇を繰り返している、そのような妄想に等しい考えて頭に浮かぶが、頭を振りその想像を振り払う。ともかく、その件に関しても警部に聞いてみなければ。
「エバンズさん、カルト集団の騒ぎというのはどういうものだったんでしょうか?」
「ああ、いつも街中で訳の分からん講釈を垂れてる連中なんですが昨日は特に夜中まで集会を開いていたみたいでしてね。そのお陰で警察と自警団は連中の対処に追われてたって訳なんですよ」
エバンズ警部が大きな溜息をつく。それは現場での苦労を感じさせるどこか哀愁の漂う物であった。僕はそれに乾いた苦笑いを浮かべて返すしかない。なんというか、ご愁傷様だ。
その最中にアイヴィーが質問を加えて投げかける。
「という事は……昨日の夜はその騒動で街中の警備体制にも支障が生じていた、と考えてもいいんですかね」
「ははは、恥ずかしい限りだがそういう事になりますな。連日の殺人鬼騒ぎに加えて今回の騒ぎですから、唯でさえ足りていない人手を取られるとなるとにっちもさっちもいかんのです」
「なるほど……つまり犯人が行動するには絶好の機会ですね」
アイヴィーにしては珍しく自らグイグイと行く。こういう時の彼女は大抵何かしらを思いついて行動に移しているものだが、今回もそうなのだろうか。以前、彼女が連日の事件の犯人を犬だと想定した事があった。突拍子も無く現実味など一切ない筈なのだが、昨日の経験をした今となってはなんとなくぼんやりと現実感が現れてきたような気がしなくともない。
「ま、大体そんな所です。……それじゃあ、そろそろ昨日の事について詳しく聞かせて頂きましょうかね。昨日の今日でさぞお疲れでしょうか、ま、勘弁してください」
警部が申し訳なさそうに軽く頭を下げ、着込んでいるコートから手帳を取り出した。それをぼんやりと眺めながら警部の質問を待っていると、アイヴィーが横から囁くように僕に語り掛けてくるのが聴こえた。
「アンダーソン君、神様に祈りを捧げてみる気はありませんか?」
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