第5話~~ライブラの血族~~

 アイヴィン・ライブラ、彼はアイヴィーの祖父にあたる人物だ。ライブラ探偵事務所の先代代表でもある。彼は表立ってメディア露出する事は少なかったが、その腕前は確かで、数々の難事件を解決してきた名探偵として名高かった。警察も、彼には随分ずいぶんと助けられたはずだ。

 僕自身、幼い頃からアイヴィン探偵の英雄譚を聞いて育っており、アイヴィン探偵を尊敬する人間の一人だ。僕が探偵を目指す切っ掛けとなったのも彼である。もっとも、念願叶ってライブラ探偵事務所に所属する事になった頃には、すでに彼は他界し、その孫にあたるアイヴィーが事務所を引き継いだ後の事ではあったが。

 そんなアイヴィン探偵の名前を出して興奮しているエバンズ警部が、アイヴィーの両肩を掴み、揺さぶっていた。


「いやー……ライブラと聞いて、まさかとは思ったが、そうかそうか、キミがあの名探偵の孫なのか。まさか、今になってライブラ探偵事務所と関わりを持てるとは思わなかった」

「は……はいぃ……す、すみません、許して……許して下さい……」


 警部は、先ほどよりかは幾分いくぶん落ち着いたようではあるが、未だに熱心にアイヴィーの肩を掴み、詰め寄ったままだ。随分ずいぶんとやる気の無い警官だな、と思っていたが、実のところ、熱い心を秘めた人物なのかも知れない。

 それはそうと、このままではアイヴィーが泡を吹いて卒倒そっとうしてしまう可能性があるので、警部を止めなければいけない。そう思い、僕が警部に声を掛けようとしたところ、警部の背後に立つ彼の部下、ロックウェル氏が口を開いた。


「警部、その辺にしといて下さい。アイヴィン氏の孫とはいえ、彼女は警察関係者ではない一般人ですよ。それに、本事件に置いては重要な参考人です。警部の圧で、気絶でもされたら元も子もありませんよ」


 ロックウェル氏は、自分の上司であるエバンズ警部に対し、まるで業務連絡を行うかのように、淡々と彼をたしなめた。彼にたしなめられた警部は、親に叱られた子供のように大人しくなり、すごすごと引き下がった。


「あー……申し訳ない、年甲斐としがいもなく興奮しちまいました。もうお分かりでしょうが、私はアイヴィン氏の大ファンでしてね。こうして、警察の仕事に就いてるのも若い頃に彼の影響を受けたのが理由でして。いやー……ほんと、すみませんね」


 警部はぽりぽりと頭を掻きながら、居心地悪そうに謝罪を述べた。しかし、当のアイヴィーはようやく解放され自由となった身で、ぜぇぜぇと、肩で息をしている。

 ともあれ、話を先に進ませねばと思い、聴取を始めて貰おうと僕が警部に催促しようとしていると、意外にも、ロックウェル氏が再び口を開いた。


「グリーンフィールドにライブラあり、そうとまで言わしめる程の人物でしたからね、アイヴァン氏は。最も、彼が他界してからはその威光も身を潜め、すっかり名前も聞かなくなりましたが。数ある私立探偵の中で、ライブラという名前は聞いた事はありましたが、まさか、かのライブラ探偵事務所の事だとは思いもよりませんでした」


 口を開いたかと思えば、憎たらしい言葉が長々とつらねられてきた。なんて嫌味な奴だろうか、僕は思わず彼をにらみつけた。しかし、ロックウェル氏は僕の視線など意にも介さぬ様子である一点に視線を注いでいた。その視線の先はアイヴィーだ。

 彼女も、ロックウェル氏の発言に腹を立てたのか、なんとも迫力の無いにらみを利かせていた。流石のアイヴィーも何か言い返そうとしているのだろうかと思ったが、ロックウェル氏の鋭い眼光に気圧されたのか、「あはは……」と、ぎこちない笑顔を浮かべ、視線を逸らす。


 「トニー、無礼だぞ。重要な参考人にしていい口の利き方じゃないだろ。……いえ、ほんとすみませんね。こいつは普段からこんな感じなんですよ、生まれつきそんな性分みたいなんで、気にしないでやってくれませんかね」


 見かねたエバンズ警部が、場を治めるように口を挟む。重苦しい空気が形成されつつあった為、こちらとしても非常に助かる助け舟だ。ロックウェル氏も、それ以上は口を出すつもりは無いらしく、押し黙っている。

 その様子を見て、エバンズ警部が頭をポリポリと掻きながらため息を付き、やれやれ……と小さく呟く。そして、改めて僕らの方へ向き直した。僕も、彼の助け舟にありがたく乗らせて貰う為、口を開いた。


「大丈夫ですよ、それよりも……聴取でしたよね。さて、なにから話せばいいものですかね」

「あー……そりゃ、助かります。ま、こちらの方で一つ一つ質問させて頂きますよ。まずは……っと」


 それから暫くの間、エバンズ警部の聴取は続いた。悲鳴を聞いた時間帯、死体を発見した時間帯、その時の現場周辺の様子、不審人物目撃の有無、夜間外出をしていた理由など、様々な事柄を事細かに聞かれ、僕はそれに一つ一つ答えていった。

 一段落ついたのか、エバンズ警部がふっーと息を大きく吐いたかと思うと、聴取の最中、ひっきりなしに何かを書き込んでいた手帳をパタンと閉じた。広場の周辺には規制線が張られ、制服警官達がひっきりなしに移動を繰り返し、現場検証を行っている。


「こりゃ、おかしいですね。足跡は真っ先に鑑識が調べてみましたが、野生動物の足跡以外何も残ってないんですよ。あなた方が目撃したという不審人物の足跡らしきものは一切ありませんでした。まさか、野犬とかそういった類の仕業な訳はないですし。……まー、もっと検証を続けない事には断定できませんがね」


 足跡が無い?そんな事はない筈だ。僕とアイヴィーは、何者かが森へ飛び込んだのを実際に見ている。殊更ことさらに、奴が逃げ込んだ先は何も舗装されていない地面だ。僕たちが調べてみた時は、光源は懐中電灯しか無かった為、見落としていたという事は十分考えられるが、警察の本格的な調査で何も見つからないなんて事がありえるのだろうか。戸惑い、そんな事を考えていると、突然アイヴィーが言葉を挟んで来た。


「えっと……公園内の樹木の上は調べてみましたか?地面に痕跡が無いとすれば、残るはその辺りかな……と、思うんですけど……」

「ほぉ? すると、ライブラさんは、犯人は木の上を伝って逃げた、そう仰る訳だ。随分と面白い発想だとは思いますが、ちと突拍子が無さ過ぎやしませんか?」

「ふふふ……犯人というのは、突拍子の無い事を平然と行うものなんです。現に犯人は私達の想像を遥かに超える、凄惨な事件を引き起こしているじゃないですか。そんな犯人に追いすがる為には、私達も突拍子も無い事を考えてみなければいけないんですよ」


 アイヴィーがドヤ顔でお得意の決め台詞を言い放つ。日頃、推理小説を読みながら、頑張って決め台詞を考えだしていたらしい。僕も、エバンズ警部も、ロックウェル氏ですら、呆気に取られた表情を浮かべていた。しかし、その時の彼女はなんだか勇ましく、アイヴィン探偵の雄姿を再現しているかのようにも思われた。かの名探偵に比べれば、まだまだ駆け出しの彼女も、やはり一端の探偵なのだと再認識させられた。

 そんな彼女を、眩しそうに見ていたエバンズ警部は、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。


「流石は、かの名探偵の血筋……という事ですかね。ですが、残念ながら木については我々の方でも調べてはいるんですよ、しかし、登った形跡は今の所見つかっておりませんな」

「そ、そうですか……」


 しょぼん、と言う風にアイヴィーがガックリと肩を落とす。


「ですが、貴女のいう事は尤もですな。上から下まで、見落としがないようにしっかりと心掛けておきますよ」


 エバンズ警部はそういうとアイヴィーの近くに寄り、ポンとその大きな手をアイヴィーの肩へ置いた。大柄な警部と、小柄なアイヴィーがこうやって並ぶとまるで親子の様にも見える。その様子を見ていたロックウェル氏は、どことなく苛立っているようにも見えた。


「しかし、もう現場から遠退いていた俺が、偶然引っ張り出された現場であの名探偵の孫と出会えるなんて、出来た話もあるもんだ。ここ最近は連続殺人事件だけじゃなくて、行方不明者まで多発していて、てんやわんやだったが、こればっかりは感謝だな」


 エバンズ警部が独白のように、それでいてやけにハッキリと呟いた。連続殺人はともかくとして、行方不明者が多発していた事は初耳だった。恐らく、例の連続殺人事件のインパクトに埋もれてしまっていたのだろう。


「警部」


 ロックウェル氏が苛立ちの籠った声色で警部を再びたしなめる。


「おっと……喋りすぎだな……すまんすまん。ともあれ、聴取は一先ずここまでにしときましょう。また、お呼びだてするかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いしますよ……っと」


 警部は、やる気無さげに敬礼を軽くすますと、ロックウェル氏を引き連れて、再び広場へと戻っていった。

 彼らが去った後に残された僕たちは、顔を見合わすと、先ほどの警部とその部下の奇妙な掛け合い思い出し、思わず笑いが漏れた。

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