③世界のセレブ:アロン・ゴルドマン 様 十八億五千万円クラス




「ルカ、これより私たちがお相手をさせていただく富豪のゴルドマン様は、今季最も高額な料理をお召し上がりに来ます。今日の対応次第でカフェイヨの今後にも影響が出る可能性もあるので、十分注意してくださいね」

「はい! 宮仕さん。いつも通り、完璧な所作でお迎えします!」

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【ご本人情報】

 アロン・ゴルドマン様。十二世紀から現在まで世界の銀行業界を牛耳る財閥、ゴルドマン一族の一人。女優アリス・キアーラのファン。アルコールは飲まず、肉が好物。日本料理コースで、予算は八億五千万円

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 重苦しいような、恐ろしいような、そんな異様な空気が漂っているように思えます。料理人や清掃人、ボーイに至るまで、皆どこか表情が硬くなっていました。

「ゴルドマン様」

 彼は漆黒と言う語をそのまま具現化したような、極上の黒で彩られたセンチュリーから降りてきます。軽やかに手を挙げて、私たちのお声がけに対応なさいます。

「やあ、カフェイヨの噂は常々聞いていたから、楽しみだよ」

「多大なる光栄にございます。では、どうぞ中へ」

 ゴルドマン様は、まず廊下の展示品に興味を示されました。

「これは、土器か」

「埴輪でございますね。古代日本の、王族や士族の墓に置かれた人形でございます」

「面白い、これこそ日本にまで来た甲斐があるというものだ」

 ゴルドマン様は一通り美術品を鑑賞なさって、さらに大広間の金時計に興味を示されました。

「叔父の家にあったものに似ている。こちらの方が当然立派なんだけどな」

 

 今回用いられる食事処は、とことん和風な茶道の数寄屋風となっています。掛け軸も生け花も、出てくる料理のみを際立たせるよう素朴且つ主張の激しくないものが選ばれています。

「ではまず、こちら御影石のメニューとなっております。」

「面白いが、何故石なんだ」

「はい、私どもカフェイヨは、今までお出ししてきたメニューは二度出さない主義でありまして、そうなるとメニューを記録しておく必要が生じてまいります。その際、今後何千年も壊れないよう、最も頑強な石というメディアを利用しているのでございます。ちなみに、文字は料理人の手彫りです」

「ほう」

 メニューをお読みになっている間に、私はお水の用意をします。

「こちら、お冷〈アタカマ砂漠の水〉でございます。地球上で最も雨の降らない地域で採取されたため、間違いなく地球上で最も高価な水にございます」

「なかなか、そういわれるとミネラル分が多い気がする」

「それと、本日は懐石料理の流れは無視して、ゴルドマン様のご注文の順にお運び申し上げますが、それでよろしかったのですよね」

「ああ。最高の食べ順ってのは、やっぱり人それぞれ違うと思うからね。それじゃあさっそく、向付むこうづけ椀物わんものを」

「かしこまりました」

 今回は少し趣向を凝らしたため、向付は刺身ではなく寿司となっています。風味豊かな香りの汁物と共に運ばれてきます。

「こちら向付、〈手掴鮪てづかみまぐろ賢蛸かしこだこ、五畳玉子、大吉雲丹、禁色きんじき海老の五貫〉でございます」

「説明をしてくれるかい?」

「はい。まず左から、手掴鮪は何の装備もつけず、素潜りで鮪を手づかみして捕獲したものとなっております。まさに職人技と言えるこの方法は、一人あたり年間五匹ほどしか捕獲の機会がないほど難しいものです。今回はこの一貫のための切り身のみを使用して、残りの手掴鮪はすべて破棄しました。

 次に蛸ですが、こちらは天然ものを捕獲した後あらゆる知能テストをして、最もIQの高かったものを使った一貫です。知能の味をご堪能ください。

 玉子は、日本有数の地価を誇る銀座の一等地に養鶏場のための敷地を買い取り、一話あたり五畳の広さで飼育した鶏の玉子の、さらに大寒の日に生んだもののみを使用して作られたものにございます。

 ウニは、発見したときの針の本数がきっちり五大吉数の組み合わせ――つまり2415や2431、2432本の身のみを使用しております。この確率は、だいたい一巻の軍艦を作るのに五十万個ものウニを調べてやっとというほどです。尚この針を数えているのはローマ、北京、パリなど、世界各地で料理の修業をした一流シェフが数えています」

「これはうまい。私の国ではウニは食べないのでね。なんとも濃厚だな」

「ありがとうございます。最後のそちらは、禁色海老と言いまして、茹で上がった際の色がカラーコード#AD002D、通称〈紅の八塩〉であるもの以外は使用しておりません。これは古代では禁色とされていた赤で、非常に高貴な色でございます」

「だから殻が飾られているのだな?」

 少々口を開き過ぎたため、私は、今度はうなずくだけにしました。しばらく無言を貫いた後、そのまま椀物を勧めます。

「椀物は、〈マツタケのお吸い物 根絶やし風味〉でございます。カフェイヨはその敷地すべてがマツタケ育成に好条件の状態に保たれた某山を所有しております。その一山すべてから見つけられたものすべてをまるで「根絶やしにする勢い」で採取し、大量のマツタケを凝縮して作られた、最上級に濃厚なお吸い物です。致死量間近の極限の香りと旨味を」

「はああ」

 おそらく本日の食事代をはるかに超える一色を数多く食べてきたであろうゴルドマン様でさえ、このマツタケの椀物にはやられたご様子。それもそのはずです。説明の通り、これ以上は体に害が及ぶギリギリの範囲まで凝縮したその味わいは、まことにそれほど比類なきものなのです。

「素晴らしいぞ!」

 私は深々と礼をしながら、次の焼物――銀座五畳鶏のマリアナ海塩ベーコンが運ばれてくるのを見つめるのでした。


「お待たせいたしました、こちら本日最後の焼物にございます、〈最高級和牛のロールスロイス燻製〉でございます」

 小休憩をはさんだ後とはいえ、ここにきてなおかなりの量の肉です。それでもゴルドマン様は、これ以上ないくらいの楽しげな表情で説明を催促なさるのです。

「はい、こちらの品は、まずカフェイヨがこのために七台のロールスロイス・ファントムを購入するところから始まります。次に専用の燻製室で、ファントムから出た排気ガスをもって和牛ステーキを燻製して、仕上げに調味をして完成したものです」

「コーヒーによく合いそうだ」

「お持ちしますか」

「いや、結構だ」

 さすがにこちらは味に重点をおいていなかったため、少々顔を歪めてしまわれたゴルドマン様ですが、そこは富豪。今まで美味しいだけのものは腐るほどお食べになってきたのでしょう。大切なのはおいしさではなく、ただただ無駄に思える浪費によって一品が何千万もする料理を頬張ることです。

「色みは最高だったし、面白い味だった。何よりも、あのロールスロイスを食することになるとはな! 自慢できる」

 その証拠に、今回は味の感想をおっしゃりません。それでも心の底から喜んでおられるのです。

「では次の」

「早く持ってきてくれ」

 ボーイがせかせかと持ってきたその料理は、食材に不釣り合いなほど大きいプレートに乗せられてきました。

「月のプレートになります」

「月だって! それは一体どうやって……」

「衛星で採取をしてきたものになります。こちらは煮物となっております、〈ナウマンゾウの蘇生しゃぶしゃぶ〉です。遺伝子工学で秘密裏に、細胞単位ではありますが、現世によみがえったマンモスの味を、お楽しみください」

 ナウマンゾウも十分珍しいと思われますが、やはり一番は月の石に関心がおありのようです。

「私は宇宙に最大のロマンがあると思っていてね、財閥にも掛け合ったことが何度もある。宇宙開発こそが次なる手だ、とね。今やもう遅いんで、他人の進出を指をくわえてみてるしかないのだが」

「左様でございましたか」

 うつむいていると、しかしゴルドマン様はすぐさまナウマンゾウの味も確かめていきます。冷凍された肉を熱湯で「蘇生」させると、肉は甦ってすぐ口へと運ばれます。

「こちら、もしよろしければ。付け合わせの勇気栽培野菜でございます」

「ありがとう」

「もちろん無農薬で完全手作業、肥料や土にも最大限のこだわりを費やしました。それでいて、栽培の際には特殊な人員やライオンを用いて罵声を浴びせたり、脅かしたりして野菜を強靭なメンタルに仕立て上げたものであります」

「心なしか、キャベツ一枚がものすごくコシのある味わいだ」

「ゴボウも素晴らしく屈強に仕上がっておりますので」

「笑いが止まらないよ、全く。じゃあ、これで」

「お待ちくださいませ」

 ゴルドマン様は非常に驚いた様子です。いつもは従順で受動的な私が、初めて率先して行動を起こしたのですから。

「最後に、とっておきの一品がございますので」

「メニューにはこれで終わりと」

 そうこうしているうちに机へ乗せられたのは、素朴な魚の天ぷらでした。

「実はこちら、ドクターフィッシュでして、ゴルドマン様が大ファンであります、アリス・キアーラ)の角質を食べて育ったものにございます」

「おい! それは!」 

 そういって、十秒ほど制止されていたのでしょうか。私が輸送台から調味料を取ろうとしたときにようやく動かれます。

「いや、いらん。これはもうをそのまま楽しむ!」

「ごゆっくり」

 どうやら今回の富豪も、大満足でご帰宅されるご様子。遠くで見守っていたルカにそう目配せをすると、彼は勤務中ながら胸を撫でおろしていました。



「支配人」

「う~ん、よく頑張ったわねえアントワーヌちん!」

 ゴルドマン様をお見送りまでさせていただいて、カフェイヨとしての今季の経営は終了となります。支配人はまだまだ後始末やこれからの予約の管理で忙しいのですが、それを感じさせないバイタリティーの持ち主です。

「それじゃあ、いつもみたいに経常費用をまとめてちょうだい?」

「かしこまりました」

 私は一度PCに計算をさせて、最後に紙で検算をするという最も確実な方法でもって、今回の収入と支出の合計を求めました。

「はい」

「じゃーあ、今回の収入はいくらだったかしら」

「今期の総収入八十五億六千五百七万五千円¥87.6507.5000から人件費、設備維持費、食材費などを引くと……八千円です」

「八千? のみ?」

「ええ。」

「そ。でも、とにかく黒字だったのね」

 支配人にしては珍しく、少し悩んだ末に頭を掻きむしります。しかし取り乱したのも一瞬。再びいつもの調子を取り戻して、こういったのです。

「じゃあ、私の給与から、百万ひいて。いつも通り児童福祉施設に」

「百万ですか、ただ、それは」

「いいから。寄付はいつもやってることじゃない。別に百くらい、私の職からしたらそこまで大きなものじゃないわ」

「そしたら、私も」

「ダメよ、アントワーヌちんは」

「は、はい? なぜですか」

「だって、これは私の事情なのよ。思い出も、信条もないし、それにあなたにとっての百万は大した額だもん」

 非常に尤もなお言葉でした。私は支配人の過去に何があったかも、またどのようにして富豪との関係を築いているのかもわかりません。それでいて立場が私の上であるばかりか、経験や知識までも、あらゆる点で上の存在だと実感します。

「では」

「うん、ルカちんにも、よろしく言っておいてよね。それじゃ、お疲れさまあ」

「失礼します」

 今後三か月は、ここに訪れることはありません。途方もない富を相手に商売をする、途方もない建物。未だに私がここに立っていることが、不思議でなりません。













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