1-14 二人の夜 1
テレサが行方を眩ませた。夜の点呼まで孤児院にいたが朝には消え去っていたらしい。自分の意志か事故なのか、あるいは誘拐だったのか——。
——ともかくアリシアがそれを知ったのは、GDC放送中のことだった。行方不明者の映像に紛れたテレサの姿はアリシアに衝撃と混乱を与えた。それでもCM明けには笑顔を浮かべて、ニュースキャスターの顔になる。放送に穴を開けたりはしない。アリシアはプロとしてカメラの前に立っているのだ。
プリメイプル公園で散歩したとき、マークはもう知っていたという。なのにアリシアには一切気取らせず、笑顔で話してくれた——その胸の内が一体どうなっていたのか、アリシアには計り知れない。本人は言い出せなかっただけだとむしろ謝ってきたのだが、優しい人だから気遣ってくれたのだと分かっている。
罪悪感に似た感情が沸々と胸に湧いては、アリシアの中で怒りを伴う熱量に変わった。
アリシアには独自の情報網がある。私的に利用するべきでないそれを、今回は存分に使わせてもらう。
「テレサの行方、追えるかしら」
部屋でひとり、CT-8改を介してブートと通信する。AIブルーバックを搭載した機体は修理中で、返事もなく機械的に処理されていく。生意気な口調が少し恋しい。
『善処するが……期待するなよ?』
溜息と共にブートは答えた。
釘を刺されているのだとアリシアには分かる。アリシアが情報を求めているのはもちろんテレサを助けるためだが、手が届く範囲にテレサがいるかどうかは別の話だ。
胸に暗い影が広がった。アリシアの特殊な経験が嫌な想像に現実感を与えるのだった。
そしてセントポールは、ふたたび週末を迎えた。
三十三番通りを秋風が抜ける。肌寒いというほどではないが夏の熱気は姿を潜め、湿度も低い快適な環境だ。日が沈み空が暗くなるのと入れ替わるようにして、街灯やネオンライトが点灯した。ビクターズベイの夜は明るい。時間が経つにつれて夜を楽しむ男女が増え、通りが賑わっていく。
インペリアルホテルにも多くの客が訪れた。訪問客も宿泊客もエントランスから大きなシャンデリアがぶら下がった広いロビーを経由して、思い思いの場所に散っていく。レストランもバーもバンケットホールも、週末は予約でいっぱいだ。
最上階のレストランにアリシアとマークの姿があった。セミフォーマルなネイビーのワンピースは明らかに高級感のある空間に合わせたもので、マークのスーツだって皺ひとつなく仕事終わりとは思えない。
若く美しいカップルは窓際の席でグラスを合わせ、窓一面には美しいビクターズベイの夜景が広がっている。それから料理長が手がけた創作フレンチのメインディッシュである肉料理は、橙色のソースがミディアムレアの牛肉に絡んで絶品だ。
しかし二人は浮かない表情で切り分けた肉を口に運んでいる。別れ話でも切り出されたのかと遠巻きに見た従業員が誤解したほどに、その空気は重苦しく見える。
事実、二人の間に言葉は少なく、目の前に広がる夜景と豪奢な料理が沈黙を埋めた。テレサの行方は気がかりだが、その話ばかりするのも気が引けてアリシアは当たり障りのない話題を選ぶ。
「美味しいわね、このステーキ。柔らかくて、甘くて……ソースとの相性も最高」
「気に入ってもらえてよかった」
マークは曖昧に微笑んだ。店内は暗く、憂いを含んだ瞳にキャンドルの炎が反射する。
「……ありがとう」
「なにが?」
「そうやって、優しく気を使ってくれてる」
マークの唇から小さく溜息が漏れる。
こんなものアリシアにとって大したことではないが、それでも優しいと感じるのであれば、それはマークこそが優しく他人に目を配っている証拠だと考える。
「そうだな……うん。本当なら、こんなときにデートしてる場合じゃないんだろうな。じゃあ誘うなって話なんだけど」
マークは自嘲気味に笑った。
「冷たいもんだろ? こうして呑気に美味い料理を楽しんで。仕事も普通にこなしたりして」
「かけた時間と労力で、何を測るって言うの」
アリシアならいても立ってもいられないだろうし、実際この一週間は落ち着かない日々を送った。ブートも頼ったし、情報網を使って調査も行っている最中だ。
けれど、どれだけ心配しているかを競ったって仕方ない。そもそも測れないものであって、人によって方法が異なるのに。
「そんな顔してる貴方が、冷たい人なわけないわ」
「自分じゃ分からないよ」
「ひっどい顔してるわよ。そうね、時差ボケと二日酔いが同時に襲ってきたくらい」
「——……それはすごそうだ」
ふっ、とマークは表情を緩めた。
「そうでしょう」
アリシアは鼻を鳴らしながら、ほっと胸を撫でおろした。
いつでも完璧なままで、この人は一体どうやって心を休めているのかと心配だった。ようやく見せてくれた隙が嬉しく、少しでも弱音や愚痴を受け止めたいと思う。だってアリシアには沢山の選択肢があって、まだ立ち尽くしてはいない。一方でマークに出来ることと言ったら限定的だ。然るべきところに通報して、然るべき手段で情報を募って、必要な策はすでにニールセン神父が打っている。
何もできない事が、どれほど歯がゆいか。想像に難くない。
「自分でも……気持ちをどこに置くべきか分からないんだ」
ぽつりぽつりとマークは言葉を落とす。
昔から聖ドミニク教会の孤児院へ寄付や支援を行っており、時々顔を出すのだということ。テレサは幼くして事故で両親を亡くしたにもかかわらず明るくよく懐いてくれて、いつも元気をくれるのだということ。そんな親戚でも保護者でもないたまに会う他人でしかないのに、行方不明になってからずっと吐き気がするような気持ち悪さが胸にあるのだということ。
それらをアリシアは一つ一つ拾って受け止めた。
いつの間にかテーブルに運ばれていたデザートのアイスクリームが、どろりと溶けて平皿に広がった。すっかりバニラソースになってしまったそれに、ベリーを絡めて味わう。酸味と混ざった甘さは一瞬しか幸福を与えてくれない。
「……悪かった」
同じくフルーツに溶けたアイスを絡めながらマークは眉を下げた。
「どうして?」
「何というか……情けなくて、冴えないディナーだった。次は挽回させてくれ……今日はありがとう」
「……いいわよ、そんなの」
律義に頭を下げている姿は、情けなくて冴えない一人の人間だ。けれどそれがどうしようもなく愛おしくて堪らなくなる。しかもアリシアの手を握って微笑むものだから、誤魔化すように空いた手でワインを喉に流し込んだ。
「次は、ってテレサが見つかったらってこと?」
「分からないけど……こんな状況で出掛けるのも薄情だろ」
「ずっと考えていれば誠実ってわけじゃないでしょう」
「……違うよアリシア。俺は今この瞬間でさえ、何もかもを忘れたいと思ってるような嫌な奴だ」
マークは目を伏せた。小さく吐いた息が再び二人の間にある空気に質量を与える。
身に覚えのある混沌とした感情だ。アリシアはかつての自身の姿を重ねずにはいられない。父親を失ったとき、アリシアはまだハイスクールに通うティーンだった。
深い悲しみと諦観が体を支配する、そんな夜が幾晩も続いた。いつも水の中にいるみたいに息が苦しくて、体が重かった。
「……いいんじゃない? 忘れても」
気付いたら、口が勝手に言葉を紡いでいた。
胸を引き裂くような痛みを、忘れられたらどれだけいいか。
どうせ忘れることなんてできないのだ。頭を空にするのにも、笑顔を浮かべて今を楽しむことにも、背徳感はいらない。いらなかったのだと、今のアリシアは思うことができる。
「四六時中、抱えてる必要ないじゃない」
何もかも忘れたっていい。自分の人生を謳歌していい。弱音を吐き出していい。……そしてその相手が自分であったならうれしい。
果たしてアリシアはどんな顔を浮かべていたのか。目が合ったマークは驚いたように眉を上げ、そして困ったように笑う。
「……今夜だけは?」
机の上に置いていたアリシアの指先を、一回り大きな手が包む。
店内に先日も耳にしたスローテンポのラブソングが流れる。流行りの曲だから、どこでだって流れている。
「どんな夜だって」
アリシアは淡く微笑んで、手の平を握り返した。
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