第2話~~暗闇の叫び声~~

穏やかな平原が、永遠に続くように思える道路に車を走らせる。見渡す限り、原っぱに背の低い木々が点々と存在するだけの景色が続き、遠くの方に線路が見える、それだけだった。

 フィリップス氏が事務所を去ってから、僕たちは丸一日かけて調査の準備を進め、明くる日に再びフィリップス氏と打ち合わせを行った。そして、今現在、フィリップス氏の娘さんが居を構えている街、グリーンフィールド市内へ向かっている。ライブラ探偵事務所の所在地の街ではあるが、事務所は街郊外の更に隅の方に位置する為、市内へは距離がある。

「オリビア・フィリップスさん、19歳。現在、親元を離れグリーンフィールド市内のマンションの一室で、彼氏である男性と同棲中、同市の大学へ通っているそうですね」

 助手席で、アイヴィーがフィリップス氏との打ち合わせで得た情報を、再確認の為か僕に聞えるように呟く。ハンドルを握ったまま、ちらりと助手席の方へ一瞬間、視線を向ける。アイヴィーが窓側に肘をつかせ頬杖をしつつ、手元にある書類を眺めている。

「大層な美人さんですね、大学生活も一見は順風満帆に見えますし、資産家の一人娘ときました。さぞ、華やかな暮らしだったんでしょうねぇ、羨ましい限りです」

 大袈裟に溜息をつくと、アイヴィーはおどけてみせた。車窓から差し込む陽の光に彼女の横側が照らされ、まるで彼女自身が淡い光を放っているかのような錯覚を覚える。

 写真を見る限り、確かにオリビア嬢は人目を引くような容姿だと思える。しかし、その容姿を羨ましがっているアイヴィ―も、オリビア嬢のような華やかさはないが、顔立ちは整っていて、どこか儚さを感じさせるような、そんな印象を受ける。

「親の……フィリップス夫妻は此処から大分距離のある都市に住んでいるんだったね」

「はい、T社の本社もそちらにあるようですし。……T社のサンドイッチ、美味しいんですよねぇ、あれはいくら食べても飽きが来ませんね」

「この間、三日食べ続けて、もう当分サンドイッチはいらないって言ってたけれど、まぁ、そうだね」

「そ、それよりもですよ。このフィリップスさんとオリビアさんは一週間に一度は連絡を取り合っていたようですね。オリビアさんと連絡が途絶えて、フィリップスさんが彼女の自宅を訪れ、不在を確認したのが今日から丁度一週間前のようです」

 前方に視線を向けたまま、時々、相槌をうち、時には質問を挟みながら彼女の言葉に耳を傾けた。ぼんやりと淡い光が視界の左右を流れていく。道路の脇に等間隔で並ぶ外灯に灯りが燈ったのだ。もう空は斜陽に照らされ茜色に染まっている。もう夕暮れ時なのだ。今日から本格的に調査だというのにアイヴィーはわざわざこの時間からの出発を望んだ。

「それからは警察に調査を依頼していたのだけれど、もどかしくなって、ついに昨日、こっちに依頼をしにきたという訳だね」

「まぁ、そういう事になっていますね」

 アイヴィーは含みのある物言いをした。彼女は自身が探偵である他に、一種の探偵マニアでもある為、そういった書物に影響され、度々こういった物言いをするのだ。

「フィリップスさんが、オリビアさんの不在を確認した日の先週にあたる日……丁度一週間前はまだ連絡は取れていたそうですから、オリビアさんが失踪したのはその日から、フィリップスさんが自宅を訪れた日の間になりますね」

「そういえば、オリビアさんと同棲していた男性との連絡もつかないんだっけ?」

「ですね、彼もオリビアさんの不在が確認されてからは一度も連絡が取れていないそうです。ただ、彼は以前から家を空けて暫くは連絡が取れない事がしばしばあったようなので、現時点ではなんとも言えませんが……彼が重要人物なのは間違いないと思うので彼に関しても調べてみる事にしましょう。本人に会う事ができれば一番なんですけどね」

 それから暫く、依頼の詳細確認や他愛ない雑談を続けていると、徐々に周囲の風景が変わり始め、民家など人工物が多く見受けられるようになってきた。

「さて……これからどうするんだい?」

「ふむ、そうですね。適当な場所に止めて貰っていいですかね? ちょっと歩いてみましょう、調査は足ですよ、足。あ、適当な場所といってもその辺の道路に止めるのはやめてくださいね。万が一、違反切符でも切られようものなら、我が事務所の恥になってしまいますからね」

「分かってるよ。つい最近、無断駐車で罰金を支払わされた人の言葉には流石に重みがあるね」

 アイヴィーは何か言いたげな、というより、何かを言っていた気がするが気にせず車を走らせた。

 すぐに手頃な駐車場は見つかり、手慣れた手付きで車を止める。専ら、日頃の買い出しは基本的に僕の仕事の為、車の運転にはすっかり慣れた物だ。

 車を降り、石畳が敷き詰められた道を歩く。煉瓦造りの建物が立ち並ぶ街並みが、夕日に照らされ、まるで紅葉にように色鮮やかに彩られている。すっかり近代化が進んだこの国でも、このグリーンフィールドという街は未だに前時代的な雰囲気を残している。中世のような民家に、コンクリートではなく、長方形に切り取られた石で舗装された道、歴史ある大聖堂に、自然豊かな山岳部には古城まで残されている。ビル群の立ち並ぶ都市部に比べるとまさに田舎といった感じの場所ではあるが、それでもインフラ整備はしっかりしており、また、前述の建造物の存在のおかげで観光業が栄えている街でもあった。

 そんな街中を僕はアイヴィーと並んで歩いている。

「さてと、まずはオリビアさんの自宅を訪ねてみる事にしましょうか。もしかすると、彼氏さんが戻っている可能性もありますし」

「それは別にいいけど、なら、車で移動した方がいいんじゃないかな。此処からだと、彼女の家までは大分距離があるよ」

 オリビア嬢の自宅は市街の中心部にあり、僕たちが車を降り立ったこの場所はまだ中心部から離れた場所であった。もう既に夕暮れ時であり、このまま徒歩で向かうとなると、日が暮れてしまうのは間違いないだろう。

 しかし、アイヴィーは僕の顔を見て片目を瞑り、チッチッチッと指を振るだけで歩みを止める事は無かった。       

 徐々に日は沈み、夕闇が迫りつつある。既に人通りは少なく、街を巡回する制服警察官の姿が度々見受けられた。かの連続殺人事件を受け、警戒も厳重になっているのだ。

「もう大分薄暗いな、この物騒な時期に夜間うろついていてヘタレのキミは大丈夫なんだろうか」

「な、なにを仰いますか! 探偵足るもの、例え厳戒態勢下であろうと夜間調査なんて朝飯前ですよ。ん?この場合は夕食前になるんでしょうか? ともかく、心配には及びません。それにボディーガードがちゃんとついてますからね、いざという時は任せましたよ、アンダーソン君」

「いや……まぁ、キミよりかは動けるとは思うけれど。僕は争いごとは得意ではないし、むしろ苦手な部類なんだから、正直あてにされても困るよ」

「いえいえ、大丈夫です。アンダーソン君はただそこにいてくれるだけでいいんですよ。私はいざ襲撃を受けたらアンダーソン君を囮にさっさと逃げますから」

 なんて奴だろうか、面倒ごとを人に押し付けるだけじゃ飽き足らず、人を贄に捧げる気でいようとは。僕が、穏やかな気性でなければ、手が出ていたかもしれない。

 アイヴィーの先導に従い歩みを進めていく。一つ曲がり、建物と建物の間の路地に入り込む。更にその突き当りを曲がり、そのまま別の通りで出たかと思うと、更に別の路地へと入り込む。そんな事を幾度となく繰り返すうちに周囲はすっかり暗くなった。通りには、民家の窓から漏れる灯りと、街灯の灯りがぼおっと暗闇の中に浮かび、まるで道しるべのように並んでいた。

「この通りを暫くいけば、オリビアさんの自宅へ辿り着ける筈です。もうすっかり暗くなってしまいましたが、取りあえず様子だけでも見に行く事にしましょう」

 アイヴィーはそういうと、歩みを遅らせ僕の隣へ並んだ。

 歩みを進めるその通りは、右側に煉瓦造りの建物が立ち並び、左側は背の低い石塀を隔てて、木々に包まれた森になっている。その森の中からだろうか、ほぉほぉという何かの鳴き声が僕たちに呼び掛けるかのように何度も何度も聞こえてくる。

「ふふふ……やっぱ気味悪いものですね。じょ……情緒があるといえばあると言えますけど」

 アイヴィーがヘタレなのはいつもの事だが、この暗闇の中に限っていえば、いつもより心なしか挙動不審に思える。

「ただの鳥の鳴声でしょうよ、こんなので怖がってたら本当に殺人鬼に襲われたら心臓が……」

 いつものように軽口を叩いて、アイヴィーを煽ったその瞬間――――


「イヤァァァァァ!!」


 暗い森の方角から、空気を切り裂くような金切り声が響いた。

「ひえっ!」

 アイヴィーがビクッと飛び跳ねるのが視界に入る。僕自身も、この暗闇での出来事に大層驚かされたが、それ以上に好奇心が刺激された。今、この状況、あの声が聞こえた森の方で、何かの事件が発生しているのは間違いない、探偵としてはこれを見逃す理由など無いのだ。

 怯えているアイヴィーも、僕と同じ感想を持ったのだろう、何かを訴えるように僕の方へ視線を投げかけていた。僕は、その視線の意味を感じ取ると、無言で頷く。

 アイヴィーと僕は、暗い森の中へ駆けだした。

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