第7話 低層ループ


「――地震?」


 ちょうどその頃、【天地人の御庭】の外で飯嶋は言った。

 じっとしていたからこそ彼女はこの場所の微細な変化を感じ取ることが出来ていた。

 彼女の周りに置かれていた機器が僅かに揺れる。長く続く地鳴りの予兆のようであったが一分も待たずに揺れは収まった。


 何か予感を覚えて鳥居の方へ飯嶋は目を向ける。

 案の定か、禁域の入り口前の地面が隆起して見知った人物がそこから顔を覗かせる。


「あっ、神木さん!」

 飯嶋が駆け寄る前に、その場に待機していた新山が手を差し伸べる。

「おかえり、大丈夫かい?」

「……まあ、なんとか」


 二人の力あって天幕の中になんとか辿り着いた神木。

 そこで腰を休めながら、飯嶋からよそってもらった飯を少しずつ口に入れていく。


「疲れているところ悪いけどどうだった?」

「ん、そうですね――」


 神木はこれまでの冒険で何が起こったのかぽつりぽつりと自分の中で整理するように話し始めた。

 ダンジョンの造形のこと、出てきた魔物のこと、アイテムが識別できなかったこと、そして『荒らすべからず』と書かれたあの石碑のことを。


「なるほど、魔物の格だけ見てみれば確かに【梅雨の森】みたいだね」

「まだ二階までしか探索出来てませんけど……」

「いや、十分さ。第二第三のように低層から強い魔物が出てくるわけじゃないってことが分かっただけでも収穫は大きいよ。他にもいろいろと分かったことはあるし――とりあえず、ご飯を食べてゆっくりしていなよ」


 と、新山は優しい口調で声をかける。

 神木が腹が減ると弱気になることをよく知っていたからだ。


「それにしても識別されていないアイテムかあ……懐かしいね。此処だけじゃなくてそういうアイテムが落ちているダンジョンがあるんだよ。特に強い魔物の多いダンジョンにね。持ち帰ってこられたらどんなアイテムなのか識別は出来るんだけど――」

 ご飯を口に含みながらしょんぼりとした様子で首を横に振る神木に新山は笑い返す。

「いやいや、大丈夫だよ。話を聞く限り君は最善を尽くしたと思う。ただ『柏木の杖』が『蜘蛛糸の杖』だってことは覚えておいた方がいいね。地軸が同じなら見た目で効果を判別できるからさ」


 通常の攻略であれば人が入るたびにダンジョンの構造や階内での敵の配置、落ちているアイテムの種類などが変わってしまう。だが今回は捜索という目的もあり、地軸を合わせての攻略――つまり、捜索対象がダンジョンに入った時の状況を再現している形となっているため、アイテムを見た目で識別するという方法が可能になっている。


 過去には探索のみならず捜索もこなし、様々な冒険を繰り返してきていた新山だからこそ出来るアドバイスである。


「えっと、小鬼に木霊……あと七歩蛇、ですよね?」

 飯嶋はノートパソコンのキーボードを叩いて神木から得た情報を整理していた。

「確認出来ていない魔物もいるかもしれないですけど、出てくる魔物の種類は【一本松の頂】みたいな感じになる……かなと思います。あっ、これはただの予想ですし、あと階層毎の傾向って意味ですよ? 『歩蛇種』は【梅雨の森】にはいませんし【竹の林道】でも……たしか四十七階から出てくる感じですし……」


 自信なさげにそう語る飯嶋。

 一方でそれを聞いていた新山は感心したように声を上げる。


 なるほど、これは彼女だからこそ出来るダンジョンの一つの見方だと。


「流石だね。毎日天生村の冒険者全員の記録を付けてるだけあるよ。私なんかよりもこの辺のダンジョンのことは詳しいんじゃないかな?」

「……そんなことは、ないと思いますけど……」


 日頃の仕事のことを思い出してか、飯嶋の顔にどんよりとした影が落ちる。

 それをいつものようにまあまあと宥める新山。


「ごちそうさまでした」

 食器を置いて両手を合わせた後、神木は呟くように話を切り出す。

「『此の先、前栽あり、花は一身にて二面、カミおはすところなり、荒らすべからず』……かあ」

「そこだよね。やっぱり気になるかい?」

「ただあの仕掛けを説明しているだけには思えないですね。特に『花は一身にて二面』というところが引っかかって……」


 神木は自身の背を擦る。〈黄泉がえり〉によってそこに傷はなく、貫かれたはずの衣服も何事もなかったかのように元に戻っていた。


「花畑の中を徘徊する強敵ネームドのことを言ってるのかもしれないね。余所ではたまにいるんだよ。種別されてない特殊な魔物がね」

 とは各地のダンジョンを練り歩いた元冒険者である新山の説。

「美しい花の中には何かが潜んでいるってことを暗に示してるのかもしれない」


「うーん、あのぬめぬめした変なのがその強敵ってことなんですかね。透明だとしたらすごい厄介だなあ……」

 などと言いつつもいまいち納得していない様子の神木。

「だとしたら、あれは罠なんかじゃなくて魔物の攻撃……?」


「――そもそも誰が書いたんでしょうか。前の階には戻れないですし文体も……他の冒険者の方の書置きとは思えません」

 ダンジョンの中にいる『冒険者ではない何か』を飯嶋は仮定する。

「……まるで、本当に荒らしてほしくないような……」


 一様に唸る三人。

 各々あれこれと推測しようとするも手に入れた情報はあまりにも少なかった。


「なんにしても地道に調べていくしかなさそうだね。急がば回れってことさ。私たちのことは心配しないでくれよ。夜中を回ったって大丈夫。寝袋はちゃんと用意してるからさ」

「……えっ? あれ、洗濯してないらしいですよ? ほんとに使うんですか?」

「ふふ、どうだろうね。その辺は神木くんによるだろうさ」


 意地悪く笑う新山。これは彼なりの激励だった。

 君は一人でこのダンジョンに立ち向かっているわけではないのだと。


「まあ、そんなに遅くならないように頑張りますよ」

 それを分かったうえで、神木は軽い調子で言った。

「それじゃあ二回目、行ってきます」



 ――続く二回目の冒険。

 前回にも増してげっそりとした表情を神木は最初に見せる。

 『ガワイロ』の滑り床で転んで握り飯を池に落としてしまったとのこと。

 曰く、「滑って転んで前栽に突っ込まなかっただけよかった」

 到達階、十一階。


 ――さらに続く三回目の冒険。

 一回目と同様の地鳴りが断続的に起こり、そのしばらく後に神木は地上へ戻って来る。

 『桶屋の杖』で魔物を前栽に吹き飛ばして倒すことを試せたのは良かったものの、杖の使用可能回数を見誤って普通に『鬼』に殴り倒されてしまったとのこと。

 曰く、「やっぱり特殊な能力がない魔物が一番厄介」

 到達階、十九階。


 ――さらにさらに続く四回目の冒険。

 やけに清々しい顔で神木は地中から這い出てくる。

 他の魔物から受けていた毒を取り込んで巨大化した『山童やまわらわ』に倒されたとのこと。

 曰く、「まだ鼻の中でうがい薬の匂いがする」

 到達階、二十六階。


 外では陽は天頂に至り、そして暮れていく。

 神木の冒険はまだまだ続き――――



―――――

――――

―――

――



 ――――そうして鳥居をくぐる回数が十を超えた頃には、神木が階を下る速度は目に見えて早くなっていた。

 捜索の終わった階では必要なアイテムの収集と最低限のレベル上げだけにとどめる。

 倒れた階の対策をその度に三人で練り直す。

 未識別アイテムの種類、その使用回数、敵の種類、その出現階や配置。

 積み重なった情報を元に練った対策を次の冒険の過程に組み込んでいく。


 禁域の外では午後四時を回り、幾度も繰り返されたある冒険の最中。


「……あの、新山課長」

 前回の冒険の結果を表計算ソフトに纏め終えた飯嶋は近くで腰を休めていた新山に声をかける。

「ちょっと気になることがあって」

「どうしたんだい?」

「あの地震のことなんですけど、なんというか……」


 そこまで飯嶋が言ったところで新山は合点する。


「なるほど、あの花畑が荒らされたときに地震が起きてるよね」

「……私、最初は神木さんが戻って来るたびに地震が起きるんだと思ってました。でも違うんですよね。これがダンジョンの出来事と関係してるとしたら――」

「確かにおかしいよね」


 ダンジョンは外の世界と隔絶した空間である事実はこの【天地人の御庭】の外観からも分かる。

 それ故に、中で大爆発が起ころうが洪水が起ころうが外には何の影響もないはずだった。


「それで考えたんです。もしかしたらあの文章を解くための鍵は――――」


 その時、飯嶋の続く言葉を遮るように金網の外から聞こえてきた異音。

 それが車の音だと気付いて、新山は思わぬ来訪者を迎えるべく立ち上がる。


「うーん、来ないって言ってたはずなんだけどなあ……荻野さん家のおじいさん」

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