第3話~~赤い泉~~

 僕たちは、暗い森を駆けていた。悲鳴を聞いた直後、僕とアイヴィーは石塀を乗り越え、その先に広がる森へと入った。背の高い植物が生い茂る、木々の間を搔きわけるようにして突っ切って進む。少し進んだところで、この見通しの悪い夜の森で一際ひときわ、明るい場所に出た。

 外灯だ、森の外からでは木々が視界を阻んでいたため、見えなかったが、外灯が規則正しく感覚を開けて設置されており、煉瓦れんがで舗装された道を照らしていた。

 ここは正確には森ではなく、昼間は市民の憩いの場ともなっている、公園だった。普段は夜間でも、夜風にあたり散歩をする市民が見かけられる場所だが、今は誰の影も無い。


「こ、こっちであってますよね!?」

「確かにこの方角の筈だけれど……」

 

 アイヴィーは既に息が上がりつつある。駆け出してからまだ一分も経っていないので、そんなに距離は走っていない筈なのだが。

 そう言葉を交わした直後、強烈な腐臭のような臭いが鼻を刺激し、思わず顔をしかめる。長時間の間、大量の生肉を野に晒し続けたかのような、不快な臭いだ。


「うぇぇ……随分と酷い臭いですね……」

「泣き言を言ってる場合じゃないよ、これはだいぶ近そうだね」

 

 そこから間もなく、開けた場所へ出た。噴水を中心に、煉瓦れんがで舗装された地面が円状に広がり、その周囲を外灯が照らしている。昼間は、屋台が数軒出ており、賑わっている場所だ。

 その中心にある噴水の水が、外灯の灯りを反射しギラギラとどす黒く鈍い光を放っている。夜とはいえ、照らされた水がこんな風に見えるのだろうか?その様子に違和感を持った僕はすぐにその噴水へと近づこうとした。

 直後に、腕が柔らかい何かに掴まれる。アイヴィーが僕の腕を掴み、引き留めたのだ。


「待ってください、なにやらそこにいるみたいです」

 

 ハッとして、僕は周囲を見渡した。広場を取り囲む、木々の奥は暗闇に包まれ、視界は皆無であったが、広場そのものは外灯のおかげで見通しは悪くない。しかし、その何かの姿は捉える事は出来なかった。ただ、異様な腐臭が辺りから漂ってくるだけだった。


「あそこです、あの噴水の向こう側です」

 

 アイヴィーが僕の耳に口を近づけ囁く。

 示された噴水へ注意を向ける。どす黒く輝く水のカーテンにより、その向こう側を見通す事は出来ない。しかし、よくよく見れば、噴水付近の煉瓦れんが畳に外灯に照らされた影が僅かに伸びていた。僕はその影を見つめ、思わず息を飲む。


「えっと、その……あ、アンダーソン君? も、申し訳ないんですけど、少し様子を見て来て頂けると、ありがたいかなー……なんて」

「分かってるよ、ヘタレのキミにそんな事やらせる訳にはいかないからね」

「うっ……」

 

 尻込むアイヴィーを傍目に、噴水の向こう側へと回り込んで行く。その間に、腐敗臭は更に強さを増し、もはや、鼻を押さえておかねば我慢ならない程であった。

 あと少しで先ほどは見る事の出来なかった、噴水の向こう側が見通せる位置まで近づいた。一歩、一歩と足音を忍ばせ、ゆっくりと歩みを進める。そして、最後の一歩を踏み出そうとしたその時。


「うわぁ!」

 

 下半身に激しい衝撃を受け、僕は態勢を崩され仰向けに転倒し、後頭部を煉瓦れんが畳へ打ち付けた。痛みからか、目尻には思わず涙が滲む、一体なにが起こったのだろうか。一瞬間の間、見上げた夜空には星が点々と輝いていた。


「くそっ!」

 

 僕は、痛みを堪え、すぐに上体を起こし、相手を視界に捉えようと正面を見据える。何か、黒い影が、広場を取り囲む漆黒の森へ飛び込んでいくのが見えた。


「アンダーソン君! 大丈夫ですか!?」

 

 アイヴィーが慌てて駆け寄って来た。彼女に支えられ僕は態勢を立て直す、すぐにあの黒い影が飛び込んだ森へ駆けだそうとしたが、アイヴィーに腕を掴まれ、追跡を阻まれた。彼女の貧弱な腕にしては、かなり強い力に感じられた。


「あの速度では追いかけた所で、恐らく追いつくは不可能でしょう。それに、相手の素性もまったく分からない状態で相手取るのも私達には荷が重いですしね」

「ごめん、油断した。相手の姿もよく見えなかったよ」

「いえ、こちらこそ危険を冒させてしまって申し訳ないです。……ともかく、ここを

調べてみましょう。あの悲鳴といい、この臭いといい、ここら辺がなんらかの犯行現場なのは間違いない筈です」

 

 辺り一帯は、嫌悪を抱かせるせ返るような臭いに支配されていた。その臭いの原因はまもなく見つかった。この広場の中央に鎮座する、どす黒く輝く噴水だ。

 噴水の水面をよく観察してみると、それは重厚な赤ワインのように赤黒い色で、そこから強烈な臭いを発しているのは明白だ。更に注視していると、なにやら水面に様々な何かが浮いているのに気が付いた。僕は、鞄から手袋を取り出すと、それを素早くめ、その何かに手を伸ばした。


「……これはまた随分と派手にやってくれたみたいだ」

 

 その物体に触れると、ブヨブヨとした感触が手袋を通して伝わってくる。噴水の水面には、おびただしい数の肉片が浮かんでいたのだ。

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