二十五、光りあるところ瞳あり

 帰国する時も山瀬源吾やませげんごが送ってくれた。もう関所でむだな時間を費やすこともなくなっていた。書類を提出する手間だけで通り抜ける。

「では、これにて。機会あらばまたお会いしましょう」

「こちらこそ、お世話になりました。ではさらば」帰路の間の山瀬やませのようすから、戸善とぜんはとぼけておいた。


 しかし、父相手にそれはできなかった。

「おまえはいまがどういう時かわかっているのか。それに、婿や養子の話を本人が勝手に決めてくるなど聞いたこともない」

「では、これを初回としてご検討ください」

「もはやあきれてものもいえん。考えたくもない」

「ならばこれは一時置いておきましょう。しかし、会談の準備をととのえながらでもお考えください」

「そうしよう。だが、間を開けたとてとうてい飲めぬ話だ」しかし、そういいながらも怒りだけではない変わった表情をしていた。


 会談は寺にて二か月後、夏のさなかになるが、雨宮あまみや家からは深山守みやまのかみ殿、大牧おおまき家からは恵子けいこ様、そして農民を代表して二名が寺に集まる。御木本みきもと家は調整役として縁の下から会談を支える。

兼光かねみつ、わしは名を出すばかりで、実質的に動くのはおまえになるが、それはよいな?」

「もちろんです。が、兄上たちはいかがでしょうか」

「まったくあてにならん。同時期に王室で始祖大供養が執り行われる。今年度は休暇なしだそうだ」首を振った。「いちおう会談と婿の件は書状で伝えてはおいたが、反応はまだない。そもそも読んだのかもわからん」

 そうだろうな、と思う。月城つきしろの貴人たちの目はすべて王室行事のほうを向いている。そのほうがつごうがいいともいえる。とりあえず口を出しておこうというつもりの干渉などされたくない。


「警備や滞在中の費用は両家に負担いただくこととなりました。また、われらには御礼をとの御申し出でがありましたが、こちらは丁重にお断りしました」

「それでよい」顎をなでる。「王室はわしがなんとかする。手を出してほしくはないが、まったく知らせないというのものちのちの禍根となる。耳には入れておくぞ」

「はい。それがよろしいでしょう。しかし父上、よろしければわたしから畠山部長に協力を仰ぎましょうか。王室につながりを持っております」

「それは無用だ。かかわる家をこれ以上増やしたくはない」

 戸善とぜんはうなずいた。


 翌日から準備に入った。寺には会談中の警備体制について了承をとる。守備上やむを得ないのだが、寺の山と森林にも警備士を置くことになる。また、陣には大きく派手な幟を立てさせ、あえて警戒厳重なるを目立たせて不届きな行為への抑止をねらう。その段取りも必要だった。

 農民たちには書面で当日の流れを伝え、服装や礼儀作法について、無礼にならないほどの略式の儀を教えた。そのさいに探りを入れたが、豪農との分裂状態はおさまりつつあったので安心した。というより不満はあっても両家を敵に回す気はないようだった。抜け駆けで直訴をされる心配もない。

 大牧おおまき家とは、入国から寺に向かうまでの道筋についてなんどかやり取りをして決めた。中央街道や広い道のみ使っていただく。あちらでは山瀬源吾やませげんごが実務担当として動いていた。

 雨宮あまみや家は大家らしく堂々としたものだった。大牧おおまき家一行全員分の宿泊所の提供を申し出てくれたうえ、私設警備士の一部に特別任務を与え、一時的に戸善とぜんの指揮下にいれるという便宜をはかってくれた。これはたいへんありがたく、警備の問題があっさりとかたづいた。かれらの実力と人数を考えると過剰警備といってもいいほどだった。寺を囲む警備線は一重のみの計画だったが、二重線とすることができた。


 おかげで少々時間の余裕ができ、前倒しで細かい点を詰めようとしたとき、雨宮あまみや家から呼び出しがかかった。警備について確認事項があるとのことだった。

 この時期でもあるのでほかのことはおいて駆けつけると、迎えてくれたのは千草ちぐさ様だった。

「よく来てくれました。そんなに驚かなくてもいいでしょう。このたびの会談ではわたしもお手伝いするのですよ。最近のこともあって、恵子けいこ様の接遇をつとめます。それにあたって助言をいただきたいのです。実際に部屋などを見てくださいませんか」

「警備上の、ですか? それであればこちらの警備士の方々の権限を飛び越えることはできませんが」

「またかたいことをいいますね。ふだんならそうですが、いまは特別です。とにかく日が足りないので権限の筋を通してはいられません。それに警備士長には内々に話してあります」

「わかりました。それであればさっそく確認いたしましょう。どちらですか」

 案内されたのは奥の間だった。庭に面しているが、直接家の外と接しているところはない。それでも戸善とぜんはあちこち歩きまわり、目を走らせた。

「とくに問題はなさそうですが、あえていうなら庭木ですね。塀を越えられる位置にあるのが気になります。しかしのり越えたところで敷地内です。外ではないのですから処置にはおよびません。結論としては問題なしです」そういいながら、診断などえらそうだなと思った。そもそもここは雨宮あまみや家なのだから、もとより問題のあろうはずはない。


「ありがとう。気になっていたので見てもらってよかった。では休憩にしましょう」

 そういうととまどう戸善とぜんをむりやりその部屋に座らせ、茶菓をはこんできた。

「いまいそがしいのはわかっております。立ちどまっているいとまなどないでしょう。でも、どうかお願いします。わたしとほんのすこしの間、この庭を眺めましょう」

 茶の香りがただよう。手入れのいきとどいた庭木が池にうつりこみ、落ち葉がうかんでいるが、鯉がつつくのかおもいだしたように大きくゆれる。

「これはどういう? そろそろ種明かしをお願いしたいのですが」

戸善とぜん殿、わたくし、教育の道を進むことにしました。それにあたってきっかけとなるお言葉をいただいた御礼を申し上げたかったのです。ただ、もう二人だけでお会いできるような時間がいましかなくて、このように警備の確認にことよせてお呼びいたしました」

「それでは王室のほうに。いつでしょうか」

「この接遇がおわってすぐです。見習いとして王立初等学校につとめます」

「こちらをはなれられるのですか」

「はい。次兄がおりますし、来いといってくれます」

「それはよかった。新しい道がより良いものであるようお祈り申し上げます」

「ありがとう。戸善とぜん殿。ほんとうにありがとうございます」

 しかし、その顔は言葉ほど晴れやかではなかった。戸善とぜんは迷ったが、ほうっておくことはできなかった。

「いかがされましたか。なにかご心配でもございますか」

「ええ……、いえ、心配ではないのですが、戸善とぜん殿、これからもお言葉をいただけますか。ずっとわたしを見ていてくださいますか」


 若い目が射貫くように見つめる。すぐ近くにいるので、肩がかすかにふるえているのがわかった。


千草ちぐさ様。わたくしなどでよろしければいつでもご相談ください。しかしながら、ずっと見ていることはできません。わたしは大牧おおまき家に参ります」


 肩のふるえがとまらない。


「これはまだ父上の許しを得ておりませんので決定ではありませんし、王室への届けなどもまだです。けれども、わたしの心は決まっております。恵子けいこ様とともに未来を形作っていきたいのです」

「そうでしたか。恵子けいこ様と……。よくわかりました。いいえ、ほんとうをいえばわかりません。けれど、わからなくてはならないのでしょう?」

「はい。時間がかかってもけっこうですので、ご理解ください」

 ふるえはとまったが、目がうるんでいた。

 いつの間にか庭は静まり、池は鏡のように世界を逆にうつしている。

「よい庭です。あの木一本、そこの苔一面にしてもきのうきょうで出来上がるものではございません。むろん、よそから持ってきて植えつけるのは可能ですが、それではここのようにはなりません。人の心も……」

「わかったようなことをおっしゃらないでください。わたしの心は戸善とぜん殿とともにありたいのです。いまここで手を握ってください」

 戸善とぜんはいったんひざに目を落とし、また千草ちぐさを見た。

「これは失礼いたしました。ついうわついた説教をしそうになりました。ではわたしの心をお目にかけます」すう、と息を吸いこむ。「千草ちぐさ様。わたしは恵子けいこ様でなければならないのです。自らを信じておられる方だからです。それは念といってもいいほどの強さです。また、その強さを世の中に投影できるほどの実力もお持ちです。わたしは尊び、敬いました。そしてすぐにお慕いもうしあげるようになりました」

 千草ちぐさはじっとかたまったように聞いている。

「そのような方から、未来を共に創ろうとのお言葉をいただきました。そこに否やはございません」

「そうでしたか。お心を見せていただき、ありがとうございます。では、わたしはもうなにも申しあげますまい。それでも、戸善とぜん殿と行った任務はわすれません」

 戸善とぜんはうなずいた。


 日は傾きはじめ、部屋の奥深くまで差しこんできたので真昼よりかえって明るくなったようだった。

 ふたりはその光のなかで姿勢よく座り、茶を飲み、菓子を食べ、見つめあった。


 戸善とぜん千草ちぐさの目の光を記憶に焼きつけた。人の心について惑い、闇がせまったら、この光で照らそう。

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