第2話 天生村の冒険者組合


 神木敏也、二十三歳。

 親しい間柄の新山が聞くところによると、彼は大学卒業後の進路として冒険者を選んだという。

 若者の就職難にある世の中で、神木が冒険者という選択肢を取るのはそれほど珍しいことではない。


 ダンジョンの中には魔術的な道具や歴史的な遺物が多数発生する。

 そうしたものを売買してお金を稼ぐため、またはそうした神秘に触れるためと冒険者の目的は様々だ。

 神木も当初は自分の生活のために冒険者を志したのだと語っていた。


 ダンジョンの中にあるものは現代の技術では作成が不可能なものであり、そのほとんどが使い切りのものである。

 それ故に最深部まで踏破済みのダンジョンが増えてきた現在においても、冒険者は重宝される存在である。

 神木もその迎え入れられた一人として、半年前からこの天生村を拠点に生活してきた。


 とはいえ、神木は少し変わった冒険者だ。

 彼はダンジョン攻略の際に武器や防具といった装備は持ち込まず、雑嚢に入れていく消耗品も組合ギルドから支給される握り飯一つのみ。

 ダンジョンに落ちているものだけで攻略する――いわゆる、『素潜り』の冒険者。

 それは、その知識と経験の積み重ねから成る『判断力のみ』を駆使して戦うことを意味する。


 『帰還の鈴』も持ち込まない、本当の意味での『素潜り』は現代の冒険者にとっては無謀な挑戦ともいえる。

 現に、『素潜り』の冒険者で現存しているのは神木敏也一人のみである。

 その理由はただ一つ。


 『普通の冒険者』はダンジョンで死んでも生き返ることはないからである。


「やっぱり自分の身体で感じることは大事だと思うんですよ」


 神木は口に含んだご飯を呑み込んで、そう言った。

 村役場の休憩室。時刻は十八時を過ぎ、終業後の役場には静けさが漂っていた。


「だいたいの人ってこれ駄目だなって思ったら帰っちゃうじゃないですか。凄くレベルアップした魔物とか誰も戦わないじゃないですか。でも、実際戦ってみると大したことない場合もよくあって。いや、今日は駄目だったんですけど」

「そんなこと出来るのは君くらいなもんだよ」


 新山は笑って答える。

 空腹からすっかり解放された神木は上機嫌そうな表情で頷いた。


「新山さん、いつもありがとうございます」

「飯の事かい? 枕飯の余り物だから、私からすれば食ってくれるのは大歓迎なんだけどさ」

「それもありますけど、俺が第二ダンジョンに挑めるのは新山さんのおかげですから」


 神木が言うように彼が【竹の林道】に挑むことが出来るのは、組合員でも高い地位を持つ新山の助力あってこそだった。


 日本の冒険者組合では各ダンジョンに推奨レベルというものを設定している。

 その推奨レベルは通常、全階層の魔物の強さの平均によって決定される。

 基本的に冒険者のレベルが推奨レベルよりも低い場合はそのダンジョンに挑むことは許されない。

 「何が起こっても自己責任」を第一に掲げる冒険者組合だが、明らかな危険に冒険者を挑ませるようなことはしないのだ。


 そもそもレベルとは単純にダンジョン内でのステータスの一つであること以外にも、冒険者としての格を表すものである。

 ダンジョンに挑んで帰還することを繰り返せばレベルは自然と高くなる。

 レベルが高くなればステータスも上昇し、スキルも覚えていく。

 およそ他の職業で言うところの『資格』がない冒険者にとって、レベルとはそれに相応するものであるとされていた。


「君が数値通りのレベル1の冒険者だと、私は思ってないからね」


 新山の言う通り、神木は数値上ではレベル1の冒険者だった。


 永続的にレベルが1というわけではない。

 神木であってもダンジョンの中で魔物を倒すことでレベルは上昇する。

 ステータスの上昇も起き、スキルの獲得もできる。

 ただ、彼だけはダンジョンの外に出るとレベルが1に戻ってしまうのだ。


 半年前、神木が初めて天生村のダンジョンに挑み、『死に戻り』をした際に『それ』が発覚した。

 冒険者神木の固有ユニークスキル〈黄泉がえり〉、そのスキルが意味する能力と代償。

 つまり、『死んでも生き返って帰還できる』能力と『生死に関わらず帰還時にレベル1に戻される』代償が〈黄泉がえり〉というスキルである。


 熟練の冒険者だった新山にも〈黄泉がえり〉というスキルは得体のしれないものだった。

 現に神木以外に〈黄泉がえり〉を習得した冒険者はいない。

 当時の神木は「ダンジョンに潜って気付いたら『それ』がステータスにあった」と語った。

だが、冒険者になるための研修で初期スキルは判明しているはずだ。


 そうした現状を踏んで新山たちは様々な推測をしたが理解には及ばず。

 冒険者組合の本部に調査を依頼しても「現状維持」の一点張り。

 結局のところ、分からないのであれば仕方ない。

それを有効に使うだけだ、と冒険者らしい結論に至った。


「恐縮です。まだまだ学ぶことばかりです」

「五十七階まで行ければ大したものだよ。あそこが踏破出来れば、次は【一本松の頂】に――」

「『――次のニュースです。本日未明、白原村近辺のダンジョン内で行方不明となっていた男性が当入口にて遺体で発見されました』」


 付きっぱなしになっていたテレビから流れるニュース。

 新山は話を切って、ニュースの方に視線を向ける。


「『事故の起きたダンジョンは白原村では【禁域】に指定されており――』」

「仏さん、見つかったんだね」

「お知り合いですか?」

「いいや。【禁域】に挑む冒険者ともなれば自然と耳に入ってくるものさ」


 番組の映像を眺めながら、考えるような仕草をとる新山。

 彼の表情は変わらず穏やかだが、その眼つきには冒険者であった頃を思い起こさせるような鋭さがあった。


「そうか、【禁域】かあ……」


 ニュースが切り替わったところで、新山は神木の方へ向き直る。


「神木くん。前々から話していたことなんだけど――」

「――失礼します。新山課長」


 その時、休憩室の扉が開いて一人の女性職員が現れた。

 彼女はちらと神木の方を見てから、新山に話しかける。


「お電話入りました。荻野おぎの正樹まさきという方からです」

「はい。飯嶋いいじまくんも毎日遅くまですまないね。ちょっと休んでなよ」

「いえ、私は――」

「いいから、いいから。それじゃあ神木くん。少し席外すね」

「分かりました」


 新山が出ていくと、休憩室はしんと静まり返った。

 ややあって響く、テレビの音声。ボールペンの擦れる音。咀嚼音。

 一室の中では神木が右手には箸を、左手にはペンを持って食事と執筆に勤しんでいた。


 飯嶋と呼ばれた女性職員は小さくため息を吐くと、棚からマグカップを取り出してコーヒーメーカーに置いた。

 機械の駆動音と共に香ばしい香りが一室を包み込む。


「……行儀悪い」

 飯嶋のそんな呟きに気付いてか、神木は手元から顔を上げる。

「――あ、いえ……その、器用だな、と」


 神木は左手に持っていたボールペンを机に置く。

 空いた手で茶碗を持ち上げ、一気にご飯を掻き込んだ。


「んむっ。――いやぁ、すいません。こういうの癖になってるんです。ダンジョンの中じゃ、落ち着いてご飯を食べられる機会なんてそうそう無いですから」

「はあ……そうですか」

 飯嶋はマグカップを持って、神木と対面するように席に座った。

「……何を書いてたんですか?」

「今日の反省文みたいなものです」


 へえ、と短く返す飯嶋。

 彼女の顔には明らかに疲労が浮かんでいた。


 飯嶋香織、二十二歳。

 彼女は大学卒業後、今年の四月に天生村役場のダンジョン課に配属された新入職員である。

 日々ダンジョン観光関連の事務仕事や組合からの委託業務を行っている。

 観光客への電話対応を行ったり、ダンジョンに関わる依頼を取り扱ったりと新入職員にしてはその扱う業務は多い。

 それはダンジョン課では案内スタッフとして大半の人員が割かれているためであった。

 神木や新山同様にダンジョンに関わることから冒険者組合に加入しているが、彼女自身は冒険者ではなくその経験もない。

 完全な事務要員としての採用――つまり、飯嶋は現代ダンジョンの『受付嬢』ともいえる存在であった。


 「今年は優秀な子が入ってきた」という新山の世間話で、飯嶋の存在を前々から神木は知っていた。

 神木は基本的に新山を通じてダンジョンに潜る許可を貰うため、飯嶋と接する機会はあまりなかったのだが。


「反省文……ああ、そうか、報告書、今日の報告書……まだ終わってない……」

 マグカップに口をつけることもなく、緊張の糸が切れた様子で机に突っ伏す飯嶋。

「あんのクソ上司ども……あたしに全部仕事押し付けて帰りやがって……」


 飯嶋はぼそぼそと悪態を吐く。

 仕事中に何度も掻き回したであろう彼女の髪が寝ぐせのように跳ねていた。


「なんというか……お疲れ様です」

「良いですよね、冒険者の皆さんは」

 飯嶋はだらりと垂れた前髪から隈の深い目元を覗かせる。

「ダンジョン潜って、印鑑押して、帰って、事後処理は全部あたし。自分の報告書ぐらい自分で書けっての。馬鹿馬鹿しい。命を掛けてるなんて言っても本当は――――あっ」


 飯嶋は言い留まる。

 目の前の男が冒険者であることをまるで今気づいたかのような彼女の様子に、神木は苦笑いを浮かべた。


「ごめんなさい。こんなこと、神木さんに言うことじゃないですよね」

「いや、良いんです。まったくその通り――なんて俺は言える立場でもないですけど……いつも助かってます。ありがとうございます」

「え、そんな……感謝されるほど、あたしは……」


 そう言いかけて、飯嶋はぷいと横を向いた。


「――神木さんは……その」

 少しの沈黙の後、飯嶋は切り出す。

「どうして冒険者になっ――」

「休憩中すまないね、飯嶋くん」


 飯嶋の言葉を遮るように、休憩室の扉が開け放たれる。

 戸口に現れたのは新山だった。

 いつも通りの柔らかい表情は消え、その眉間には皺が寄っていた。


「……あっ、どうしました?」

「先の電話の話さ。村の【禁域】で行方不明になった子がいるとのことだよ」

「天生村の……ですか? でも【禁域】探索の申請書は提出されていませんし、そもそもあそこは……」

「それを含めて込み入った話でね。話せば長くなるけれども――」


 そこまで言ったところで、新山は唸る。

 会話を傍から聞いていた神木にとって、新山がこれほどまでに困った様子を見せるのは初めてだった。


「――いいや、ともかくだ。そこのご家族から捜索の申し出が来ていてね。遅くても明日には誰かを……冒険者を向かわせなきゃいけない」

「ですが、【禁域】は……」

「うん、そうなんだよなあ……どうするかなあ、参ったなあ、困ったなあ」


 そこで新山の目線が神木に向く。

 彼と目が合ったところで、その口元が僅かに緩んでいることに神木は気付いた。


「新山さん、いいですよね?」

「ん? いきなりどうしたんだい?」

 とぼけた様子で聞き返す新山に、神木は笑って返す。

「【禁域】の捜索、俺が行ってもいいですよね?」

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