第3話 【天地人の御庭】
「――要するに、今回の依頼は家出した娘を探してほしいってことで……まあ、その家出先がよりにもよって【禁域】だからややこしいことになっているんだけどね」
翌日の早朝。
ガードレールのない山道を三人が乗るワゴン車が通り抜けていく。
運転席の新山は慣れたハンドル捌きで荒れ道の上をすいすいと進ませていた。
「その娘さんと【禁域】が全く関係ないってわけじゃないんだ。荻野さんのお家は
「形式上は役場ですけど。【禁域】もダンジョンには変わりないですし、書類も苦情もこっちに来ますし」
「そうだね、飯嶋くん。ただ、今のご時世ダンジョンが絡むとどうにも権利関係がねえ」
「ほんと、面倒です」
「ほら、暗い顔しないの。今日くらいゆっくり羽伸ばしていいんだよ。事務仕事は向こうでやってくれるからさ」
「……これもいちおう仕事ですから」
「うーん、そうだねえ」
悪路に差し掛かり、ガタガタと揺れる車体。
後部座席に乗せていた機材が跳ねてぶつかり合い、同席している一人のむせる声が響く。
助手席に座る飯嶋は後ろ目にそれを見て、小さくため息を吐いた。
「……よく食べられますよね、神木さん」
「変に緊張しているよりも断然いいよ。私としてはむしろ楽しんでほしいくらいさ」
新山の一言に飯嶋はむすっとする。
「ははは、すまないね。仮にも仕事――いや、人の命が関わっているんだから言葉を選ぶべきだったかな?」
「いえ……まあ、そうかも……ですけど……」
「難しいダンジョンの攻略に心を躍らせるのは冒険者の性みたいなものさ。特にそれが【禁域】の攻略ともなればね。おーい、神木くん」
「……はひ?」
まるで話を聞いていなかった様子で間の抜けた声を上げる神木。
口に含んだものを呑み込んで、彼は再び応えた。
「あっはい、すいません。どうしました?」
「君が挑戦しようとしている【禁域】がどのようなものか、君の知っている限りで教えてくれないかな?」
「えっと……そもそも【禁域】は誰も踏破したことがない最難関ダンジョン、ですよね?」
「そう言われてるね。他にはどんな特徴があるかな?」
「入り口の石碑に書いてあるみたいですけど、何処も【レベル1から】と【アイテム持ち込み不可】が基本条件だって聞いてます」
「うん、つまり――?」
「アイテムに指定されてる『帰還の鈴』が使えないってことですね」
神木はさらりとそう言う。
アイテムで帰還出来ない、という事実がまるで大したことではないとでも言うように。
ダンジョンでは普通の洞窟や建物のように入口まで引き返して出ることはその特質上不可能だ。【禁域】に限らず何処のダンジョンの入口も冒険者が入った時に閉じられてしまう構造になっているからである。
それ故にダンジョンから生きて脱出する方法は最深部に到達するか、帰還用のアイテムを使用するかの二つしかないとされており、未踏破ダンジョンともなれば言わずもがな、帰還の見込みもないまま挑むのはあまりにも危険な行為である。
加えてレベル1からスタート――今までの積み重ねで得たスキルが使えないともなれば、軽い気持ちで足を踏み入れようとする冒険者が誰一人としていないのは当然のことだった。
「他のことは――分かりません。いちおう、此処の【禁域】のことは調べてみたんですけど……」
「つまり君は、『【禁域】の中のことは誰も何も知らない』ということを分かったわけだ」
新山は満足げな表情で頷く。
「正解さ。それが此処のも含めた【禁域】の全てだよ。当然だよね。挑んだ誰もが生きて帰ってこられてないんだからさ」
新山が言うように、【禁域】については不明な点ばかりだった。
そもそも【禁域】はダンジョンの一種である、ということ自体も推測の域を出ないほどである。その出現時期や外観などからそうであるとされているだけだった。
入口はあるが出口はあるのか? ひょっとしたら最深部などなく無限に続いているのではないのか?
どれほど難しいのか? どんな魔物がいるのか? どんなものが隠されているのか?
人類がダンジョンに足を踏み入れてから数十年と経っても未だに解けていない謎がそこにはあった。
「で、どうだい? 神木くん」
「なんですか?」
「いやさ、念のため訊いておきたかったのさ。そんな本当にダンジョンかも分からない場所に挑む今の気持ちはどうだい?」
目的地に近づき、ワゴン車は速度を徐々に落としていく。
目前に見えるのは一帯を囲う金網。その唯一の入口として施錠された扉があった。
「こう言ったら、捜索の依頼を出した人たちに失礼かもしれませんけど」
金網の奥に見える【禁域】の入り口らしき場所を見つめながら神木は答える。
「楽しみですね」
「なるほど、君もまったく冒険者なわけだ。それじゃあ行こうか」
一同は車から降りて、錠のかかった扉の前に立つ。
新山はポケットから鍵を取り出して南京錠に差し込んだ。
鍵は依頼人の荻野から前日に受け取っていた。予備の鍵だという。
「飯嶋くん、すまないけど先に記録の準備をしておいてくれるかな?」
「――あっ。わっ、分かりました」
「後ろの炊飯器も忘れずにね」
慌てた様子で車に戻っていく飯嶋の背を見送ってから、新山と神木は金網の先へと足を踏み入れる。
金網に囲まれた空間では近頃刈り取られたであろう野草が辺りに生え広がっていた。そうした人の手で整備された空間の中で斜めに傾いた鳥居がまず目につく。
鳥居には太い木の根が絡みついており、その先には木々が砂利道の両脇に整然と生えている。精気溢れる青々とした葉の一枚一枚は少しの隙間も生じないように幾多にも重なって陽を遮り、その奥は森に繋がっているという周りの状況から推測できる程度の曖昧なことしか分からない。
一見すればただの管理の行き届いていない神社の一部と見えるかもしれないが、よく観察をしてみれば奇妙なことが分かる。
生暖かい夏風に新山たちの髪が揺れる。しかし、鳥居の先でそよぐ葉など一枚もない。
鳥居を前にして後ろからは虫のさざめきが聞こえ始めてきたのに対して、参道の続く森の中はあまりにも静かだ。
まるで鳥居を境に世界から切り取られているかのようだった。
「少し待っててね。さてさて、昨日入った履歴は……」
新山は鳥居の隣にある石碑に人差し指を当てて、慣れた手つきでそこに書かれた文字をスライドさせていく。
「……ん、あったあった。これに今の地軸を合わせて、と――」
そう言い終わると同時に、鳥居の先の景色がぐにゃりと歪んですぐに元に戻る。
「よし、もう入れるよ。忘れ物はないかな?」
「忘れようがないですよ。これもアイテムだって取り上げられたらちょっと困りますけど……」
神木は腰に括り付けた荷物入れを確認するように軽く叩き、その上から縞合羽を羽織る。
「まずはどんなダンジョンか掴んできます。一回目、行ってきます」
日頃のダンジョン攻略と変わらない調子でそう言い、鳥居を潜ってその奥へと歩いていく。
これまで観光客や冒険者を数えきれないほど見送ってきたからこそ、新山にとっても今回の攻略は特別なものではなかった。
目的が捜索であっても。攻略対象が【禁域】であっても。
「いってらっしゃい」
だからこそいつものように、新山はその一言を暗闇に消えていく背に掛けた。
―――
天生村の
【
――――攻略開始。
―――
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