第3話 脱走

 テラスの先に意識を向けたローザは何かに気付いて呆れたように呟いた。


「あの方…お逃げになったようですわ」


 視線を彷徨わせていた者達の瞳がローザを映して止まり、その言葉を受けて公爵が問うた。


「ローザ、先程の娘の行き先を追えているのかい?」


「はい。あの方の体に入ったばかりですのでしばらくは気配を感じ取ることが出来そうです。今は繫がっている細い糸の先が移動しているような不思議な感じですわ。

 あら?こんな下の方に気配が……お父様、今現在、お城の地下を移動されているようですの。どうやらあの方は隠し通路をご存知のようですわよ。殿下、これは由々しき事態ではありませんこと?」


 ローザは驚き過ぎて公爵の腕にしがみついていしまったものの慌てて手を離し、驚きで見開いた目を反対に眇めて王子をみやる。

 城の隠し通路のことは王族とそれに近い特別に許された者達のみが知っているものであり、それ以外の者にはもちろん極秘にされている。

 それを城勤めでもなければ王族関係者として認められてもいないマリアが知っており、今現在使用しているとはどういった理由からか。

 彼女が誰かから教えられたことは確実なことであり、その誰かが誰であったのかは顔を青褪めさせて動揺している王子の様子を見れば明らかだった。


「脇道に反れることなく最短距離で城外へ向かっていらっしゃるご様子ですわ。これは歩き慣れるほどには頻繁にご利用されていますわね」


 迷路のようになっている地下の隠し通路を一度も迷うことなく、城外に作られた複数ある出口の一つである南地区へと向かうマリアの気配をローザは感じ取っていた。


「殿下がそれほどまで愚かなことをなさっていたとは……情けない」


 公爵はもはや軽蔑を隠すことなく自国の王子に向かって吐き捨てた。


 しかし、その吐き捨てた言葉を受けた王子は青褪めた顔のまま何も言い返すことも出来ずに公爵から目をそらした。


 公爵は王子の様子に眉を顰めた。


「殿下、しっかりなさってください。まずは真実を理解して受け入れてください。

 殿下が選ばれていたあの娘は王族に迎えることなど到底出来るような女性ではありませんでした。我が公爵家による証明をご覧いただいたことと殿下の側近達の言葉を聞いてもご理解いただけないのでしょうか?」


「……」


 しばらく待っても何も返答しない王子を目を細めて見やると公爵はさらに続ける。


「さらにはあの娘は自分に不都合な状況を感じ取ったのでしょう。何も言わずに退室した上に城の隠し通路を勝手に使用して逃走するなど、まるで後ろめたい職業の者のようではありませんか。逃走経路については高貴なお方が片棒を担がれていらっしゃるご様子ですので、この件についても後ほど私から陛下へ直接お伝えいたします。よろしいですね?」


 青褪めたままどこかぼんやりしていた王子だったが公爵の言葉の後半を聞いて思考が戻ったようだ。


「か、片棒だと?父上に伝えるだと?」


「あの娘に隠し通路を逃走経路として利用出来るほどに覚えさせたことは重大な機密漏洩であり、逃走幇助にもなるのですから片棒を担いだと言っても過言ではありません。

 さらには殿下とローザの婚約は陛下の勅命によるものだったのですから、それを勝手に婚約破棄されたことは立派な王命違反です」


「な、何を…そ、そのようなこと…!」


「「「その通りです(わ)」」」


 公爵の言葉に反論しようとした王子だったが、ローザと自分の側近二人からの公爵へ賛同する言葉の三重奏を聞いて頬を引き攣らせた。

 王子が側近達をにらみ付けるも側近二人は真正面からそれを受け止めて見つめ返した。


「殿下、我々はもう殿下のお考えに反するとしても正しいことをお伝えすることを躊躇いません。耳障りな言葉であっても聞き入れ、言われた言葉の意味を、裏側を、ご自分で考えるようになさってください。殿下ご自身の考えが常に正しいとは限らないのですよ」


 強い意志を湛えた眼差しで語った宰相の子息の言葉に頷き、無表情の側近は感情のこもらない声で続ける。


「まぁそれも今後殿下に進言出来る機会があればですけれど。何故なら我々がこの場にお伺いすることが出来たのは公爵様のご厚意によるものです。我々は既に殿下のお側に寄る権利を失っておりすので本来であればこのようにお話をすることも出来ませんでした。次に殿下のお側に寄る者達の言葉を良くお聞き入れ下さるとよろしいかと」


 公爵からの容赦ない言葉、自分の側近達からのこれまでにはなかった強気な言葉と彼らの立ち位置の変化、側近の交代を匂わせる話の内容に王子は脳内も身体も動揺したのかその場にしゃがみ込んでしまう。


「もう…私は何をどうすれば良いのかわからない……」


 頭を抱えて呟いている王子を見下ろした公爵、ローザ、二人の元側近は首を振った。


 王子が自らの知恵を使って考えるのは楽しそうなことと喜ばしそうなことばかり。

 それ以外のことは身辺にいる者や近づいてくる者達がしてくれていた。

 もし王子が不手際なことを仕出かしたとしても側近達が対処して来た。

 マリオスの王子としての立場を守っていたのは周囲にいた者達の力だった。

 本人はまだそれに気付いた様子もなければ、今だからこそ自身が考え、対処するよう指示を出して認められる努力を見せるべきだと言うことにも気付いていない。


 マリオスは王子ではあるが王太子ではない。


 公爵が今回の件を国王へ奏上すれば王太子への道は確実に閉ざされるだろう。

 立ち上がる気配のない王子を見つめる者達の眼差しには憐憫とともに見限る意志が含まれていた。

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