1-7 フリーマーケット

 優雅な週末を朝寝坊からはじめようとしたって、夜明けごろには目が覚める。毎朝、日の出前に出社しているアリシアの生活リズムは狂った所でたかが知れていた。楽しみにしていた予定がある週末なんて尚更だ。

 クローゼットの中身は六割がブランド品で一割がハイブランド品だ。残りの二割がファストファッションで、あと一割が海外で購入したノーブランド品——会社員と言い張るには高級志向だが、今はそんな自分の趣味に感謝する。

 これまでマークはオーダースーツを身に着けており、時計や靴だってセンスのいいブランド品だった。さすがにもう少しカジュアルな服装だろうと予想しているものの、隣を歩くにあたりファストファッションでは心許ない。あのタイプはどんなカジュアルな服でも小物は高級品を使うはずだし、そのカジュアルな服がそもそも高級品である可能性も高い。

 日中はまだ温かいが季節は先取りが原則だ。アリシアは秋色チェックのワイドパンツを手に取り白のトップスを合わせる。誘われたのはランチだが、その後を見越して足元は踵低めのパンプスにする。メイクは迷った結果、赤いリップで華やかにまとめた。あえてナチュラルに仕上げてテレビ画面とのギャップを狙ってもいいが、気合い優先だ。こんな浮かれた日にヌーディカラーなんて使っていられない。

 太陽の光が心地よい、さわやかな朝である。待ち合わせは昼だというのにあっという間に準備も終わってしまって、部屋のサボテンに水を上げたり、その様子をSNSにあげたりする。さらにはコーヒーを一杯用意して、テレビ番組をつけた。

 休日のニュース番組は平日より進行に余裕がある。K&K社でのドローン誤作動あるいは不法侵入も、取り上げられることはなかった。ドローンの誤作動で処理する気なら警備会社の失態としてニュースになるはずだが、誤作動の確証がないと見るべきだろうか。

『CMの後は本日公開の映画シークレットエージェント特集。人気俳優ハルガ=ラーセンの素顔に迫ります』

 後輩のキャスターが明るい口調で告知すると、画面は洗剤のCMに切り替わった。シークレットエージェントはアリシアも気になっている映画だ。ロマンスありのスパイもの、しかも主演が主演なので絶対に映画館で見るつもりだ。

 CMが流れている間、携帯を触って寛いでいるとテレビの音楽が止んだ。暗い紫色の背景に顔写真が浮かぶ。笑顔を浮かべる児童の写真だ。

「……」

 アリシアの顔が曇った。

 セントポールでは日々こうして行方不明者の周知がされる。中には不幸な事故もあるが、凶悪な犯罪による失踪も少なくない。アリシアだってGDCで何度も重大犯罪の原稿を読み上げた。

 こうした恣意的な犯罪はどうして無くなってくれないのだろう。どうして他人を虐げていいと思える人間が存在するのだろう。

 ——どうして死ななければならなかったのだろう。

「……」

 つい浮かんだ余計な考えをぬるいコーヒーで胃の中に流し込んでいく。インスタントで雑に入れたので、香りがいまいちだ。

『本日公開のシークレットエージェント、まずはPVをご覧ください』

 CMが明けて再度後輩キャスターが画面に映る。胸が高鳴るBGMと共に、スタイリッシュな告知PVが流れた。主演俳優のほか、脇を固める役者も実力者揃いである。アクションシーンもかっこいい。

 そして何より今から最高に素敵なマークとデートだ。

 大丈夫、自分の機嫌の取り方くらい分かっている。

「……うん」

 アリシアは顔を上げて、家を出た。



 先日と同じファッションビルの彫刻前でマークと待ち合わせて、軽く食事を取る。ランチタイムのビクターズベイはどのレストランも混雑しているのだが、今日もマークは予約をしてくれていた。手慣れている、とは思うものの、スマートな気遣いをアリシアは好ましく受け取る。

「これからなんだけど、映画なんてどう?」

 腹ごしらえも終わったところでマークが提案した。今日は白いパンツにネイビーのジャケットを合わせている。ジャケットの生地は柔らかいニットで、これまでのオーダースーツ姿よりカジュアルだ。服に合わせて時計もブラウンの革ベルトに変わっている。

 映画、と聞いてアリシアの目が輝いた。朝、特集を見たばかりだ。

「それならシークレットエージェントが見たいわ! 面白そうで気になってるの」

「だと思った」

 マークがにやっと笑うので、アリシアは目を瞬かせた。マークに映画の好みの話なんてしていない。

「昨日のGDCで言ってたろ」

 疑問符を浮かべるアリシアへの回答は、至ってシンプルなものだった。最新映画についてはGDCでも取り扱っている。PVや主演俳優のコメントは何度も放送したし、その際のナレーションを担当したのは他でもないアリシアだ。是非見に行きたい、という旨を確かにコメントした覚えはある。

「……番組なんだから、社交辞令くらい言うわよ」

「言ってた時の目がモニター越しでも輝いてたから」

「そ、そう」

 声が上ずり、アリシアは思わず目をそらした。

 マークは本当に毎朝GDCを視聴していて、どころか番組を通してキャスターではないアリシアを見ている。

 こんなことで動揺してどうする。

 唇をキュッと引き結び顔を上げようとしたところで、アリシアの指先をマークの手が捕らえた。指が絡み、有無を言わせず歩き出す。

「!」

「ん?」

 アリシアの驚きは柔らかな微笑みに相殺された。

 どうしたの、とでも聞きたげに小首をかしげている。

 分かっているくせに無邪気を装って狡い。狡くて、あざとくて、でも、どうしようもなく心臓が跳ねる。ティーンズみたいな反応だと自覚しているのに、頬に熱が集まった。

 マークのリードは完璧だ。混雑した歩道を並んで歩くにも、不自由を感じない。感じさせないようにマークが気を配ってくれている。しかもすれ違った女性達がちらちらと熱い視線を送るのにも気付かないふりをして、にこにことアリシアに微笑んだ。

 一番近い映画館はK&K本社ビル付近にある。侵入した時のあれこれを思い出さないでもなかったが、顔に出すアリシアではなかった。むしろ忘れるため、繋いだ手に力を込める。同じだけの力が返ってきたので、口元が緩んだ。

 しかし、映画館どころかK&K本社ビルにも着く前にアリシアは足を止めることになる。

「何だか、賑やかね……?」

 ベイサイドガーデンに大勢の人が集まっていた。テントやブースが並び、スピーカーから流行りのヒップホップが流れている。

「何のイベントかしら」

 音楽フェス等は番組で告知することもあるが、アリシアには覚えのないイベントだ。きょろきょろと辺りを窺って、外壁に張り出されたポスターを見つけた。

「フリーマーケットね!」

「ああ、よくやってるんだよ、ここ」

 自宅が近い分、マークはベイサイドガーデンを熟知している。

「へえ……」

 アリシアは生返事をして、ポスターから顔を引きはがした。

 正直、気になる。けれど近くに住んで慣れているであろうマークに提案するのは憚られた。

「じゃ、行きましょうか、映画」

「……分かりやすいな」

 ふ、とマークの口元が緩んだ。

 アリシアの手を引いて、ベイサイドガーデンに足を向ける。

「いいの?」

「まあ……気乗りしなかったんだが」

 マークは苦笑した。初めて見る渋い反応だ。

「あ、でも、いいのよ。映画もきっと楽しいわ」

「気乗りしないのは別の理由だから大丈夫。俺が腹くくればいいだけだ」

「別の理由……?」

 アリシアはじっと見上げたが、マークは肩をすくめるだけだった。

 せっかくなので遠慮なくフリーマーケットを楽しむことにする。休日らしい休日の過ごし方だ。裏稼業の予定もないし、イケメンと二人手を繋いでフリーマーケットである。

 こうなるといよいよそれらしい。つまり、前回のランチと比べて格段に——。

「……デートっぽい」

「ぽいってなんだよ」

 ぽつりと呟いたアリシアに、マークは笑って手を引いた。

「正真正銘デートだろ」

 平然とした顔でしれっと、絡んだ指に力が込められる。決して強い力ではないのに、互いの心が接したように感じた。

 マークの笑顔がこんなにも魅力的なのは、顔の造形によるものなのか、彼本人の魅力によるものなのか分からない。はたまた、受け取る側の問題なのかも知れない。

「……っ」

 アリシアはぱたぱたと手で頬に風を送った。顔をそらしても、マークが笑っているのがわかる。無視をしてハンドメイドの雑貨を一緒に見て回った。

 ベイサイドガーデンの上空をいくつかのドローンが飛んでおり、その中にはCT-8の姿もあった。本来CT-8は従来型キャリーケースの代替品として普及したドローンだ。こうしたイベントではCT-8に限らず多くのドローンが飛び交うことになる。反射的にCT-8改を探してしまうが、外観はCT-8と同じなので判別できない。それでもちらっと目をやってしまうのは癖のようなものだ。

 フリーマーケットの中でもアリシアが気になるのは雑貨と菓子だ。いくつかのブースで雑貨を見て回り、付き合わされたマークはそれでも楽しそうだった。アクセサリーなどは手に取ったアリシアに似合うだのかわいいだの言って褒め殺す。

 結果、アリシアは幾何学的なデザインのバレッタを購入した。包装まで可愛らしく、気分が上昇して編みこまれたローポニーの上にその場でつけた。

「もー、乗せられて買っちゃったじゃないの」

 不満を口にしながら、声は弾んでいる。

「すっごく似合ってる」

「それよ、それ」

 マークの目はきらきらと輝き、バレッタとアリシアを交互に見つめた。

「でも残念だな、こっそり買ってプレゼントしたかった」

「そんなの、ずっと手を繋いでたら無理よ」

 ふふ、とアリシアは目を細めた。こっそり買うなんて様になりすぎる。確かにマークには似合うけれど、それは記念日の時でいい。

 二人で一通り雑貨のブースを回り、次は菓子などを扱っているブースを目指した。買ったのはバレッタだけだが、雑貨は見ているだけで楽しくて大満足だ。

 食品のブースは、入口から湖にかけて伸びている。タパス、カレー、ピザ、スープと食事が並ぶ中、アリシアはクッキーか何か持ち帰られるような菓子を探した。

 隣を歩くマークがそわそわしていることには気付いていたが、どうしてほしいのかも分からないので歩き続ける。

 理由はすぐに分かった。

 ——あるブースの前で店番をしていた少女が、あ、と声をあげた。

「マークおにいちゃん?」

 エレメンタリースクールに通うかどうかという年齢の可憐な少女である。二つに結んだ髪がぴょこぴょこと跳ねて愛らしい。

「あれえ? もどってきたの?」

 不思議そうに顔を傾ける少女は、マークから返事が返ってこないのでさらに傾いた。小さな体が椅子から落ちてしまいそうだ。

 アリシアが目を向けるとマークはさっと目をそらす。少女との出会いを無かったことにしたいらしい。そしてそれは失敗に終わった。

「おや、マークくんじゃないですか。午後は予定があるって言ってませんでした?」

 ブースの奥から現れた男が転びそうな少女を支えながらマークに尋ねた。聖職者が身に着ける黒のキャソックを纏っている。しんぷさま、と少女は呼んだ。

「テレサわかったよ! わすれものしたんでしょ」

「おや、そうなんですか?」

 マークはテレサと神父に見つめられ、ぐう、と唸る。

 それは聖ドミニク教会のブースだった。ブースのポスターによれば、孤児院で手作りしたクッキーを売っているらしい。売り上げは孤児院の設備費に、と記載しているのでチャリティーイベントである。

 会話から大体の状況が掴めてきた。

「……先約があったのね」

 ぽつりとアリシアは呟いた。

 マークはデートの前まで聖ドミニク教会の手伝いをしていたのだろう。そして昼食後は映画に行くはずが、思いがけずフリーマーケットに舞い戻る羽目になったのだ。

 観念したのか、マークは深く息を吐いた。

「先約じゃないし、気にしなくていい。……忘れ物はしてないよテレサ、いい子で店番してたか?」

「うん! おきゃくさんいっぱい来たよ。わんちゃんといっしょのおねえさんとー、お花をもったおじいちゃんとー……」

 テレサは顔を輝かせてフリーマーケットの様子を語っている。ブースにはテレサの他にも孤児院の子供たちが数人店番をしており、そのうちの何人かはアリシアのマークと繋いだ手をちらりと見ていた。神父も同様だ。

「予定って……へえ、そういうことでしたか」

「いいだろ別に」

「ええ、いいですよ。別に」

 神父はにこにこと二人を見比べた。微笑ましいと言わんばかりの生暖かい目である。

 急に気恥ずかしくなってアリシアは力を緩めたが、手は離れるどころかむしろ強く絡んできた。正気か、と見上げるとマークは口をへの字にしている。意地になったような、やや幼い表情だ。スマートでかっこいいマークもいいけれど、これはこれでかわいい。

「はじめましてアリシアさん。私は聖ドミニク教会のニールセンです」

「ニールセン神父ですね。私は……あれ?」

「アリシア=ポートレイさんですよね。GDC拝見してます」

 マークくんの知り合いとは知りませんでしたが、とニールセン神父は揶揄うようにマークを見た。

「マークくんとは大学のころからの友人でして。大企業で出世してからもよく寄付していただいてるんです。イベントのときもこうして手伝いに来てくれて、本当にいい子ですよ。ねえ、テレサ」

「うん、マークおにいちゃんいい子なの!」

「露骨なアピールやめろよ……これだから嫌なんだ」

 マークは鼻にしわを寄せてニールセン神父を睨む。それでもテレサの頭をぽんぽんと撫でているので、ニールセン神父の言葉が事実であることが丸わかりでアリシアはくすくすと笑った。

 聖ドミニク教会の提供するクッキーは、プレーン、シュガー、アーモンドと種類ごとに分けられて、それぞれ異なるリボンが結ばれている。

「テレサも袋詰めしたの?」

「テレサはジンジャークッキーにリボンつけてあげたの」

「そうなの! 上手だわ、凄いじゃない」

「えへへ」

 テレサは嬉しそうにはにかんだ。ジンジャークッキーのリボンは黒いギンガムチェックで、綺麗に結ばれている。アリシアが同じくらいの年齢のころには、不器用でリボンなんて結べなかった。

「ジンジャークッキーを一つ頂戴」

「わああ、お姉ちゃんありがとう」

 テレサの反応は眩しいくらいに素直で癒される。あんまり可愛くて頬が緩んでしまう。

「気を使わなくていいよアリシア」

「ううん、私が欲しくなったの」

 こっそりとマークが耳打ちしたが、心配には及ばない。元々菓子を購入する予定だったし、手渡してくれたテレサの笑顔が最高だった。テレサが会計をしている間もニールセン神父が見守っていて、素晴らしいコミュニティなのだと分かる。

 ——もしも差し入れを持ってきたら、よろこんでくれるだろうか。

「……私ちょっとお手洗いに行ってくるから、ここで待っててもらってもいい?」

 アリシアは満面の笑みでマークに告げた。その場を離れるには違和感のある表情だったので、マークの顔に疑問符が浮かんでいる。マークは器用にも、きょとんとしたまま曖昧に頷いた。

「じゃあ行ってくるわね」

 アリシアは元気よく会場に飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る