1-8 任務遂行

 たしか会場内に有名フルーツサンド店のブースがあった。迷うことなく直行し、人数分のフルーツサンドを買って保冷材もつけてもらう。紅茶とコーヒーもどこかのブースでゲットして——と、考えているところで、鞄に入れた携帯が震えた。

「……」

 はたと立ち止まり、鞄に入れたまま振動の回数を確認する。

 二回、一回、三回、一回。同じ振動を永遠と繰り返している。

 ——裏稼業に関わる通信だ。

 アリシアは周囲を窺いながらベイサイドガーデンの奥に向かった。少し離れるだけで人気がぐっと減り、安全な通信環境になることを知っていた。

 ベイサイドガーデンの湖沿いに、程よい木陰がある。目視では周囲に監視カメラの類は無く、ベンチもあるので休んでいたと言い訳しやすい場所だ。アリシアはベンチに腰を落ち着け、携帯を鞄から取り出した。フルーツサンドは隣に座らせる。この温度なら熱で溶けることもないだろう。

「……えーっと」

 携帯で特殊な通信プログラムが起動するのは、CT-8改が周囲の安全を確認できたときだけである。とりあえず通信プログラムは起動した。あとはブートからの着信を待つ。

「楽しそうだな」

 しかし、振ってきた声はブートの声ではなかった。それどころか端末への着信ですらない。声の方向は頭上だ。

 顔を上げると、CT-8改が木の枝にとまっていた。機体につけられたカメラが無機質な目にみえる。また、機体の縁は青く光っていた。

 折角のデートが台無しだ。

「……あんたが来なきゃ今も楽しかったのよ。AIはタイミングをよめないわけ?」

 そういえば次からAIブルーバックを投入するとブートが言っていた。

「つれねえな。タイミングを算出した結果、最適解は今だった」

「ブートは?」

「仮眠中。今から出動ってわけじゃねえし」

 アリシアは顔をしかめた。ブートがいないと、どうにも心細い。あと単純に人間のような会話を成立させているAIブルーバックが気色悪い。

 外出中にタイミングを窺って連絡をよこしたということは、急ぎの用件のはずだ。

「何、明日朝イチで任務とか?」

「惜しい。今日の夜だ」

「ええっ? よりにもよって今日なの」

 デートを妨害しただけでも言語道断だ。

「情報が入った。今夜ALEXが動く」

「ALEX……」

 ぽつりとアリシアが呟くと、AIブルーバックのモニターに次々と資料が開かれる。非常にAIらしい反応だと思いながら、アリシアは手で制した。ALEXについては理解している。ここ数か月追いかけていた密売組織だ。当然、優先順位は高い。

 アリシアはぐう、と唸った。重要なのは分かった。分かったが、プライベートだって重要である。取引現場を押さえるにしたってこれがラストチャンスというわけでもないのに。

「……デート中なんですけど」

「夜七時だぞ」

「これからって時じゃない!」

 やっぱりAIは何も分かっていない。どうにかならないかブートに直談判してやろうか。しかしブートの仮眠は気絶に近いので、起こすのも忍びない。

「渋った場合……アクション3実行」

「は……?」

 聞き覚えのないアクション3とやらに、アリシアは身構えた。何をする気だこのAI、と睨みつけるも、木の枝から微動だにしない。

「——今回の商品は人間だ」

 代わりに、聞き捨てならない言葉を落とす。

「……先に言ってよ」

 それはアリシアにとって最も許せないものの一つである。

 他人を身勝手に搾取すること、それによって利益を得ること。百歩譲って本人が希望しているのであれば話を聞く価値があるものの、アリシアは納得できる実例を見たことがない。

「今から準備するわ。体調崩したことにする」

 デートが中止になるのはもちろん残念だが、優先順位を間違えたりはしない。

「そうだな、人身売買はただの密輸より罪が重い。優先するべきだ」

 AIブルーバックの機械的な反応に溜息がでる。

「重罪だからじゃなくて、被害者がいるから駆けつけるべきなの……本当にAIなのね」

「? もちろんAIだ。いつでも最適解を算出できる」

「……頼りにしてる」

 アリシアは曖昧に笑った。これ以上会話を続けても失望するだけだ。



 ベイサイドガーデンのフリーマーケットも終盤が近付き、ぽつぽつと片付けはじめる出店者もいた。聖ドミニク教会のブースも用意していたクッキーがほとんど売り切れ、余った分は孤児院の子供たちのおやつとして消費できそうだ。

 アリシア=ポートレイは普段孤児院を訪問する客人よりもかなり——何と言うべきか、華やかな女性で、しかもフルーツサンドを差し入れしてくれたので孤児たちには好印象だったようである。中でもテレサは顕著で、目をきらきらとさせながらマークの袖を引いた。

「テレサ、あのおねえちゃんすきっ」

「そっか。それはよかった」

 マークはそっとテレサの頭に手をのせる。くすぐったそうに笑うテレサは純粋に可愛らしく、守ってあげたくなる。マークと同じくニールセン神父も微笑んだ。

「はは、あのお姉さんならニュース番組で毎朝見れますよ」

「そうなの?」

「一緒に見ましょうね」

「わあい!」

 テレサは手をたたいて無邪気に喜んでいる。アリシアが滞在していたのはほんの十分程度だったというのに、もう懐いたらしい。お洒落なフルーツサンドを持ってきてくれたからだろうか。しかし、マークだって何度も同じように手土産を持ってきたはずだ。

 性別の壁だけではないように思う。子供に慕われるのは大企業の役員を相手にするよりずっと難しく、その点でアリシアの求心力に敬服する。

「あのおねえちゃん、またきてくれる?」

「……来てくれるといいな」

 愛想をつかされることなく、上手く仲を深めていくことができれば、また会うこともあるだろう。マークはよく聖ドミニク教会の孤児院を訪問しているし、アリシアも慈善活動に前向きな反応だった。

「テレサおねがいしてあげようか?」

「……いや、大丈夫」

 情けないことにテレサにも気を使われてしまった。ニールセン神父が肩をゆらして笑いをこらえているので、マークはじろりと睨む。

 ニールセン神父は平気な顔でにやにやと笑っていた。

「——存外、不安そうですね。女性の扱いには慣れてるでしょうに」

 マークの恋愛沙汰が面白くて仕方がないらしい。まったく性格の悪い神父だ。たしかにこれまでのマークは何事も無難にこなしてきた。相手が振り向いてくれるだろうかと、頼りない心地に陥ったことなどなかった。

「関係ないだろ。アリシアに振り向いてもらえる保証はない」

 どんな経験を重ねたところで、不安にくらいなる。体調が悪いといったアリシアは健康そうに見えたのだ。急用なのかもしれないし、顔色に出ていないだけかもしれない。とにかく、デートが失敗したわけではないと思いたい。

「……本気なんですね」

 またもにやにやと笑っているニールセン神父に、うるさいな、と唇を尖らせた。



 水平線に夕日が沈む頃、ダズリン埠頭に銃声が響いた。合衆国の物流の拠点となっているダズリン埠頭は土曜も休むことなく稼働していたものの、荷捌きをしているエリアに比べて倉庫やコンテナが並ぶエリアは人気が少ない。作業員たちは突然の発砲音に顔を上げたものの、爆竹なのかモデルガンなのかも分からず作業を続けた。

 ダズリン埠頭内に警報が響いたのはそれから間もなくのことである。管理棟で保安職員が警備ドローンの稼働を確認したのだ。警備ドローンは不審者を発見した際に追跡し、場合によっては威嚇射撃を行うシステムが搭載されている。テロの可能性が考えられたことからすぐさま市警察に通報、市警察が駆けつけるまでの間に監視カメラの映像を保安職員の手で確認したが、不審者は見つからなかった。

 市警察の捜査結果も同じだ。不審者はいなかった。

 すなわち、警備ドローンが不審者を誤検知し、威嚇射撃を行ったということになる。

「……そんなわけないでしょーが、って話っすね」

 グッドマン巡査は剣呑な目で該警備ドローンの推定射撃位置に立った。連日の疲れを感じさせないパリッとしたワイシャツにBIUの腕章が光る。

 二十番倉庫と二十一倉庫に挟まれた、通路にするには少し狭い場所だ。海沿いの港湾内道路に面しており、そのまま進めば海に落ちる。事実、放たれた銃弾は海の底に沈んだようで、担当刑事が捜査方針について悩んでいた。浅瀬だろうと海底探索にかかるコストは莫大で、一方、被害は特になく警備ドローンの誤作動が濃厚という状況だ。

 担当刑事のカラーなのか、気怠い空気が漂う中BIUの二人だけが険しい顔を浮かべていた。不法侵入を誤検知した警備ドローンによる射撃——似たような事件を捜査したばかりだ。

「十中八九、K&K社絡みでしょうよ」

「グッドマンくん、決めつけはよくない。先入観は我々の職務から取り除くべきものの一つだ」

 グッドマン巡査の隣でバートン警部が眉をひそめた。一週間ほど行動を共にして分かったことだが、バートン警部は比較的真っ当な志を持った警官である。だからこそ出世街道からほど遠いBIUを任されているのかも知れないが。

「先入観があってもなくても証拠がなきゃ同じじゃないっすか。現に今のところK&K社はシロですし」

 先週のK&K社での一件から、捜査に大きな進展はない。

 バートン警部は埠頭内の警備用全体図が入ったタブレットを手に現場を確認している。グッドマン巡査も横に並んで注意深く観察しているが、軽口は止まらない。

「そもそもウィークエンドが侵入してるっていうのも先入観っちゃ先入観なわけで……なんすか?」

 いくつかの倉庫を通り過ぎ、二十七番倉庫の正面でバートン警部が足を止めた。つられてグッドマン巡査も二十七番倉庫に目を向ける。

 物流の拠点であるダズリン埠頭において民間企業が提供している一般的な倉庫だ。夜間帯で埠頭内の作業が落ち着いたこともあり、倉庫のシャッターは閉じている。

「気になることでもありました?」

「……表札がない」

 本来ならば倉庫を使用している会社名が記載された表札を並べているはずの壁にバートン警部の厚い手の平が重なった。経年劣化した壁には枠だけが残されており、その内側の劣化は乏しい。最近まで表札が並んでいたように見える。

 バートン警部は無線を取り出し、担当刑事に連絡を取ろうとしたところで思いとどまった。今は新人巡査を連れているのだから、頭に浮かんだまま行動するのは避けた方がいい。

「保安職員を呼ぼう。この倉庫の中を確認したい」

「あ、鍵なら一応貰ってきたっす」

 グッドマン巡査は顔の横でキープレート付の鍵束をぷらぷらと揺らした。

 気味が悪いくらい優秀な部下だ。

「……準備がいいな」

「そうでしょ~? 業務評価は高めにつけてくださいね」

「……」

「ちょっと! 冗談じゃないっすか」

 堅いな~、と呟きながら、グッドマン巡査は鍵束を漁る。該当するマスターキーを探し出して通用口から二十七番倉庫に入った。

 真っ暗な倉庫内をタブレットの明かりで照らしながら壁の照明スイッチを探る。バートン警部はすぐに二十七番倉庫内の全ての照明を点けた。

 目の前に広がったのは、何もないただの広い空間だった。

 正確には業務用の棚の骨組みだけが残っており一切の荷物がない。あとは天井に備え付けのクレーンがある程度で運搬用自動装置もなければフォークリフトもない。

 表札が示していた通り、二十七番倉庫を使用している会社は存在しない。

「今月いっぱいは三社が契約してるみたいですけどね」

 倉庫の中で立ち止まっているバートン警部の後ろから、グッドマン巡査が呼びかけた。その右手にはタブレットが、左手には携帯端末がある。情報の入手があまりに早く、バートン警部には正確かどうか疑わしく感じられる。

「ABC建設、チャーリーシューズ、スマイルストア……全部今月締めで契約終了っす。しかも聞いたことない会社ばっか」

 二十七番倉庫を利用していた会社が同時に契約を終えた——偶然にしては出来すぎている。ウィークエンドがダズリン埠頭に侵入した理由はここにあるのかもしれない。

「架空会社か?」

「かもっすね。局に戻ったらあらいます。ひょっとしたらK&K社の尻尾が掴めますよ」

「それかウィークエンドの、だな」

 先入観は排除するべきだと話した矢先だというのに、二人の意見は一致していた。

 ふと、グッドマン巡査はバートン警部の足元に何かの破片を見つけた。強化プラスチックの一種に見える。表面塗装と曲面からいくつかの製品を連想し——。

「——ドローンの破片?」

 グッドマン巡査はぽつりと呟いた。

 破損状況はひどく、劣化というより破壊されたような状態だ。ドローンが衝突防止のために周辺を確認しながら自動走行することを考えれば、事故によって破損したとも思えない。

 二人はその場で結論を出すことはなく、破片の調査は科学捜査班へと引き継いだ。

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