第38話松山城攻め

青鳥城を無血で手に入れた事で約3キロ程離れた松山城攻めの拠点が出来た。

蔵には兵糧がかなり残されており運んで来た兵糧と敵対する国人領主の館から接収した兵糧を合わせれば8000人の兵が大体2ヵ月ぐらいは何とかなる量があり、時間を気にせず松山城攻めが出来る。


当初の予測では青鳥城で兵糧を手に入れるのは難しいかと思って鉢形城を守る景春さんの配下が守る高坂城を通じて坂戸周辺の国人領主から兵糧を融通して貰うつもりだったけど、その必要もなくなった。


兵糧の心配が無くなった事で諸将も安心したのか主殿に集まり軍議を開くも皆さん一様に明るい顔をしている。

江戸城が攻められそうになってた時は深刻な顔してたのに、今はその時の事なんか忘れてしまったかのような顔だ。


「風間さん、松山城の状況を説明してくます?」

そう声をかけた風間さん、大森氏に所領を追われ一族郎党を含め400人程を率いて浪人だったのを自分に仕えたいって言うから即答で家臣にした人だったりなんかする。

名前違いという事もあるけど今回の合戦では情報収集や噂を流したりする仕事を任せていたんだけど、結構良い働きをしてくれる。

うん、この合戦が終わったら風間から風魔に名前を変更させよう。

そんな事を思ってると、名指しされた風間さんは少し緊張したような顔で松山城について調べた事を話し始める。


松山城には城主の上田朝直が川越から戻って来ており、援軍を含めると4000人程が籠っているそうで兵糧なども川越城を囲む上杉定正から支援を受けて潤沢で戦意も旺盛との事だった。

ただ8000人の兵を率いる豊嶋軍相手に野戦を挑む気は無いらしく現在は空堀を深くするなどして守りを固めているらしい。


「宗麟様、松山城攻めですがどのように攻め落とすおつもりですか?」

最近軍議の場で議事進行役になりつつある泰経さんがそう言い松山城攻めの方針を質問してくる。


「え~っと、松山城は攻め落とさない!! ただ何もしないのもどうかと思うから極力死傷者が出ないように数日間軽く攻めてその後は暫く包囲する」

「それだけですか? 川越城が大軍に囲まれている状況で我々も松山城を囲んでいたら川越を囲む上杉定正の兵と松山城の兵に挟撃されますぞ!!」


皆さん異議を唱える泰経さんと同意見のようでウンウンと頷いている。

「多分川越城から兵は来ないよ。 川越から忍城に戻った成田正等が兵を率いて松山城の救援に来るぐらいで、それを追い払わない限り川越を囲む兵は動かないよ」


何故、成田正等率いる兵が来るのか、そして救援に来た敵を追い払わないのかと一様に不思議そうな顔をしているものの自信を持って言う自分に反論をせず、そのまま松山城攻めの配置をどうするか議論が始まった。

皆さん、白熱して攻める場所を決めてるけど、数日軽く攻めるだけだからね。

極力死傷者が出ないようにって言ったの聞いてた?


そして翌日、1000人程の兵を青鳥城に残し松山城へ向けて進軍を開始する。

と言っても青鳥城を出発して2時間もしないうちに松山城へ到着したので大手門を望む場所に本陣を置き諸将は昨日決めた通りの配置に着く。


一応降伏勧告の使者を出したけど、丁重に拒否された。

うん、そうだよね。

松山城を守るために川越から戻って来て籠城してるんだし拒否されるのは知ってた…。


形式上の降伏勧告をしに行った使者が帰って来て拒否する旨の報告を受けたので諸将へ城攻め開始の合図を送る。

昨日、何度も何度も死傷者を極力出さないように攻めるよう口を酸っぱくして伝えたから大丈夫だと思っていたけど皆さん見る限り全力で松山城へ攻めかかっているように見える。


「泰経さん、昨日あれだけ言ったのに皆さん気合入れて攻め過ぎじゃない?」

「いえ、宗麟様の言いつけ通り、死傷者を少なくするよう攻めております。 それにそこそこ本気で攻めなければ怪しまれるでしょうし」


自分の質問に泰経さんは涼しい顔をしながらそう答えるけど、見る限りガチで攻めてるようにしか見えないんだよね…。


押しては引き、再度押し出しては引きを繰り返す事を数回繰り返していると日が暮れだし、そのまま今日の城攻めはいったん終了になった。

夜、本陣に諸将を集めて損害報告を聞くと、怪我人はそれなりにいるものの、死者は合計で100人程度と少なかった。

どうやら盾を前に押し出して攻め寄せ投石や弓で攻撃をしただけで城壁に取り付いてないからとの事だ。

守る側からしたら攻めあぐねている感じに見えるように戦ったらしい。

遠目からでは全く分からなかった…。


ただ死傷者が少ないことは良い事なので暫くの間は今日同様に攻めるよう明日以降の時事を出す。

うん、攻めあぐねている感をアピールしつつ成田正等が松山城救援の為、忍城とその近隣の国人領主を連れて来るのを待たないといけないしね。

投石機を即席で組み立てて攻撃したら簡単に攻め落とせそうなんだけど今回は攻めあぐねていると上杉定正に思い込んで貰いたいし。

攻め落としたら万単位で川越から兵が向かって来そうだし…。


そして松山城を攻めあぐねているふりをする事6日間、成田正等が4000人程の兵を引き連れ現れ、松山城を攻める自分達を牽制するかのように、松山城から北西に1キロぐらいの所に陣を敷いた。

このまま自分達が城攻めを継続すれば松山城に籠る兵と成田正等率いる兵で挟撃出来る絶妙な位置だ。


風間さんの配下から既に成田正等の兵が向かって来ているとの報告は受けていたので、松山城への抑えとして3000人を残し残り4000人を成田正等さんと対峙するように配置を変える。


日も暮れて来たし今日はこれ以上動きは無いだろうけど、援軍を得て勢いづいた松山城に籠る兵が夜襲をしかけて来ても対応できるよう泰経さんに指示を出し、自分は成田正等と対峙する4000千の兵の指揮を執るべく移動する。


大体両軍の距離は500メートルあるか無いかぐらいの為、大した移動距離でも無く情報伝達もすぐに出来るので細かい指示はいつでもできるけど、夜襲を成功させて城側が勢いづくと困るので泰経さんには口を酸っぱくして夜襲に備えるように言っておいた。


さて、明日から成田正等相手に凡戦を数日繰り広げよう。

まあお互いに遠くから石を投げ合うだけだけど…。


補足------------------------------------------------------

松山城

1399年頃に田友直と言う人物により築城されたと言われていますが諸説あり実際の所はよく分からないようです。

室町時代から武蔵国中原の要衝とされ、関東の諸勢力による激しい争奪戦が展開されていたようでかなり多くの戦乱に巻き込まれていたようです。

尚、松山城は上杉謙信や武田信玄、北条氏康などにも攻められ落城していますが主要な城としてその都度再建、修理され使われ続けましたが徳川家康が関東を支配すると、廃城となったそうです。


戦乱が続いたために重要な城とされていたようですが戦乱が収まったら用無しとは悲しい運命ですね…。

そんなお城は全国各地にに多く存在します。

一国一城令が原因でもありますが。

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