1-13 追われるもの

 高層マンションの一室で、少年は延々とタイプ音を響かせていた。夢中で組み上げるプログラムは、かつて独学で身に着けたものである。ALEXの商品だった際には、必死に自分を売り込んだものだ。キャンベルに引き取ってもらって、本当に幸運だった。そうでなければ奴隷のように肉体労働させられていたか、臓器を売られていただろう。そういう意味でキャンベルには感謝しているし、期待に応えたい気持ちも——豆粒ほどの小さなものだが——あるにはある。

 少年はいくつかのウェブサイトを参考にしながら、鮮やかな速度で次々プログラムを作っては動作確認とエラー修正を繰り返した。

 ここ数日間は特に睡眠時間を削るほど根を詰めていた。例のヒーロからしてみればK&K本社ビルへの侵入が失敗に終わっており、必ず次回があると想定される。それまでに防御を固め、何としても地下サーバーを守り抜く必要があった。

 体力の限界を感じて、少年はパソコンをスリープに切り替えた。時刻は朝六時、遮光カーテンの隙間からうっすらと光の筋が差し込んでいる。体を動かすと、久しぶりに使った関節が音を鳴らした。

 柔らかな高級ベッドに倒れこむのも魅力的だがシャワー優先だ。面倒でもその方がよく眠ることができる。

 熱いシャワーを浴びていると、すっかり冷えた体に気が付く。設定温度の低い冷房はパソコンのためだったが、パーカーくらい羽織ったほうがいいのかもしれない。

 シャワーの後は濡れた髪のままリビングに移動した。山になっている段ボールから炭酸水のボトルを掴んで一息つくと、朝食を用意する。今朝は牛乳を注いだプレーンシリアルだ。肩に乗せたタオルでたまに汗を拭いた。

 朝食の間だけ、とつけたテレビにアリシア=ポートレイが映っている。明るい口調も性格キツそうな目も、あまり好みではない。ただのニュースキャスターにしては華がある、という程度の印象だ。

 アリシアが担当しているコーナーでビジネス業界の期待の新人として整った顔の青年が画面に映った。アリシアの持ち味である明るさが存分に発揮されている。

「……はっ」

 少年はシニカルに笑った。

 テレビの中の人物はなぜこうも輝かしいのだろうか。誰もが平和な暮らしを望むことがさも当然かのように喜怒哀楽を正しく使い分けている。光の当たる場所、という表現がぴったりだ。そんな位置からじゃ影は見えない。見えないのは存在していないのと同じだ。

 無感情にシリアルを食べていると、玄関の鍵が音を立てた。

 開いたドアから入ってきたのはキャンベルである。髪の毛もスーツも整っており、伸びた背中からはつらつとしたエネルギーを感じた。今から寝る少年とは逆に、先程起きたのだろう。

「あ? なんか用?」

 少年は片眉を上げて、素っ気なく尋ねる。

「SNS送っただろ」

「見てねえや」

 シャワーを浴びている間にメッセージが届いていたのだろうか。まったく確認していない。

 キャンベルはやれやれと肩をすくめ、垂れ流しているテレビに目をやった。

 テレビは丁度CMの合間で行方不明者が映し出されている。数名の行方不明者の中には、テレサという名の幼い少女の姿もあった。

「様子を見に来たんだけど……寝てるな」

 キャンベルはリビングのソファーを覗き込んだ。ソファーの上では先程画面に映し出された少女が横になっていた。テレビの音声や二人の声にも起きることなく、生きているのか不安になるほど静かに眠っている。子供は朝が早い印象だったので、キャンベルは意外だった。

「あ、睡眠薬使ったから多分起きねえよ?」

 少年は机の上の小瓶を振って見せた。K&K社で製造している睡眠薬であり、少なくとも小児向けではない。

「……子供にも容赦ないな」

「うるさくって面倒だったからさあ。別にいいだろ? こいつの人生終わったようなもんじゃん?」

 かつて同じ立場だった少年は、荒んだ考え方が体に染みついている。キャンベルは溜息を吐いた。

 少女はキャンベルの上司がALEXから購入した人間である。ソファーの上で投げ出された素足はロープで固く縛られており、自由にマンションから逃げ出すことは出来ない。

 そもそも、K&K社の事業とは関係なく上司が個人的に購入した少女だ。キャンベルは上司が少女を迎え入れる準備を整えるまでの間、預かっておくよう命令されていた。上司曰く、いいマンションはあるのだが口の堅いいいハウスキーパーがまだ見つかっていないのだそうだ。

 少年の元に置いておくのもかなり不安で、様子を見に来たのはいい判断だった。

「大事に匿うよう言われてんだから、オーバードーズは勘弁してくれよ」

「へえ、お綺麗に整ってるのがいいって? さすがロリコンジジイ」

「……念押ししとくけど俺じゃないからな」

「知ってるよ。アンタの趣味じゃねえだろ」

 少年はからからと笑った。分かった多少は控えるよ、とあっさり了承する。薬で眠っている方が幸せかと思ったが、拘束する縄を増やしていけば自然と静かになるだろう。少年自身は作業部屋でゲームBGMを流していればいい。

 パチリ、と。キャンベルはケトルの電源を入れた。キッチンを漁って、インスタントコーヒーとマグカップを用意している。

「ダズリン埠頭から撤退することになった件、ALEXから文句の一つでもあったか?」

 少年はキッチンの背中に問いかけた。

「ああ……いや、むしろ感謝されたよ」

「餌にされたのに?」

 少年は怪訝な顔をした。

 土曜夜に密輸が行われるという情報は、少年が意図的に流したものである。結果、ヒーローはのこのこと現れ、空の二十七番倉庫で再度の狙撃を受ける羽目になった。ALEXからしてみれば拠点の一つが潰されたのだから、文句の一つも言いたい所だろう。

「ヒーローが目障りなのはALEXも同じだからな。かわりに、成果を期待されている」

「……まあ、悪くはねえよ。少なくとも向こうの拠点はセントポール市内に限定された」

「へえ、なぜわかる?」

「流した情報がエリアごとに違う」

 少年の言葉に相槌をうちながら、マグカップにお湯を注いでいく。インスタントコーヒーはすぐに溶けて、スプーンでかき回す度に香りが広がった。

「あと、ヒーローの撮影も出来たぜ」

「それはウケがよさそうだ」

「いや、そうでもない……見た方が早いな」

 少年は作業部屋からタブレットを持ってきて、キャンベルに渡した。

 映像は夕暮れのダズリン埠頭から始まる。動画編集はしておらず、もう少し時間を進めた。日が沈み、あたりが暗くなったタイミングでカメラも暗視モードに切り替わった。

 しばらくすると、二十七番倉庫の入口に黒い影が現れた。例のヒーローだ。

「これは……何というか、あー……ヒーローの格好をしているね」

 黒い影は指先まで覆うぴったりとしたスーツにタクティカルベストを羽織っている。深くかぶったフードの下はマスクで覆われ、性別も分からない。身長は170センチ程度で、細身だ。

「理にはかなってるよな。これじゃ指紋も髪の毛も残らねえし、万が一カメラに映ったところで身バレは防げる」

「このドローンは?」

 映像の中でヒーローの側にはドローンが飛んでいた。ドローンから伸びたアームが二十七番倉庫入口の鍵を開け、するりと侵入していく。

「CT-8型……だが、改造されてると思う。汎用品よりアームが滑らかに動いてる」

「何か会話をしているようにも見えるな」

「向こうのサポートと通信してんだろ」

「なるほど」

 K&K本社ビルに侵入され、かつ監視カメラの映像に残っていなかった時点で、ヒーロー側に高い技術力を持ったサポートがいることは指摘されていた。もちろんそれがヒーロー自身である可能性もあったが、映像から否定できそうだ。侵入時にヒーローは周囲を警戒するだけで何もしていない。

 さらに映像を進めると二十七番倉庫から出てくる姿が確認できた。直後にキャンベルが雇った狙撃手の弾丸がCT-8型ドローンに直撃する——いや、ヒーローにあたるはずだった弾道にドローンが飛び出した形だ。ヒーローはドローンを抱え、二発目を避けた。そして画角の外側に走り去っていく。

「すさまじい反射神経だよな。超人的だ」

 少年はそこで映像を止めた。

「何者だよ、マジで……」

 少年の仕事は次の襲撃に備えてセキュリティ上の対策を練ることであり、ヒーローの超人的な身体能力も計算に入れる必要がある。ぼやきたくもなるというものだ。

「実はこっちも生体サンプルの解析が完了した所でね……そうだな、少年にも共有しとこうか」

 キャンベルはコーヒーで口を潤した。

 小難しい専門用語を並べるつもりは毛頭ない。

「結論を言うと、採取したサンプルはDNAレベルでホモサピエンスと異なる事が分かった」

「つまり……超人的な人間っていうか超人そのものってことか?」

「そうなる」

「……SFじゃん」

 だよな、とキャンベルは同調した。少年の反応はキャンベルが報告を受けた時のものと同じだ。

「だからまあ、これまで雇ってた狙撃手が役に立つとは限らないと思うんだよな」

「……クビにしちまえ。二回もあったチャンスを逃すのは無能だろ」

 少年は辛辣だった。うーん、とキャンベルは唸る。

 一理あるものの、こちらの防戦一方になるのは避けたい。ジリ貧になるだけだ。

「キャンベル、暴力的な解決方法しか思いつかねえのか?」

 少年は指先でスプーンを弄びながら、じっとキャンベルを見ている。目線がなんとも意味ありげだ。

「……俺?」

 キャンベルが問いかけると、少年はにやりと笑った。

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