第6話 初めての死


 二階へと足を踏み入れたとき、神木は石碑に書かれた『前栽』がなにを示しているのかすぐに理解できた。

 庭の中には石造りの背の低い囲いがいたるところにあり、そこには色とりどりの花が生えていた。

 紫、桃、白、黄色などなど。形も一様ではなく、それらがどのような種類の花なのか彼には分からなかった。


「荒らすな、ってことは……これを踏んじゃいけないってことなのかな」


 前栽の範囲から限られた道を行くことにはなるが、花を踏まずに先に進めるようになっていることが一目で分かる。

 いったい前栽を荒らせばどのようなことが起きるのか、神木は少しだけ興味をそそられる。してはいけないと言われればやってみたくなるのが人の性である。


「……いや、やめておこう、流石に」


 と、思いとどまる神木。

 少なくともあの石碑の一文がダンジョンの仕掛けを示すヒントであることには間違いない。踏んで悪いことが起きるにせよ、良いことが起きるにせよ今はその時ではないと彼は判断した。


 神木は一階と同様に下へと続く階段を探すため歩き始める。

 前栽を除けば二階部分は前の階となんら変わりなく、来る敵をさしたる苦労もせずに倒しながら進んでいく。

 ちょうど階段のある庭を見つけたところで彼は呟く。


「ん、木霊が出てきたな」


 視界の端に映る地図がおおよそ二階の半分を埋めたとき、神木は庭の中をふらふらと飛び回る赤子ほどの大きさの魔物の姿に気付いた。

 木霊は名前のまま『木霊種』に分類される魔物であり、『小木霊』『小々木霊』と格が上がるほど小さくなっていくという性質がある。可愛らしい外見とは裏腹に小鬼同様冒険者へ敵意を示す存在であり魔物には違いない。

 『木霊種』は『鬼人種』よりも直接戦闘能力は低い代わりに『自身に対する一部アイテムやスキルの反射』という種としての特殊な能力を持つ。だが、アイテムの使用を渋っている神木には小鬼よりも容易い相手だ。


 その小さな精霊は神木が庭に入ると彼の方へと向かってくる。

 決して真っすぐは飛んで来ず、例の前栽に触れないよう避けるようにして飛んできた。

 この二階に入ってから神木は何度か目にしていたが、どうやら魔物もあの花に触れたくはないようだった。


 ほどよい間合いをはかって、神木も一歩一歩と距離を詰める。

 いざ迎え撃とうと足を止めようとしたとき、彼の足元でカチッと音がする。


「げっ」


 罠だ。そう思ったときには時すでに遅く、辺り一帯に耳をつんざくようなけたたましい音が鳴り響く。


 どのダンジョンでも罠と呼ばれる小さな仕掛けが小部屋の領域には設置されていることがある。罠に設置場所の法則性はなく、どれも地に手を付けて探さないと分からないほど巧妙に隠されているものだ。

 今回は『警報の罠』――それは階にいる全ての魔物を眠りから起こし、罠の場所へ呼び寄せてしまうという厄介なものだった。


「……これはまずいな」


 目前の木霊をすぐさま切り倒して、神木は辺りを見回す。

 警報の鳴り終わった後から幾つもの足音が庭園内を駆け回っていた。靄に包まれてその姿は神木には捉えられなかったが、このまま何もしなければ魔物に囲まれてしまうことは容易に想像できる。


 魔物は階を跨げないため次の階に逃げるという手はある。が、もしもこの階に捜索対象がいるかもしれないと考えれば彼にはその手は選べない。二階はまだ半分ほどしか探索していないのだ。


「使うしかない……か」


 ちょうど神木が来た橋から追いかけるように現れた小さな影。それを小鬼と認めて間もなく、神木は荷物入れから取り出した『柏木の杖』をその方向目掛けて振った。


 『柏木の杖』は『黒革の絵巻』と同じく識別できないアイテムの一つだった。杖系のアイテムは振るとそのほとんどが光の弾を放ち、弾の当たった対象になにかしらの状態変化を与える。『柏木の杖』の効果が対象を吹き飛ばしたりその動きを遅くしたりするような悪い影響デバフを与えるものであれば今の状況を打開するには適切だ。一方で対象の格を上げてしまうレベルアップさせてしまうといった良い影響バフを与えるものも杖にはあり、そんなものを振ってしまった場合はさらに状況を悪化させてしまう。識別されていない杖を使うということは絵巻同様にリスクを伴うのだ。


 神木が絵巻ではなく杖を使ったのは、そもそも絵巻の効果範囲ではないこと、杖の効果がなんであっても魔物との距離がある程度離れていて他の未識別アイテムで対処できる可能性があること、そして杖の効果は基本的に弾の当たった一体にしか働かないことを考えての選択だった。


 結果的に神木の判断は正しかった。杖から放たれた弾は小鬼に当たるとねばねばした糸へと変わり、周囲に絡みついて小鬼の動きを止める。その後ろを走ってきた魔物たちも糸に包まれた小鬼が邪魔で前へ進めない様子だ。


「――『蜘蛛糸の杖』! だったらあそこから来る魔物を先に倒して――――ッ!?」


 庭に掛けられた二本の橋、そのもう一方へ向かおうとしたとき、神木は足首にちくりと痛みを感じた。

 一瞬、目が眩む。途端に前後左右の判別も付かなくなり、遂には意図せぬ方向へと歩いてしまう。


七歩、蛇しちふ、じゃ……」


 四本の足を持つ小型の蛇――それは『歩蛇種』の中で最も格の低い魔物。人の手ほどの大きさしかないことから、よほど周囲に目を凝らしていない限り『歩蛇種』の魔物は見つけられない。

 『歩蛇種』は格が上がるほど『五歩蛇』『三歩蛇』と名前の頭の数が小さくなる。一度噛まれればその数歩く間もなく死に至るという名の所以。言わずもがな、種の特殊な能力は『毒』。


 七歩蛇の毒はその上位種に比べればまだ弱いとされている。

 だが、今の神木を殺すには七歩と言わず一歩で十分な毒であった。


「しまっ……た」


 詰まるところ、七歩蛇の毒は『混乱毒』。

 足がもつれ、神木は行ってはいけないと心に決めた場所へと倒れ込んでしまう。


 荒らすべからずと書かれた、あの前栽へと。



「――――あっ」


 花の先に背中が触れたとき、神木はぬるりとした奇妙な感触をその背に覚える。

 その正体は彼には分からない。推測する暇さえ与えられなかった。


 瞬間、前栽のある地中から勢いよく突き出される何か。

 自身の胸元を貫く『剣先』を見たのを最後に、神木は意識を失った――――。


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