1-12 追うもの

 刑事局捜査管理部情報通信分析課で呼び出しのベルが鳴ったのは、定時も近付いて情報通信分析課の警察官の気が緩み始めた時のことだった。

 執務室入口の電光掲示板に呼び出し番号が点灯するもいちいち顔を上げはしない。警察官たちは黙々と作業を続け、業務を遂行している。 

「BIUの呼び出しよ。二番スペースへどうぞ」

 その刑事は事務員に指名されてようやくパソコンから目を離した。事務員の女性はBIU案件だとだけ伝えるとにこりともせず自席に戻っていく。刑事はたった今解析したばかりのデータを保存して、タブレット端末を手に打ち合わせスペースに向かった。

 情報通信分析課の執務室入口近くに並んだ打ち合わせ用の小部屋は防音に優れているものの、ガラス張りなので中が良く見える。

 思っていた通りの人物が待ち構えていて、刑事は眉間にしわを寄せた。

「まーたお前か」

「あ、先輩。お疲れ様で~す」

 グッドマン巡査はにっこりと笑顔を浮かべた。BIUの過酷な業務をこなしている割には顔色がいい。まだ配属から数週間だが、バートン警部からも化物じみた体力とメンタルだと聞いている。

 スペースには机が一つと椅子が四つ並んでおり、刑事はグッドマン巡査の正面の椅子へ雑に座った。

「なんで毎度毎度ここに来るかね」

「お願いしてた解析、終わりました?」

「さっき終わって後は報告書に纏めるだけだよ。……ったく何のための端末支給なんだっつー話」

 どうもこの新人は直接話を聞きたがる。

 報告書は仕上がり次第提出しているし、その出来は直接話しに来たって変わらない。バートン警部ならば必要に応じて会議を設定するか、質問事項を纏めて送付してくる所だ。まったくもって時間の無駄である。

「いやあ、まだ慣れてないんで。先輩と仲良くなりたいですし」

 へへ、とグッドマン巡査は愛嬌のある顔で笑った。

 時間の無駄ではあるが、刑事は不快ではない。それがこの新人の特異な点であり、末恐ろしい点である。グッドマン巡査の訪問は刑事にとって適度に肩の力を抜ける時間でもあるのだが、口が裂けても言うつもりはない。

 刑事のしかめっ面が見えていないかのような堂々とした態度で、グッドマン巡査の目がきらりと光る。軽薄な態度と裏腹にその瞳は真剣な色をしていた。

「BIUの先輩から私見を聞きたいんすよ。正式な報告は読んどくんで」

「私見、ね」

 刑事は目を細めた。

 通信分析課に所属するその刑事は、兼務でBIUに属している。BIU案件は部外秘なので中々上司の理解を得にくいが、好奇心をそそられる内容が多い。今回もまさしく興味深い案件だった。

 グッドマン巡査から依頼されたのは、二十七番倉庫を利用していた数社の実態調査と、K&K社との関連調査である。

 刑事は持ち出したタブレットを起動しない。報告書に載せる内容ではなく、要望通り私見を伝えてやることにした。

「……ALEXの系列会社だろうよ」

「ALEX……って密売組織っすよね」

 想定より大きな名前が出てきて、グッドマン巡査は息を呑んだ。ALEXと言えば合衆国の全ての警察機関で共有されているブラックリスト入りの指定組織だ。

「報告書にもそう書いてんすか?」

「三社ともに架空会社、としか書けねえ。お前の予想通りだ。足取りも追えないし、責任者も架空の人物だった。おまけに登録時は二か国以上経由させてやがる」

「でも、その完璧な偽装こそALEXである証明になる……?」

「分かってるじゃねーの」

「でしょう?」

 グッドマン巡査はふざけた調子で答えながら、K&K本社やダズリン埠頭での経験を思い返していた。侵入者がいたであろう状況と、侵入者はいなかったという物的情報が混合した不可解な現場を彷彿させられる。

「ちなみにK&K社と関係ありました?」

「いや、少なくとも架空会社側からは辿れなかった。ってわけでK&K社に情報公開請求したいとこなんだが……まー厳しいだろうな」

「え、そうなんすか」

「名目がねえし」

「ああ……面倒臭い感じっすね」

 グッドマン巡査は瞬時に顔を曇らせた。警察官の汚職が蔓延っていたのは一昔前の時代だ。現代において後付けの捜査令状はなかなか許容されない。せめてK&K社が何をしているのか見当くらいはつけておきたい所だ。

「そもそもALEXなら広域対応局の管轄だ。引き継いで終了がベストじゃねえの」

「そうなっちゃいます?」

「バートン警部はまっとうな人なんでね」

 尋ねると、刑事は皮肉っぽく笑った。BIUの先輩なだけあって、バートン警部が下すであろう判断を熟知している。

 広域対応局に手柄も引き渡す事になる未来が見えて、グッドマン巡査は何だかもったいないように思ったが、すぐに頭を切り替える。

 欲しかった情報は手に入れた。

「やー、色々教えて貰っちゃってありがとうございました!」

「はいよ。報告書は今日中に送っとくから」

「うっす」

 グッドマン巡査は軽く頭を下げてから立ち上がった。

 そして、刑事と二人でスペースを退出した直後に「あ」と呟く。

「なんだ」

「今度、俺の歓迎会してくださいよ」

「……そういやしてねーな」

 刑事は顎を触りながら、ぼんやりと思い出す。歓迎会なんて計画すらなかったはずだ。バートン警部は計画するタイプではない。直接頼んできたということは、そのまま幹事をする羽目になるだろう。手間暇と後輩の歓迎なら天秤にかけるまでもない。刑事は二つ返事で了承した。

「ま、やるか」

「よっしゃ! さっすが先輩」

 グッドマン巡査は口笛を吹いて満面の笑みを浮かべた。

 執務室入口で騒いで、厳しい事務員に睨まれるのではないかと刑事は視線を動かしたが、彼女は目があったにもかかわらずくすくすと笑っている。微笑ましいと言わんばかりで、刑事にはにわかに信じがたい光景だった。

「じゃ、失礼しまっす」

 グッドマン巡査は警察官にあるまじき軽薄な態度で執務室の自動ドアを開ける。その背中を見つめながら、刑事は空恐ろしいものを感じていた。



 情報通信分析課を後にしたグッドマン巡査は、その足でBIUの狭い執務室へ向かった。思考を巡らせながら歩くその足は遅い。

 情報通信分析課の前には科学捜査班を訪ねていたのだが、重要な手掛かりは得られていない。ドローンの破片の分析結果、それが汎用ドローンであるCT-8型の破片であることは分かったが、ウィークエンドに繋がる繊維や指紋は付着しておらず、銃由来の金属反応もなかったのだ。割れ形状から射撃による破損の可能性がある、という程度に留まっている。

 ウィークエンドにしろ、ALEXにしろ、手に入る情報が少なすぎる。

 グッドマン巡査の気がかりは、ウィークエンドの経路だった。K&K社の警備をかいくぐり、どうやって侵入したというのだろうか。何も、監視カメラに映らない方法や、カードロックをクリアする方法が知りたいわけではない。理解の範疇を超えた手段が全て実現可能だとして、どこから侵入したのかである。K&K社には正面エントランスの他に入口はなく、警備員の目視で侵入は制限されていた。

 もっとも簡単な解決方法は二つ。警備員を買収しているか、ウィークエンドの正体がK&K社の社員かだ。けれどバートン警部はこの見解に否定的だった。なぜならこの方法は今回の事件にのみ適用される解決策であり、これまでのウィークエンドの犯行を説明が出来ないからだ。

 侵入経路だけでなく、脱走経路も不明である。屋上で発砲された銃弾が向かいのインペリアルホテルにて見つかったという事実だけが揺るがない。そして屋上にいたウィークエンドは姿を消したのである。

 屋上——そう、屋上だ。あり得ない選択肢を覗いていくと最後に屋上が残る。

 グッドマン巡査はここで、侵入も脱走も屋上を経由して行われたのではないかという仮説をたてた。高層ビルの屋上への侵入は不可能だと一蹴することもできる。ただ、何かしらの手段を用いてK&K本社ビルの屋上に辿り着けば、それ以降の犯行は現実味を帯びてくる。

 映画の見過ぎだろうか。スパイ映画あるいはヒーロー映画などのアクションシーンが頭に浮かぶ。マークの仮説には、人間離れした高い身体能力が必須である。

 ウィークエンドの正体は何者なのだろうか。

 放射性の蜘蛛に噛まれたのか、実は元軍人で秘密情報部のエージェントなのか、グッドマン巡査はわりと真剣に考えている。

「ただいま戻りましたー……っと」

 BIUの執務室にバートン警部の姿はなかった。

 この時間は執務室にいたはずだが、と不審に思いながら席に移動すると、バートン警部の席に大きな荷物が置いてある。机の上の大量の書類で見えにくいが、荷物はゆっくりと上下していた。

「……うん?」

 目を凝らすと、その大きな荷物こそバートン警部であった。

 机の上にうつぶせになって、気絶したように眠っている。

 K&K社、ダズリン埠頭と立て続けの捜査と書類作成で連日の疲労が溜まったようだ。ALEXまで関わっていると知ったらどうなってしまうのだろう。

 グッドマン巡査は椅子に常備してあるブランケットをバートン警部にかけてやることにした。配属されてまだ二週間程度だが、体を労わってほしい気持ちがすでに芽生えている。

 音を立てないようにそっと肩にブランケットをのせたところで、気になる書類を見つけた。バートン警部の腕の下からそのファイルを引き抜いて、まじまじと見つめた。

 それは、K&K社の一件で入手したウィークエンドの血液検査結果である。書類には血液がO型の男性のものであると明記されていた。

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