第32話川越城攻防戦

「スリング一の組!! 用意!!! 放て~~~~!!!!」

「二の組準備せよ!! 用意!!! 放て~~~~!!!!」


「投石機は一斉に放て!!!」


戦意の乏しい上杉顕定が攻める鉢形城と異なり川越城は激戦となっている。


城下を焼き払い火が収まった昨日、上杉定正が率いる6万の兵が城を囲み城を道灌の父である太田道真が降伏勧告の為に城の大手門まで来て道灌に説得を試みたものの、徹底抗戦の構えを見せている道灌はそれに応じず籠城を続ける。


道灌の父である太田道真は「家宰の立場でありながら主家に弓を引き豊嶋泰経の傀儡にされている御使いの言いなりにならず、豊嶋を滅ぼし御使いの目を覚まさせるのが天下静謐の為である」 と説き、道灌は「宗麟様は傀儡では無くご自身の意思でこの日ノ本を統一しており、まずは関東で長きに渡り続く乱れの元を絶つ為に戦っておられる。 そのご意思に従うのは天よりお告げを受けた者の務め、宗麟様を手のうちに入れ傀儡にしようと企む上杉家には従えない」 と返す。


その後も大手門で互いに言葉の限りを尽くしそれぞれの主張をぶつけ合うも互いに譲ることなく決裂し翌日から上杉軍の総攻めが始まった。


現代知られる川越城は室町時代後期から江戸時代にかけて城郭が増築されてはいるが、まだこの時代では大掛かりな増築がされておらず、道灌自ら築城し守りに適した要害といえど到底6万もの大軍を相手にして守り切るのは至難の業と言うべき平山城だ。


城を包囲し四方から攻め寄せる上杉軍に対し、作り方と使用方法を教えられ導入したスリング、そして合戦前に送られてきた投石器を駆使し攻め寄せる敵兵の頭上から石の雨を降らせる。

各所に配置した足軽雑兵の数だけ石が降り注ぎ水堀を迂回し城に取り付こうとする兵の負傷さえ足を鈍らせる。


ただ例外として大手門は静かであり、スリングを持った兵が待機し投石器がいつでも石を飛ばせるように待機しているものの、大手門を攻める兵は遠巻きに盾を構え身を潜めているだけで攻めかかる様子がない。


城攻めが始まった際、道灌は大手門の内側にバリスタ8基を配置し大手門を開いて敵を誘い込んだ。

すると武功を挙げようと数名の武者が馬に乗り郎党を引き連れ名乗りを上げ城内に突入しようと大手門まで2~30メートルの所まで来た瞬間、8基のバリスタから大矢が放たれ一番乗りを競う武者達の胸や腹、顔を貫き勢いそのままに後方から押し寄せていた兵数人の身体を貫通した後地面に大矢が突き刺さった。


バリスタ自体、制作中のガレオン船の武装様に大きめの物を作った物なので、それに使う矢も当然大きく直径5センチ、長さ2メートルと通常では考えられない太さと長さに加え、やじりは細長く鋭い円錐状になっている。


矢自体が大きい為に矢羽根は付いていないものの一直線に飛んで行き鎧を着た武者を数人貫く程絶大な威力がある。

突然前方で一番乗りを競う武者が血をまき散らして馬上から落ち、直後に風切り音が聞こえたと思った瞬間、隣に居た足軽が膝から崩れ落ち、その後ろに居た足軽の腹を突き抜けた太い矢が地面に刺さるのを見て周囲に居た兵達の足が止まる。

道灌は機を逃さず弓を持たした足軽衆に号令をかけて弓の一斉射を命じると、足の止まった兵の頭上から放物線を描いて矢の雨が降り注いだ事で大手門を攻める兵は算を乱して逃げ出していく。


「まさかここまでとは…、宗麟様の言われた通りにしたらここまでとは…」

城に取り付く事が出来ず降りしきる石や矢に右往左往している定正の兵を見つつ道灌が側に控える側近に呟く。


「某もそう思います、 日々鍛錬を積み敵に矢を必中させ討ち取る事ばかり考えておりましたが、まさかまともに矢を的に当てる事も出来ない足軽に弓を持たせ弧を描くように斜め上に向かって矢を一斉に放つだけでここまで効果があるとは夢にも思いませんでした」

「全くだ、此度の合戦も城壁沿いに弓が得意な者を集め守っていたら既に何処は破られて敵兵が城内に侵入していただろう。 これからの合戦は戦い方そのものが変わるぞ」

側近にそう言い櫓から敵兵の動きが止まった大手門の方を見下ろす。


その後暫くして盾を前面に押し出して攻め寄せようとするも、バリスタから放たれる8本の大矢に盾を貫通し後ろに居る兵数人が貫かれる。

大手門を攻める将はこれ以上攻め寄せても被害が出るだけで戦果は得られないだろうと判断し、ここなら射程外だろうという所まで下がり盾を並べ守勢に徹してしまった。


本陣に居る上杉定正にも報告はもたらされ、届けられた大矢を目にし、大手門攻めは不利と判断し大手門は抑えの兵を残しその他の場所を攻めるように命じたが、絶え間ない投石により城に取り付く事も出来ず負傷だけが増る。

絶え間なく川越城へ攻め寄せ続けるも、初日はろくな戦果を得られず日没になり城を攻めていた兵がに引き上げを命じた。


その夜、本陣で損害報告を受けた上杉定正は一旦様子を見るべきと諫める家臣の言葉を無視し、翌日も大手門を除いて総攻めを命じるも前日同様に戦果を得られず増え続ける損害を危惧した太田道真を始め諸将の言葉を受け入れて。城を完全に包囲し兵糧攻めに切り替えた。


兵糧攻めが始まりしばらくすると大規模な合戦を聞きつけた商人や遊女が集まり出し周辺には小屋が建ち始める。

長陣となり一部の兵糧を負担する事になった上杉定正は商人達が兵糧に酒などを買い入れ国人衆に分配する。


膠着状態に陥った事を危惧し松山城へ向け進軍を続ける豊嶋の兵を攻めるべく兵を差し向けるべきと太田道真が上杉定正に進言をするものの、関東管領より金銭援助もされ懐が温かい事に加え、入間川を使って商人が兵糧や酒などを売りに来ており長期戦の様相を呈している為か、大軍で包囲し続ければいずれ道灌が音を上げ降伏し、その後豊嶋を討ち滅ぼせば良いと定正は考えており、無駄に兵を失う必要は無い、と太田道真の意見を聞かず相模や上野、下野から来た女などと遊興に耽りだした。


実際川越城は完全に包囲され援軍が来ても近づく事も出来ないだろう状況で城の兵糧が尽きれば降伏せざる得ない為あながち間違った考えでは無いので太田道真も次第に強く諌言を出来なくなってしまった。


川越城周辺は日に日に城を囲む兵達を相手にする商人や遊女が川越に集まり川越城の周囲は合戦前よりも人の出入りが激しくなっている。


「大軍が一か所に長期間集まるとそれを商機と捉えて人が集まる自然な流れと言うべきか…。 合戦の最中だという事を兵達どころか諸将まで忘れてしまわぬように釘だけは刺し続けなければ…」

陣所に戻り家臣に対し、諍いなどが起きて無いか見回りをするように指示をだし、一人になると太田道真はそう呟いて長陣の為建てられた寝所へと向かう。


「早く降伏し開城すれば庇いようもあるのだが…」


補足---------------------------------------------------------

兵站と言う概念の無い時代、兵糧は荷台で運んできますが大軍を擁する場合、荷駄では運びきれない為、近隣の商人などに命じて兵糧などを仕入れていたと言われています。

また合戦が長引き両軍が長期に渡り対陣していると、それを聞きつけた大商人や遊女、物売り等も多くあつまり賑わっていたと言われています。

しかし、合戦が動き出し片方が敗走した場合、敗走した側で商売などをしていた人はその多くが巻き込まれ略奪や暴行、最悪の場合戦利品として本人なども捕えられて奴隷として売られたりしたそうです。

大商人の場合、売ったらすぐに帰るのですが行商人などは長期間商品を売っていたりしたので犠牲になったとも言われています。

遊女なんかは完全にカモですね…。

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