第4話 未識別アイテム
暗く長い参道を抜けた先には見渡す限り広大な『美しい庭園』が広がっていた。
ダンジョン外から見えた杉の森は此処では姿形もなく、無数の玉垣や拝殿などが外の鳥居のように形を歪ませてあちらこちらに存在していた。いびつな神社の空間に絡み合い、あるいは横たわった
少なくともこの場所が伝統的な日本的な庭園ではないということは、その様式について疎い神木であっても分かる。ただこの場所は「庭園」であり「美しい」という漠然とした認識を見る者に与えているようだった。
振り返っても歩き通れるような帰路はなく、周囲の異様な光景と合わせて此処がダンジョンであることを神木は改めて実感する。
「だったら当然――」
かざした手を支点に浮かび上がる、文字と数字の羅列。
「まあ、
神木は眼前に現れたステータスを目で追って、その項目と数値がこれまでのダンジョンと変わりがないことを確認する。
レベルは1、
装備はなく、攻撃力と防御力等の補正はなし、その他アイテムはいつもの握り飯一つ。
冒険者神木を象徴するスキルを除けば、なんの準備もせずに初めてダンジョンに潜った冒険者のようなステータスだ。
レベルから満腹度までの主要なステータスとマス目で描かれた大雑把な
「それじゃあまずは……」
頭の中でやるべきことを整理するために、神木はあえて独り言を呟く。
「よし、『階段』の位置を確認しよう」
今いる禁域――【天地人の御庭】がダンジョンであるという前提のもと、神木は歩き始める。
基本的にダンジョンにおける『階』はいくつかの『小部屋』と呼ばれる小さな領域とそれらを繋ぐ『通路』で構成されている。
この【天地人の御庭】でもそれは変わらず、『小部屋』は一つの庭として『通路』は庭同士を繋ぐ橋として現れている。橋の下には水が通っており、周りの景色からそれは大きな池の一部であることが分かる。池からは薄い霞が立ち上がって遠くの庭の状況を曖昧にしていた。この池が『小部屋』と『通路』以外の侵入不可能な領域を示していた。
たとえ危機的な状況に陥ったとしても、ダンジョン外の感覚で侵入不可能とされる領域――此処では池に自ら足を踏み入れることは出来ない。特殊なスキルやアイテムがあれば話は別だが、今の神木はレベル1かつ空手である。
こうした僅かな食料以外の何も持たない『素潜り』の序盤でどのような立ち回りをしなければいけないのか、神木は今までの経験からよく理解していた。
橋を渡り、次の庭に差し掛かったところで神木は足を止める。
庭の中央辺りに見えるのは、ぐったりと体を横たえる一体の小さな人型。
捜索対象である荻野家の娘ではないかと神木が見間違うことはなかった。
人のものではない赤い肌、額に生えた短い角。いびきを発するその口から鋭い牙が生えているのが見える。
「たぶん小鬼だけど……」
見慣れた魔物の姿を前に、神木の頭に浮かぶ様々な仮定。
「……いや。とりあえず、やってみよう」
神木が庭の中に入ると、ゆったりとその身体を起こす小鬼。
足音を聞いて目を覚ましたのだろう。一人の男の姿をすぐに認めるとそれは奇怪な声を上げながら神木に向かって走り出す。
相対する神木はさらに一歩距離を詰める。
丁度いい間合いとみて、その場でぐっと拳を握りしめて臨戦態勢を取る。
そして真っすぐに自身へ飛び掛かってくる魔物の鼻先に、勢いよく拳を叩き込んだ。
だが小鬼は倒れず、体勢を整えるとその長く尖った爪を神木の胸元目掛けて突き出す。
「――――いッ!」
急所を守るために差し出した腕が切り裂かれ、神木は苦痛に声を上げる。
視界の端に映る体力値が僅かに減少するのが神木には見えたが、これしきのことで怯むような冒険をしてきてはいない。
さらに一発と返しに小鬼に拳を打ち込むと、それは悲鳴を上げてその場で霧散した。
すぐに周りを見回して他の敵が現れていないことを確認した後、神木はふうっと息を吐いた。
勝ててよかった、というよりは自身の頭の中にあった最悪のケースではないことに安堵するように。
「……禁域だけど上位種が最初から出てくるってことはないんだ」
ダンジョンに出現する魔物にも冒険者のレベルに相当する格があり、それによって能力が異なる。
『小鬼』は『鬼人種』に含まれる魔物の一種で、その格は最低であるとされていた。天生村周辺のダンジョンではよく低階層に現れる魔物であり、特殊な能力も持たないため装備さえ整っていれば駆け出しの冒険者でも難なく倒せてしまうほどの強さだ。
神木が心配していたのは小鬼に見えた魔物が上位種――つまり、それよりも格の高い鬼人種の魔物であるかもしれないことだった。
とはいえ【天地人の御庭】でも格によって見た目がほとんど同じである法則性は変わらず、神木の不安は過ぎたものだったようだ。
「うーん、今のところ【梅雨の森】っぽいなあ」
天生村の第一ダンジョンを苦労して攻略していた時を思い返しながら、庭先に立った時に小鬼と一緒に見つけていたものを拾っていく。
この庭に落ちていたのは刀と絵巻。慣れ親しんだアイテムを手に持ったとき、神木はふとおかしなことに気付く。
「あれ? この刀……鞘に入ってる。こっちの絵巻は……なんの絵巻だ?」
刀身を晒していない『無銘の刀』と閉じられ裏書のない『黒革の絵巻』を両手に持って交互に見やる。
彼の感じる違和感とは、これらのアイテムの強化値や効果が一目で分からないことだった。
刀であれば落ちているものはおおよそ刀身を晒しているため、それがどれだけ鍛えられ上げたものか分かった。
絵巻であればその裏書に何が描かれている絵巻なのかが記されているはずだった。
だからそのような『識別不能なアイテム』を見るのは神木にとって初めての経験だった。
実際にそれを装備したり使用したりしてみれば分かるのだろうが、神木にとってはどうにも気が進まないことだ。
数々の苦い思い出が彼の頭を巡る。
「呪われてるのか分からないのはなあ……」
今装備している武器より良いものを見つけても手を離そうにも離せなかった駆け出しの頃の思い出が。
「それにこっちも『茶釜亀の絵巻』だったら……」
敵を目前に綺麗な花火を上げ、ぷすぷすと煙を上げる自分の身体にとどめの矢を刺された調子のいい冒険での思い出が。
「うーん……とりあえずしまっておいて――――」
と、絵巻を荷物入れに入れたところで神木はまだ行っていない橋の方向からの足音と声を聞く。
向くとそこには二体の小鬼がいた。戯れるように無邪気に橋の上を駆け、神木のいる庭へと向かってきている。
小鬼たちが神木を発見している様子はない。が、一度引き返すための道は遠い。
神木の顔がこわばる。
もしものことを考えている時間はなかった。
「――だったら、仕方ない」
二体の鬼を正面に見据え、鞘から刀を抜き放った。
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