星海の天秤~~悪魔の審判~~

八雲 鏡華

第1話~~朝食に事件を添えて~~


【希代の連続殺人鬼、復活か】


 ニュースサイトを開くと、そんな仰々しい一文が目に飛び込む。僕は珈琲を啜りながら、その記事を読み進めた。連日、国内各地で発見される死体、その死体の凄惨さ、犯人像の不明確さ。それらが好奇心、又は、一種の興奮が感じられる文面で書き連ねられていた。その事件を事細かに記載していたその記事も、読み進めていくうちに、かの連続殺人鬼切り裂きジャックの亡霊だの、カルト宗教団体の儀式だのと、段々と要領を得ない内容へと変わっていった。

 「切り裂きジャック……ねぇ」

 ニュースサイトを閉じ、そのまま天井を仰ぎ見る。古めかしい木製椅子の背もたれがギシギシと軋む。

 この事件の記事を見る度に、このような惨たらしい事件の首謀者は、必ず捕えられなければならない、罰を受けなければならない、そう自分の中の正義感というものがふつふつと湧いてくるのが感じられた。また、希代の連続殺人鬼、その名前を聞き、少なからずとも好奇心が湧いたのも事実だ。今回の事件、推理好きには堪らない一種の麻薬とも言える代物なのは間違いないだろう。探偵の端くれ……正確には探偵助手である僕にとっても、まさに興味を惹かれる事件であった。

 その時、キッチンの方からケトルがけたたましく鳴り響く音が聞こえた。

 僕は椅子から立ち上がると、その音に急かされるようにキッチンへと向かった。丁度、ケトルを熱していたコンロの火を消したその時。

「ふぁ~……アンダーソン君。朝食の準備はまだです?」

 背後から随分と眠そうな女性の声が聞こえた。僕は、ふぅと一息付くと、背後を振り向きその声に応える。

「おはようございますお嬢様、あちらの席で少々お待ちくださいませ」

 僕は皮肉をたっぷりに含めた言葉を彼女への挨拶代わりにした。



 多少の古さは感じられるものの、小綺麗に管理されているテーブルの上に朝食が並べられている。ふわふわのスクランブルエッグに一口大に切りそろえられたスモーク・サーモンが添えられているシンプルな物だ。湯気と共に甘美な香りを漂わせる紅茶は厳選した自信の一品だ。

 目の前に座る彼女は、サイドを胸上まで伸ばした赤茶色のショートヘアの寝ぐせを気にする事もなく、熱心にその食事を口へと運んでいた。

 その彼女こそが、僕の雇い主でありこの探偵事務所の探偵である、アイヴィー・ライブラだ。

「おや? どうしましたアンダーソン君、まだ寝ぼけてるんですか? ご飯が冷めちゃいますよ。せっかく腕によりをかけて作ったんですし。ほら、早く召し上がれ。」

「ついさっきまで寝てた奴の態度には見えないな。見かけによらず、ほんと図太いねアイヴィー」

「じょ……冗談じゃないですか……相変わらず口が悪いですねアンダーソン君、とても雇い主に対する態度とは思えないんですけど……」

 探偵はシュンと落ち込む素振りを見せたが、その間も食事を止める事はなかった。僕も、この探偵事務所へ就職した直後は、雇われ人らしい態度をとっていたが、彼女の雰囲気や態度がそうさせたのだろうか、雇い主と雇われというよりかは、友人同士といった関係に近しくなった。彼女にとっても今のこの関係の方が居心地が良さそうに思える。

「そういえばだけれど、最近の例の連続殺人事件についてどう思う?」

 食事の合間に、彼女へ質問を投げかける。すると、彼女の日ごろはオドオドとしたような風の瞳に、好奇心の火が燈ったかのように見えた。

「その件ですがね、実は私独自の調査でとある事実を発見したのです。事件の真相にはまだまだ程遠いですが。そうですそうです、丁度、この事をキミに自慢……報告しようと思ってたんですよ」

 探偵は、なにやら自慢げな表情を浮かべている。彼女は23歳の齢ではあるが、外見もだが性格も幼さを残している。

「なら警察にその事を報告したらどうだい、もしそれが事実なら警察の調査も進展するだろうし、なによりこの探偵事務所にも箔が付くってものだよ。それともなんだい? 警察には極秘で調査を進めて、自らの手でこの大事件を解決してやろうっていう魂胆なのかな」

「や、やや……そんなだいそれた事は考えてないですよ……というか、そんな事をしようものなら犯人に感づかれて私の命が危うくなるかもしれないじゃないですか。それに警察ってなんだか堅苦しくて苦手ですし……」

「はぁ、好奇心旺盛なわりには相変わらずビビりだね。まぁいいや、兎に角その発見ってのは一体なんなんだい?」

「はい、それはですね……」

 彼女が次の言を紡ごうとしたその瞬間に、インターフォンの呼び出し音が鳴り響いた。

「おや? お客様ですかね? アンダーソン君、すみませんが対応お願いしますね」

 探偵の指示により僕はリビングを出て廊下を抜け、アンティーク調の3畳程の玄関に立つ。扉を開けるとそこには紺のスーツを纏う壮年の男が立っていた。エリートビジネスマンといった出で立ちで紳士な雰囲気を感じられたが、どことなく疲れ切っている印象を受けた。

「すみません、ライブラ探偵事務所はこちらでお間違いないでしょうか?」

 その男の声色にも、どことなく疲労を感じられた。

「ええ、間違いありません。要件はなんでしょうか?」

「ご相談した事がありまして……今からでも大丈夫ですか」

「では、玄関で少々お待ちください。先生の方へ確認致します」

 恐らく依頼人であろうその男性を玄関の中へ招き入れると、僕は先生……アイヴィーの待つリビングへと戻った。



 アイヴィーの指示で、男性を応接間へと案内する。ソファーとテーブルが部屋の中央部分に置かれ、その四面の壁に様々な家具が配置された、これまたアンティーク調の部屋だ。

 ソファーに座った依頼人の目の前のテーブルに、自慢の一品である紅茶――カップとスプーン、角砂糖のセット――を置く。男性は暫くそれを眺め、湯温があまり高くない事に気が付くと、意外にも豪快に紅茶を飲み干した。どうやら、ずいぶんと喉が渇いていたらしい。ようやく一息付けたのか、心なしか先ほどよりも顔色が良いように見えた。

 「お、お待たせしました。私が当探偵事務所の、えっと……探偵を務めさせて頂いております、アイヴィー・ライブラと申します。い、以後お見知りおきを……」

 彼女はそそくさと部屋に入ってくると、ぎこちない挨拶を披露した。こういった事は初めてではないのだし、いい加減に慣れてもらいたいところだ。彼女は給仕を行っていた僕をちらりとみやると、男性の正面側のソファーへちょこんと座った。彼女が手でこちらに来るように合図を送ってきた為、僕も彼女の隣へ腰を降ろした。

「えっと……まずはお名前をお聞かせ頂いてよろしいでしょうか?」

「ええ、申し遅れました。私はオリバー・フィリップス、T社の取締役を務めさせて頂いております。この度は急の訪問、誠に申し訳ありません」

 フィリップス氏は、まさに紳士的に口上を述べる。その声色からはまだ疲労の色が見られた。それにしても、T社は食品を取り扱う企業であり、我々庶民にも馴染みのある高名な会社だ。そんなところの取締役が、単身で直々に、こんな私立探偵事務所へ赴いて来るなど意外に思えたが、大切なご依頼人の邪魔をしてはいけないと口を噤んだ。

「あのT社の……ふむ、通りでなんとなく見覚えがあると思いました。えっと……それでご相談というのは?」

フィリップス氏の表情が強張る。一瞬間、沈黙が続いたかと思うと、やがて、決心したように一度頷くと口を開いた。

「娘が……私の娘の行方が分からなくなりました。相談というのは、この娘の捜索についてです」

「娘さんの行方の捜索ですか」

 アイヴィーは、どこか気弱そうな雰囲気は残るものの、どことなく探偵らしさを演出していた。顎に指を当てて考えるような素振りを見せたりと、探偵らしい動きをしている。その彼女が、うーん、と唸るような声を出した。

「そのですね……こういっては、あの、なんなんですけれど。娘さんが行方不明というのであれば、まず、警察の方に相談した方がいいと思いますよ? いえ、けっして自信がないという訳ではないのですけど、一介の私立探偵と警察機関とでは使える労力が段違いに違いますからね。貴方程のお方の娘さんとあれば、警察の方でも大々的に捜索を行ってくれると思いますが……もちろん、私も警察にも劣らない、いえ、それ以上の成果をあげる自信はありますけどね、はい」

 アイヴィーの最後の方の言葉はごにょごにょととても聞き取りづらく、なんとももどかしい感じではあった。だが、彼女のその意見には僕も同意だ。大企業の役員が、このような小規模の私立探偵事務所に直接依頼に出向くなどやはり違和感がある。

「ああ、そのことですが……」

 フィリップス氏はその質問を待ってましたと言わんばかりに返答した。

「既に警察の方には相談しておりましてね、捜索の方も行って頂いているのですが、何分最近はなにかと物騒ではないですか。ほら、例の連続殺人事件の騒ぎのおかげで警察の方もなにかと人員の確保に難儀されてるようでしてね。そこで探偵業の方にも協力を願おうと考えてみた次第なんですよ」

「ああ、なるほど。今は警察や高名な探偵は、今回の事件でてんやわんやでしょうね。確かにそれなら、暇そうなこじんまりした探偵事務所に焦点をあてるのはいい選択だ」

 彼が、この探偵事務所に訪れた理由に納得がいった僕は、自然とそう言葉が零れていた。フィリップス氏も図星らしく、どことなく気まずそうに苦笑いを浮かべている。

 ふと、視界の端にアイヴィーの姿が映る。いつのまにか俯いており、ぷるぷると小刻みに体が震えている。僕はしまったと心の中で呟いた。いまのやり取りは恐らく、腕に自信があるとヘタレなりにも自負しているアイヴィーの矜持を傷つけたのではないかと案じた。案の定、彼女は顔をあげると、震える声で言い放った。

「……ッ! わ、わかりました。そういう事なのであれば、今回のご依頼、是非、受けさせて頂きましょう。なに、この時期忙しい警察の方々の手を煩わせる心配は必要ありません。私の方で、早急に解決してみせましょう。フィリップスさん、当事務所に注目したその慧眼、お見事です」

 彼女はやや興奮し、なんとも言えない笑みを浮かべて、男性へ握手を求めた。

「え、ええ。ありがとうございます、どうか、どうかよろしくお願いします」

 フィリップス氏は、彼女のその様子にやや戸惑いを見せたが、すぐに安堵の表情を浮かべその握手に応じた。

 それから幾秒も経たないうちに彼女はすっくと立ちあがった。

「さて、早速ですが捜査に取り掛からせて頂きましょう。フィリップスさん、いろいろ準備がありますので、今日のところはこれでお帰り頂いて、また後日、都合の良い時にでも打ち合わせさせて頂いてもよろしいでしょうか」

 やや、早急には思われたが、フィリップス氏は怪訝な表情を浮かべる事もなく、その案を承諾した。

 その後、事務所の玄関前でフィリップス氏の自動車が走り去るのを見送った。玄関の扉を開け、中へ入った所で、脇腹をツンと小突かれた。恐らく、アイヴィーの仕業であろう。何事かと彼女の方へ振り向くと、彼女はそっと口を開いた。

「あの人、嘘を付いていましたね」

「……あの依頼人、フィリップスさんが、かい?」

「そうですよ、さてはアンダーソン君、気が付きませんでしたね? や、やや、いけませんよアンダーソン君、修行が足りません」

 ドヤ顔を披露するアイヴィーを横目に僕は思考を巡らせる。フィリップス氏の表情、仕草、言葉、それを一つ一つ脳裏に思い返させる。が、彼がどこでどんな嘘をついたのか答えが出ない。しかし、彼女が彼が嘘をついたというのであれば、恐らく事実そうなのであろう。普段はどこかぬけている彼女だが、こういうときは一抹の鋭さ……探偵らしさを見せる。

「悔しいけれど、分からないな。いったい彼はどんな嘘をついたんだ?」

 早々に白旗をあげ、答えを求める。わからないことは素直に分からないと認める。それが探偵として成長するには大切だと、アイヴィーも日頃から僕にそう説いている。彼女自身は見栄を張って分かったふりをする事が多々あったが。

「ではでは、その答えはあとのお楽しみにとっておきましょう。恐らく、今回の事件については余り関与しない些細な問題ですし。それにアンダーソン君が、自力でこの謎を解くチャンスをあげないとですからね」

 期待した答えは得られなかった上に、彼女はニヤニヤと笑みを浮かべている。非常に腹立たしいが、せっかく与えられたチャンスだ、活用させて貰う事にしよう。

「さてと……では調査の準備を整えなきゃいけませんね。フィリップスさん次第では、早速明日から本格的に取りかからなければなりませんよ」

 その後、その日のうちにフィリップス氏から連絡が入り。すでに氏の方では準備はできており、明日にでも打ち合わせを行えるとの事だった。アイヴィーと僕は、その終日を準備へ費やす事となった。

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