幸せな模倣犯


 好きになった男の趣味を好きになる女はどこにでもいる。彼女の問題は、たいてい男のほうよりもうまくなってしまうことだった。

 足の速い男の子に追いつくために練習していたら、彼からリレーのレギュラーを奪ってしまった。いつも爽やかだった彼は、顔を茹蛸のように真っ赤にして号泣しながら彼女を睨んでいた。成績の良い男の子と話を合わせるために勉強していたら、彼に大差をつけて全校1位になってしまった。彼はいつもの雄弁な語彙を封印し、「あほ」「ばか」「煮物」などの偏差値の低い言葉で彼女を罵った。

 バンドマンの男に恋したときはギターをはじめた。幸いなことに意中の彼と同じバンドで演奏することができ、彼と闘わなくていいことに安堵した。これからは二人で音楽を創り上げていけばいいのだ。しかし、彼女の急激な上達にみるみる男は機嫌を悪くし、唐突な”音楽性の違い”宣告とともにバンドは解散となった。

 ああ、なんと不幸な星の廻りあわせ!

 彼女はいつも、好きになった男を趣味から追い出してしまう。

 しかし、彼女は追い出したその男に、彼女を見つめてほしかっただけなのだ。


「ミステリ研究会、ですか」

 それは彼女の十一度目か十二度目かの恋だった。

 大学のサークル勧誘列で、白いシャツを着た眼鏡の男に彼女は一目ぼれした。男の姿はサークル勧誘列の有象無象、魑魅魍魎、阿鼻叫喚のなかにあって、超然として知的に見えた。それに、「研究」という響きは、彼女の鬼門である闘い・比較から遠いところにあるように思えた。

「ミステリとは、人間の究極の謎、究極の頭脳の極致なのだ。我々がミステリを読むとき、我々は著者と謎を戦わせているのだ!」

 なんだかよくわからないが、好きな男が好きだというのだから仕方がない。

 恋の基本は共通の話題を持つことである。彼女は一にも二にもなくミステリ研究会への所属を決めた。

 なお、彼女はその後、ミステリに大層のめりこみ、当初意中の人物であったミステリ研究会の会長を知識量で圧倒、十一度目か十二度目の失恋を経験することとなる。


「知識で誰が優れているか?愚かな話だよ。キミはまったく正しい。会長はなにもわかっていない」

 十一度目か十二度目かの失恋に落ち込んでいる彼女を救ってくれたのは、”キミ君”と彼女が密かに名付けていた男だった。

 男はミステリ研究会の同期で、いつも彼女のことを、キミ、と妙なイントネーションで発音する。会話の輪には入らず、サスペンスやサイコホラーばかり読んでいる男だった。

 あまり他人に興味がないような彼にしては珍しく、部室で激しく罵られた彼女に同情したようだった。男は彼女を伴い、大学の食堂でシュークリームを奢ってくれ、自分用と彼女用に、セルフサービスの冷たいほうじ茶を用意した。

 ああ、シュークリーム!彼女の六度目の恋の相手はパティシエ見習いだったが、彼女が完璧なシュー・ア・ラ・クレームをバレンタインデーに捧げた途端、音信不通になってしまったのだ。ほろ苦い思い出をはらんだシュークリームには、彼女の心のようにどろどろのクリームが詰まっていた。

 時は八月。夏休み午後の食堂は閑散としていた。食堂の白い長机に、キミ君と彼女は向かいあって座っており、キミ君の顔に窓から強い日差しが差し込んでいた。キャンパスのそこかしこで何か起こっていそうな気配が、食堂まで漂ってきていた。彼女は泣き腫らした目をしばたいた。

「なにもわかっていない?」

「まあ、キミは確かに会長のプライドを傷つけたけどね。……でも僕に言わせてもらえれば、身近な誰それとの比較で勝ってる、負けてる、なんて卑近極まりない」

「卑近、極まりない?」

 もちろん罵倒された直後ではあったが、キミ君の言い回しは彼女にひっかかるものがあった。しかし彼女のいぶかしげな眼を尻目に、キミ君は持論に熱が入ってきたようだった。

「そう、自分の美学を持つべきなんだ。そして、その美学が世間に評価されるか、されないか、そういう点で人は競うべきなんだ。これこそ人の生き甲斐、生きる証憑、レゾンデートルであるべきなんだ」

 彼女はシュークリームをほおばりながら、キミ君の据わった目を見つめた。

 なんだかよくわからない。

 なんだかよくわからない、が、キミ君は彼にとって大事なことを言っている。そしてそれこそ彼女が愛するものだった。人の根幹。人が突き動かされる、その欲求。

「……たとえば、僕はいわゆる『コスパ』を美学だと思ってる。どれだけ小さい労力で、どれだけ大きい騒動を起こせるか、たくさんの人の心を動かせるか。その数字が僕への評価だし、答えだと思ってる」

「ずいぶん大きなこと言うのね」

 キミ君はほうじ茶をぐいっと飲み干し、やたら大きな音を立てて机に湯呑をたたきつけた。

「まあ、人生ひとつも騒ぎがないのはつまらないものだよ。いわば、僕は人生の愉快犯、といったところかな」

 シュークリームの袋が手にあたり、ぱさり、と床に落ちた。

 それは彼女の中で、恋がはじまる音だった。


 それからのやり方は、彼女の十八番だった。こちとら、十二度目か十三度目の恋なのである。そして九度目の恋の時に覚えた、私立探偵の証拠集めの方法も、十度目の恋の時に覚えたハッキングの方法も持っている。

 八月が終わる前に、彼女はキミ君その人の”欲求”を掴んでいた。

 キミ君は、本当の愉快犯だった。

 まさか好きな人が犯罪に関わっているとは。これは彼女の十三度目くらいの恋の歴史の中でも異例のことだった。

 キミ君は、どうやら全国各地の市役所、ショッピングモール、大学などといった場所に犯罪予告を出して、その反応を楽しんでいるようだった。確かに「最小の労力で大きい騒動」そのものだ。特に爆破予告がお気に入りのようで、手を変え品を変え、各地の公共施設に予告を送り付けているらしい。地域や時間帯で同一人物だと悟られないように、巧妙に工夫しているようだった。ただ実行までには及ばないようで、彼の行動によって世間を騒がせることのみに焦点を当てている。

 これが彼の「コスパ」なのだろう。

もちろん犯罪は見過ごせないし、好きな人が好きなことだからといって、同じことをすることはできない。

 しかしこれは彼の「美学」だ。なんだかよくわからないが、そういうものなのだ。

 彼女はキミ君と、美学の話をしたかった。それも対等に、お互いの美学の話を。

キミ君も言っていた通り、我々は自分の「美学」に則って、自分の「美学」の下に評価されなくてはならないのだ。彼女はしばし考え込んだ。

 果たして、彼女自身の「美学」とは何なのか?


 八月の最終週、うだるような暑さはまだ続いていた。夜になっても太陽の熱を忘れられない暗闇の中で、彼女は”怪盗”業をはじめた。

 それは彼女の、いや、彼女の恋愛の、集大成であった。

 彼女は”怪盗”と名乗り、あらゆるメディアに「予告状」を叩きつけた。

 もちろんそれは、四度目の恋で得た小説家の手法による、特におどろおどろしい文体を用いたものだった。

「余が如何なる人物であるかは、駅員諸君も当然ご承知であろう。諸君は、かつて市井の無辜なる民衆の移動手段となりし自転車数十台を、放置自転車として、珍蔵せられると確聞する。余はこのたび、右数十台の自転車を、貴下より無償にて譲り受ける決心をした。近日中に頂戴に参上するつもりである。正確な日時は追ってご通知する。

 ずいぶんご用心なさるがよかろう。」

 彼女はかくのごとく、駅前の放置自転車だとか、ショッピングモールの期限切れフリーペーパーだとか、盗まれても誰も困らないものを、特定の日時に盗むと宣言した。その姿は、さながら現代の怪人二十面相といったところで、新聞、ラジオ、テレビ、各種メディアは大いに沸き立った。

 記念すべき初回の恋によって培われた足の速さ、二度目の恋によって得た計算高さ、十度目の恋によって得られたイリュージョン的な手法をもってすれば、怪盗業などたやすいことだった。ましてや駅前の放置自転車やらフリーペーパーやらは、予告状を出したところで監視が大幅に増えるようなものでもない。

 彼女は浮き立つような熱帯夜の中、リヤカーをひいて放置自転車を盗み出した。そして、六度目の恋で得たコネをもって、廃棄物として処理した。

 これこそが、彼女の「美学」であった。

 彼女の愛した男たちの理想、欲望、その根幹。彼女はそれに追いつきたいと努力した。

 彼らは、彼女が追いついたかと思うがいなや、そこからいなくなってしまう。

 けれど彼女の中には、かつて彼らが追い求めた、そして、彼女が追い越してしまった、”理想”がすべて残っていた。彼女はそれを余すところなく、世間に見せつけたいと願った。


 彼女はわくわくしていた。以下のような完璧な計画だった―

 キミ君のように犯罪予告を次から次へと出し続ければ、いずれ犯行場所がかち合うこともないとは言えない(好きだと悟られては恥ずかしいので、あえて同じ場所に出すことはしない)。そこで二人は、本屋で同じ本を手にとる男女よろしく、お互いを意識するのではないか。もちろん、二人の「美学」は異なるのだから、闘争には当たらないに違いない。

 彼女の思惑は当たり、ある日、キミ君は彼女に接触を図ってきた。じりじりと灼けつくような日差しの下、彼女は部室でそのニュースを見た。

 彼女たる”怪盗”が、爆破予告を出したというのだ。

「”怪盗”新たな犯行予告を発表。今度は土手の不法投棄ごみを盗むと予告」

「緊急に入ってきたニュースです。”怪盗”は、土手の不法投棄ごみを盗むと同時に、土手の爆破予告を出しているようです。繰り返します。本日の夜、〇〇川の土手に爆破予告が出ています。近隣の住民の方は……」

「”怪盗”はどうしてしまったのでしょうか。〇〇川の大量の不法投棄ごみには長年苦情が出ていましたが、爆破などしたら近隣の民家にも燃え移る可能性があります……」

「近隣の住民は不安の声をあげています…」

「警察はこの爆破予告を重く見て、不法投棄ごみの周辺の警備を強化すると同時に、不法投棄ごみの分別を進めています……」

「”怪盗”の予告は今夜12時です……」

 これはどう考えても、キミ君の仕業だった。

 彼女はもちろん、爆破予告など出した覚えはない(それはキミ君の「分野」だからだ)。”怪盗”に対して、あたかも彼女が仕組んだように爆破予告をかぶせる。これこそキミ君の「最小にして最大の効果」そのものではないか。

 あるいはこれは、キミ君からの一種の挑戦状かもしれない。

 彼はこの予告によって、彼女が美学たりえる人物か確かめているのかもしれない。彼女の心は波打った。

 それでは、彼女自身の美学を示すとともに、彼のリクエストに応えるべきではないか?


 八月の蒸し暑い夜風とともに、人々のざわめきが聴こえてくる。川の土手には街灯がなかったが、パトカーや人々が集まって昼間のように明るく、不法投棄ごみを照らしているのがよく見えた。皆”怪盗”の出現を不安がっているのだ。川は対照的に底が見えない灰色に沈み、テレビの取材だろうか、何台か船が浮かんでいた。

 川のほど近くには民家がいくつも立ち並び、その中に男が住むアパートがあるのも、彼女は知っていた。

 彼女の五度目と八度目の恋―奇しくも、彼らはこの川をその活動場所としていた。

 五度目の恋はオートレーサーだった。彼女はもう自分でも知らない間に船舶免許を取得していた。資格など、恋の前では無力である。この川は、したがって彼女の庭であった。

 予告の12時だ。

 突然、低い爆発音のようなものが響いた。と思うと、ぱっ、と川全体が天国のように明るくなり、彼女は思わず微笑んだ。八度目の恋のことを思い出したのだ。

 彼女の手元から、大きな爆発音が上がり、いくばくか遅れて頭上に大きな花火があがった。花火は大きく大きく広がり、川全体を照らしていった。


「”怪盗”からの新たな声明です。……警察諸君、不法投棄ごみの分別をありがとう。ちょっとしたお礼といってはなんだが、爆発を楽しんでもらえただろうか。そして、爆破好きの”キミ”も」

 彼女は非常に幸せそうに、テレビの電源を消した。

 キミ君は、これを見てくれただろうか。彼女の意図を理解してくれただろうか。

特に、彼女の”美学”は伝わっただろうか。いや、もちろんこれはわかりにくい話だから、直接説明するのが筋かもしれない。わかりやすく、順を追って、いかに効率的にメディアに注目されるかであるとか、意外とそれが簡単であるとか―

 秋の訪れとともに、彼女の十二度目か十三度目かの恋の終わりが近づいていることを、彼女はまだ知らない。

(了)

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不機嫌な愉快犯 河原日羽 @kawarahiwa

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